烏森発牧場行き
第309便 黄金旅程
2020.09.11
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「浦和の安藤です。いつも年賀状をありがとうございます。年賀状のみのおつきあいでしたけれど、とてもうれしかったです。
夫の直行が6月4日に死去しました。コロナ禍なのにひとり旅で木曽路へ行き、宿で心筋梗塞に襲われてしまいました。71歳でした。
今日は7月13日です。それが手紙を書きたくなった理由です。直行は誰彼となく、お酒をのんだ時など、2009年7月13日のことを得意そうに話していました。
お忘れかと思いますが、2009年7月13日に私ども夫婦は、ビッグレッドファームで吉川さんにお会いした日です。ステイゴールドをいっしょに見ました。吉川さんの言葉に甘えて、家にもあがり、ビールをのみ、なんと宿泊までさせていただいてしまいました。
その日のことが直行の自慢でした。直行は書道同好会に入っていて、黄金旅程と書いた作品が自分の代表作と勝手に言い、今もキッチンの壁に、額装して飾ってあります。
ほかに遺品として、直行のお財布にあった馬券があります。今年の2月2日の東京競馬場に行ってまして、7レースのゴールドスミスという馬の単勝馬券で、千円買ったものです。
直行の競馬友だちに見せたところ、ゴールドスミスはステイゴールドの子だと知りました。
直行だけでなしに、わたくしも、2009年7月13日の、牧場の広さ、空の青さ、近くにあった池の静けさ、ステイゴールドの瞳、吉川さん宅でのビール、泊めていただいた朝の牧場の空気は、しっかりおぼえています。
すみません。今日は7月13日、と朝食しながら意識をすると、どうしても手紙を書きたくなりました」
という安藤澄子さんからの便りが届いた。私は手紙を読みかえし、安藤直行さんに合掌をし、「黄金旅程」というのは、ステイゴールドが香港に遠征したときの香港馬名だったなあと思った。
私は2009年6月22日から9月4日までを、北海道新冠郡のビッグレッドファーム明和で暮らした。明和小学校が廃校となってビッグレッドファームの建物に変わり、校庭の隅にあった3軒の教職員用住宅のひとつが、私の住処となった。6畳間がふたつ、10畳ほどの板の間、4畳半のキッチンから、放牧地のひろがりが見えた。
2009年7月13日の記録ノートをひらいてみる。
「午前、駐車場から歩いてくる若いカップルに、どちらから?と声をかける。名古屋、と無愛想に返事する男と女は手をつないでいる。声をかけなくてもいいわよ、と言いたげな女の表情。勝手にしてくれと私は離れた。
午後、スタリオンの近くの池のほとりのベンチに座って風に吹かれていると、池に咲くハスの花を見たりしながら近づいてきた白髪の男が、シャッターを押してくれませんかと近くにきた。どちらから?釧路からで、ステイゴールドに会って幸せだという。
ステイゴールドって凄い人気。昨日なんか、川崎市から来た30歳ぐらいの女がひとりできて、ほんと、4時間くらい、ただステイゴールドを見てましたよ、と私が言った。言って私は、ああ、私も、その女と4時間、つきあっていたのだと思い、変な人生になってるなと笑った。
夕ぐれ、放牧地のステイゴールドを見ている男と女。どちらから?浦和市からだという。男は定年退職記念に牧場めぐりを計画。特にステイゴールドに会うのが一番の目的。自分は車の運転免許がなく、奥さんの運転でレンタカー。今日はこれから、えりも岬の方まで行って、そこで宿を見つけるのだという。
家へ寄ってコーヒーでも。ビールでもいいけどと誘うと、うれしそうな男と女の顔。
安藤という夫婦が家にきた。男とビール。奥さんはコーヒー。男はどうしてかステイゴールドが好きで、38戦目だかに目黒記念で初重賞勝ちのときは、東京競馬場で涙ぐんでしまったという。
