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第375便 人生劇場

2026.03.13

 「AIが人類の社会に与える影響をどう見ますか」
 という質問を新聞で読む。
 「近い未来と遠い未来に分けて考えましょう。
 近い未来で言えば、いまのビッグデータを基にしたAIは、人知と並ぶような存在ではありません。それでも、人類に取って代わり始めています。
 しかも予測されたような単純労働ではなく、人類の高度な文化活動や精神活動、例えば法律や政治、経済、あるいは文学の創作といった分野へ入り込んでいます。
 長期の未来について言えば、今の速さで進化を続ければAIは人類の知力を超える可能性があります。そのとき人類は初めて、地球上で(他者)と向き合うことになります」
 という、世界的ベストセラー「三体」で、地球より進んだ文明を持つ宇宙人がやってくるという衝撃的な世界を描いた中国のSF作家、劉慈欣の言葉を読む。
 ああ、おれ、AIについて何も知らない、と私は、ただ、ぼんやりしてしまう。
 テレビを見ると、大学教授とか新聞社の政治部長とかが、衆議院選挙において重要な武器になりそうなSNSについて喋っている。
 ああ、おれ、SNSについても何も知らない。仕方なく、SNSってさ、スペシャルなノンべとスケベの略?とかバカを言って、若い人から無視されている。
 ああ、おれ、AIもSNSも知らずに、しかし、もうすぐ89歳の日日を、なるべく明るく暮らそうと、私は自分に声をかけているのだ。
 2026年1月23日の昼、石井利一と阿部富雄が私の家に来た。ふたりは同年で私より3歳若い。70代半ばまで石井は画廊の副支配人、阿部は70歳過ぎまで家具職人だった。
 「ビールはあるけど、昼めしはないよ」
 と電話で私が言ったので、ふたりが買ってきたシュウマイ弁当をひろげ、乾杯!
 「歯医者の受付の若い女の子が、阿部さんはボッチ?って言うの。ボッチ?知らんかったが、ひとり暮らしで、ひとりぼっちかってことなんだな」
 と阿部が笑い、
 「すると、今日は、ぼっち会だ」
 と石井も笑った。阿部も石井も私も、かみさんに先立たれている。
 「わたしね、1980年からの優駿という雑誌を、一冊残らずに持ってるの。でね、今日は、私にとっても阿部ちゃんにとっても吉川良にとっても大切な1986年12月号を持ってきた」
 と手提げバッグからの一冊をテーブルに置いた。
 その一冊にはさまれていた便箋用紙が私に渡されて、
 『安田郁男、海運会社勤務。森勇作、出版社勤務。野村宏、保険会社勤務。石井利一、画廊勤務。吉川良、作家。阿部富雄、植木職人。和田弘次郎、印刷会社勤務』
 と書いてある。


 昔、ウインズ横浜の近く、歓楽街の野毛に、「サンパウロ」という喫茶店があった。週末は午前から夕方まで、ウインズとサンパウロを行ったり来たりの店で、そこで客同士が友だちになる。
 1986年10月18日、石井が書いてきた7人が福島競馬場への旅をし、飯坂温泉に一泊。
 「その晩に、たしか池田屋という旅館だったか、みんなで酒をのんでる時、良さんが、明日のカブトヤマ記念は、みんなの金を集めてキッポウシの単勝を買おうやって言ったの。
 乗るのが安田富男。馬主が阿部善男。厩舎が大和田稔。生産が昭和牧場。で、この旅のメンバーに、安田がいて、阿部がいて、大和田じゃないけど、和田がいて、和田の勤める会社が昭和印刷で、これでキッポウシを買わなかったらバチが当たる、と良さんが言いだして、いや、ホントだって、みんなが金を出して2万円、キッポウシの単勝を買ったんだよね。
 逃げて逃げてキッポウシ、逃げ切って勝っちゃった。わたしらの声、凄かったよね。この優駿の重賞勝ち馬のレポートを読むと、キッポウシは13頭立て6番人気。単勝は1,180円」
 と石井が言い、その「優駿」に私は、「馬を一頭買いたし」というエッセイの連載㉒を書いている。
 「それでさ、そのキッポウシの払い戻しも使って、そのメンバーでさ、江の島の旅館に一泊して騒いだのおぼえてる」
 と阿部が言い、
 「人生劇場だなあ」
 と私が言い、
 「安田さんが死んで、森ちゃんが死んで、野村くんが死んで、和田さんが死んで、うーん、阿部さんと私と良さんが残ってる。で、今日は、キッポウシを思いだしている、ぼっち会というわけだなあ。うーん、キッポウシのころ、みんな、40代とか50代だった。」
 そう石井が言い、
 「人生劇場」
 とまた私は言ってしまった。
 「優駿」のそのページをひらき、「父アローエクスプレス、母ミスカマダ、母の父は織田信長」と私が言ったのは、馬名のキッポウシが、織田信長の幼名の吉法師から付けられたと思うからだ。
 「ウインズへ行って、3階だったかな、どこにもマークシートがなくてさ、係のおばさんがいたから、マークシートがないよって言ったら、ここはマークシートを使わない人のフロアですって言われて、ああ、そうかいって思ったけど、時代が変わったなあ。わたしなんか、やっぱり馬券が手にないと競馬にならないんだよな」
 と阿部が笑い、
 「わたしもウインズへ行かないと、馬券をやってるという気にならないんだ。しかし、AIの時代になりつつあるんだよね。ま、さよならするのも、そんなに先じゃないからいいけど」
 と石井が笑った。
 「おれね、おれが心配してもどうにもならないんだけど、競走馬を育てるということで、人工知脳のAIが、馬にブラシをかけてくれるのかなあって思うんよ。牧場の寝藁干しとか牧草刈りとか、馴致と か爪切りとかをやってくれるのかって、ときどき考えるんだ。肉体労働者がいなくなる」
 そう私が言うと、
 「ぼっちの人生劇場、さびしい」
 と石井が笑い、阿部も私も笑った。

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