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第361便 どこか行くの?

2025.01.10

 2年前、かみさんが難病に襲われた。病名は、顕徴鏡的多発血管炎。原因不明で難病指定を受けた。手術は無理。ステロイド治療しかない。
 50ミリ近いステロイド投薬の副作用か、精神障害を発生。精神科の隔離入院により認知症に。
 退院したけれど要介護3の状況。難病で介護施設利用も困難。おれがガンバルしかないと私は覚悟し、その後、入退院のくりかえしと老々介護の苦戦の日日。
 私も2年半前に心臓と胃ガンの手術をした身。介護中、自分が先に、という不安を持ちながらの苦戦。
 2024年11月2日、かみさんが死去。6日に家族だけの葬儀。悲しいけれど、おれを救うために息を引きとったとも思え、ありがとう、とかみさんに頭を下げた。
 11月24日、第44回ジャパンC。私はダービー以来の競馬場に出かけた。大船駅前の山にいる、でっかい観音さまに、行ってくるよ、と挨拶をして、9時14分の東海道線で川崎へ。そうそう、第1回のジャパンCの日の、パドック近くに外国人がたくさんいて、明るいにぎやかな光景は忘れられないなあ。外国の強い馬と日本の強い馬がレースをする。競馬好きにとっては夢のような話。おとぎ話に湧きたつ日だった。
 勝ったのはメアジードーツ。海外の馬。日本の馬は永遠に勝てないだろうと言う人もいたっけ。
 今年は第44回。自分の年齢から44を引き算。おお、おれ、43歳。うーん。今日の主役のドウデュースはハーツクライ産駒。主役を競うオーギュストロダンはディープインパクト産駒。いやあ、面白い。
 ハーツクライが有馬記念で、無敵のディープインパクトを負かしてから、何年が過ぎたのかなあ。
 あの日、どうした流れか、中山競馬場から東京駅までの車の、うしろにハーツクライの橋口弘次郎調教師と歌謡子夫人がいて、助手席におれがいたんだよなあ、となつかしい。
 川崎駅で9時44分発の南武線の各駅停車、立川行き。運よく座れた。
 尻手、矢向、鹿島田と停車する。その度、駅名を心の中で言ってみて、うれしくなる。どうしてうれしくなるのだろう。電車に乗るというあたりまえのことが、介護の日日のあいだ、ほとんど無かった。電車に乗って何処かへ行くことが、こんなに幸せなことなのか。
 タワーマンションに囲まれたような武蔵小杉駅で車内は、立っている人が殆どいなくなった。若い母親たちと子供たちのグループが、ジャンケンポン、アッチムイテホイのジェスチャーゲームで、「ニンシンチュー、ウマレタラ、オトコノコ、オンナノコ」という子供たちの声で、母親たちが顔のムキを変えて遊んでいる。へぇ、ニンシンチューだなんて、そんなのあるんだ、と私は見物。
 あとは競馬場へ行く人たちみたい。若いカップルが多く、おじさんやおじいさんはいない。
 私は競馬新聞を読み、気づく。あれえ、この車両で新聞を読んでるのは一人もいない。誰もがスマホを見ている。
 となりの若い女性がスマホを手に、
 「ドウデュース、たくさん食べてるんだって」
 と連れの若い彼に言っている。そんなニュースがスマホに出ているのだと私は盗み聞き。
 久地、宿河原、登戸とか、おもしろい駅名だなあと思いながら、ふと、かみさんがまともに私に言った最後の言葉がよみがえってきた。
 9月30日のこと、娘に頼んで私は、JRA70周年記念式典に行くので、久しぶりにネクタイをしめ、会話不成立が続いているかみさんに、
 「ちょっと行ってくるからな」
 と片手をあげて言ってみると、
 「どこか行くの?」
 と元気だったころの表情に一瞬だけ戻った。
 そうだった、63年間の夫婦生活の最後のセリフが、「どこか行くの?」だったなあと思っていると、府中本町駅に停車した。
 駅のトイレへ行く。男子トイレにけっこうな行列。あちこちのトイレでの女子トイレの行列は見慣れているが、男子トイレの行列は初体験だなあと思った。
 混雑する改札口で駅員がハンドマイクを持ち、
 「本日、現金での入場は出来ません。ご承知おきください」
 とくりかえし言っている。
 ああ、おれは、馬事文化賞をもらえたおかげで招待されているからいいのだが、ネットがチンプンカンプンのおじさんやおじいちゃんは、どんなにジャパンCが見たいだろうに、入場できない。この悲しさ、空しさ。どんなだろうと推測する。


 駅から競馬場の入場門までの通路から、白い富士山が遠くに見える。私は近くに見えるマンションに目を止めるために立ち止まった。マンガ家の大和田夏希が住んでいたマンションだ。私が原作で彼が作画の、競馬マンガ「雲をつかむ」を出したが売れなかったなあ。
 大和田夏希は社台グループの共有馬主クラブ会員で、持ち馬のディクターランドが、ヤエノムテキが勝った皐月賞で2着。その馬連が大穴で、中山競馬場で一緒に見ていた私は、大和田夏希に抱きしめられてしまった。
 大和田夏希は40歳で自死した。もう30年前のこと。私は少しの間、そのマンションを見ていた。
 通路に競馬予想紙を積んで、「いらっしゃいませ、いかがでしょうか」売り手のおじさんが声を張りあげているのだが、売れない。ああ、紙は苦戦。
 入場門に着き、しばらく私は、どんどんと詰めかけてくる人たちの光景を眺める。
 「キューアールコードをご用意してくださーい」
 という声が連呼になっている。
 私はキューアールコードなるものを知らない。たぶん、それを知らないことは、ずいぶんハズカシイことなんだろうなと思いながら、私はおじさんやおじいさんがやってくるのを待っているのだ。
けれども、おじさんやおじいちゃんはやってこない。若い男と女ばかりが、波のようにスタンドの方へと流れている。
 パドックで第6Rの2歳新馬戦を走る13頭が歩くのを見る。ああ、競馬場にいるおれって幸せだなあと青空を見上げると、不意に「どこか行くの?」
 というかみさんの声がよみがえった。

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