くやしい、と奥さんがつぶやく。何?奥さんは大のビール好きで、こんな楽しいビールのひとときに飲めないなんて、ああ、くやしいと。
のみなさいよ。日が暮れるし、ここでよければここに泊まればいい。人生、そんなに、楽しい日はない。楽しい日というのは夢の日。さあのみましょう、というわけで、奥さんも、ぐぐぐっとビールをのんで、うれしそうに笑った」
と記録している。
「お手紙ありがとうございます。2009年7月13日のこと、思いだしています。安藤夫妻も私もうれしいビールで、夢の日でした。
直行さん、無念でした。しかし勝手な言い方になるかもしれませんが、その悲劇のひとり旅が、黄金旅程だったかも。
コロナ騒ぎがなければ、お線香をあげさせていただき、ゴールドスミスの単勝馬券を見に行きたいと思います。チャンス、待ちます。
直行さんがステイゴールドに、会いたかったんです、会いにきました。と言って手をのばしたとき、ステイゴールドが直行さんに顔をぶつけにきて、あわててのけぞった直行さん。
その2009年7月13日に乾杯して、直行さんに手を合わせます」
と私は手紙を書いた。
その手紙をポストに入れた帰り道、なんだかステイゴールドの戦績をふりかえりたくなり、仕事部屋で、その全成績を調べた。1996年12月1日の阪神でのデビュー戦から2001年12月17日の香港での最終戦までの50戦のうち、後藤浩輝が5度乗っているのを意識した。
私は後藤浩輝騎手とも多少のつきあいがあったので、その自死を、今でもときどきくやしがるのだ。後藤浩輝、ステイゴールド、安藤直行と、特別な意味もなしに、呟いてみる。
また澄子さんから手紙が届いた。
「お手紙ありがとうございました。介護の仕事から帰って、大好きなビールをのみながら、お手紙を何度も読みかえして、直行さんに、吉川さんからお手紙来たよって、仏壇に置きました。
もしご迷惑でなければ、ゴールドスミスの単勝馬券を持参して、お邪魔したいと思います」
と書いてある。
夫の直行が6月4日に死去しました。コロナ禍なのにひとり旅で木曽路へ行き、宿で心筋梗塞に襲われてしまいました。71歳でした。
今日は7月13日です。それが手紙を書きたくなった理由です。直行は誰彼となく、お酒をのんだ時など、2009年7月13日のことを得意そうに話していました。
お忘れかと思いますが、2009年7月13日に私ども夫婦は、ビッグレッドファームで吉川さんにお会いした日です。ステイゴールドをいっしょに見ました。吉川さんの言葉に甘えて、家にもあがり、ビールをのみ、なんと宿泊までさせていただいてしまいました。
その日のことが直行の自慢でした。直行は書道同好会に入っていて、黄金旅程と書いた作品が自分の代表作と勝手に言い、今もキッチンの壁に、額装して飾ってあります。
ほかに遺品として、直行のお財布にあった馬券があります。今年の2月2日の東京競馬場に行ってまして、7レースのゴールドスミスという馬の単勝馬券で、千円買ったものです。
直行の競馬友だちに見せたところ、ゴールドスミスはステイゴールドの子だと知りました。
直行だけでなしに、わたくしも、2009年7月13日の、牧場の広さ、空の青さ、近くにあった池の静けさ、ステイゴールドの瞳、吉川さん宅でのビール、泊めていただいた朝の牧場の空気は、しっかりおぼえています。
すみません。今日は7月13日、と朝食しながら意識をすると、どうしても手紙を書きたくなりました」
という安藤澄子さんからの便りが届いた。私は手紙を読みかえし、安藤直行さんに合掌をし、「黄金旅程」というのは、ステイゴールドが香港に遠征したときの香港馬名だったなあと思った。
私は2009年6月22日から9月4日までを、北海道新冠郡のビッグレッドファーム明和で暮らした。明和小学校が廃校となってビッグレッドファームの建物に変わり、校庭の隅にあった3軒の教職員用住宅のひとつが、私の住処となった。6畳間がふたつ、10畳ほどの板の間、4畳半のキッチンから、放牧地のひろがりが見えた。
2009年7月13日の記録ノートをひらいてみる。
「午前、駐車場から歩いてくる若いカップルに、どちらから?と声をかける。名古屋、と無愛想に返事する男と女は手をつないでいる。声をかけなくてもいいわよ、と言いたげな女の表情。勝手にしてくれと私は離れた。
午後、スタリオンの近くの池のほとりのベンチに座って風に吹かれていると、池に咲くハスの花を見たりしながら近づいてきた白髪の男が、シャッターを押してくれませんかと近くにきた。どちらから?釧路からで、ステイゴールドに会って幸せだという。
ステイゴールドって凄い人気。昨日なんか、川崎市から来た30歳ぐらいの女がひとりできて、ほんと、4時間くらい、ただステイゴールドを見てましたよ、と私が言った。言って私は、ああ、私も、その女と4時間、つきあっていたのだと思い、変な人生になってるなと笑った。
夕ぐれ、放牧地のステイゴールドを見ている男と女。どちらから?浦和市からだという。男は定年退職記念に牧場めぐりを計画。特にステイゴールドに会うのが一番の目的。自分は車の運転免許がなく、奥さんの運転でレンタカー。今日はこれから、えりも岬の方まで行って、そこで宿を見つけるのだという。
家へ寄ってコーヒーでも。ビールでもいいけどと誘うと、うれしそうな男と女の顔。
安藤という夫婦が家にきた。男とビール。奥さんはコーヒー。男はどうしてかステイゴールドが好きで、38戦目だかに目黒記念で初重賞勝ちのときは、東京競馬場で涙ぐんでしまったという。
くやしい、と奥さんがつぶやく。何?奥さんは大のビール好きで、こんな楽しいビールのひとときに飲めないなんて、ああ、くやしいと。
のみなさいよ。日が暮れるし、ここでよければここに泊まればいい。人生、そんなに、楽しい日はない。楽しい日というのは夢の日。さあのみましょう、というわけで、奥さんも、ぐぐぐっとビールをのんで、うれしそうに笑った」
と記録している。
「お手紙ありがとうございます。2009年7月13日のこと、思いだしています。安藤夫妻も私もうれしいビールで、夢の日でした。
直行さん、無念でした。しかし勝手な言い方になるかもしれませんが、その悲劇のひとり旅が、黄金旅程だったかも。
コロナ騒ぎがなければ、お線香をあげさせていただき、ゴールドスミスの単勝馬券を見に行きたいと思います。チャンス、待ちます。
直行さんがステイゴールドに、会いたかったんです、会いにきました。と言って手をのばしたとき、ステイゴールドが直行さんに顔をぶつけにきて、あわててのけぞった直行さん。
その2009年7月13日に乾杯して、直行さんに手を合わせます」
と私は手紙を書いた。
その手紙をポストに入れた帰り道、なんだかステイゴールドの戦績をふりかえりたくなり、仕事部屋で、その全成績を調べた。1996年12月1日の阪神でのデビュー戦から2001年12月17日の香港での最終戦までの50戦のうち、後藤浩輝が5度乗っているのを意識した。
私は後藤浩輝騎手とも多少のつきあいがあったので、その自死を、今でもときどきくやしがるのだ。後藤浩輝、ステイゴールド、安藤直行と、特別な意味もなしに、呟いてみる。
また澄子さんから手紙が届いた。
「お手紙ありがとうございました。介護の仕事から帰って、大好きなビールをのみながら、お手紙を何度も読みかえして、直行さんに、吉川さんからお手紙来たよって、仏壇に置きました。
もしご迷惑でなければ、ゴールドスミスの単勝馬券を持参して、お邪魔したいと思います」
と書いてある。