烏森発牧場行き
第274便 サビシーナ
2017.10.18
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この数年、どうしてかしっかりと花を咲かせなかった庭のサルスベリが、今年はしっかりと咲いてうれしい。
「うれしいなあ」
サルスベリの花に声をかけた夏の朝、「芸術に生き55年充実の音色」という見出しの新聞記事を読んだ。バイオリニストの前橋汀子さんが、演奏活動55周年の記念リサイタルを全国で開いている。
「楽器を通して呼吸し、自分の中にある音楽を音にする。そういうことが若い頃より、自然にできるようになってきた気がする」
と前橋さんが言っている。なるほどなあ、すばらしいなあ、この夏のわが家のサルスベリのようだなあと私は思う。
「13年前、ラッシュ時の駅の改札で、疲れた顔で帰途につく人々の顔を見ながら、ああ、この中のいったい何人が、生のバイオリンの音を聞いたことがあるのかな」
と前橋さんは、ふと思ったという。
その思いを読んで私は、「うれしいな」と言いそうになった。
幸か不幸か、カネとドキョウに恵まれず、遊びのなかった自分の人生で、競馬を知らない人に「競馬場へ行ってみない」と誘っていっしょに行くのが、自分のせめてもの遊びだったのかもしれないと、じいさんになって私は思うのだ。
私は競馬場のパドックにいるのが好きだ。出走馬がゲートに入るシーンが好きだ。競馬場でレースを見て緊張するのが大好きだ。私にとっては、前橋さんの言う「生のバイオリンの音」だ。それで、ふと、そう思った前橋さんの感情を、おれと同じ、うれしいなあと言いそうになったのだ。
今、このように書きながら、世間には、世界的なバイオリニストと無名の自分を同じにするなと、文句を言う人がいるぞと思う。でも言わせてもらおう。人間の感性に有名も無名もないよ。
「家にいて馬券が買えるのだから、なにも金と時間と体力をつかって、競馬場とかウインズへ行くこともないじゃないですか。パドックもレースも、すべてテレビに映るんだから」
と若い人によく言われる。
「ほっといてくれ。おれはおれだよ」
と笑いかえすことにしているが、ほんとうは、
「それがおれの旅なんだ。旅をしなくちゃさびしくて死んじまう」
と答えたいのだ。
バス停でバスを待つ。駅で電車に乗りかえる。電車でゆっくり他人の中にいる。競馬場へ歩く。ウインズへ歩く。それが私の旅だ。
人間はカネとたたかう生きもの。そして孤独とたたかう生きもの。カネと孤独とたたかう生きもの、というのが私の人間にたいする解釈だ。
ところが、人間に孤独を感じさせない武器が世界を征服した。スマホという武器である。朝も昼も夜も、深夜も、人間がスマホを見ながら歩くようになった。
電車に乗る。私のいる列と前方の列に20人がいて、19人がスマホを見ている。私だけがスマホを持っていない。19人は、となりに誰がいて、前方に誰がいるのか関係ない。
もう、今や、「孤独」という言葉は死語になっているのかもしれないぞ。そうだよ、やっぱり、おれはおれで生きてゆくしかないのだと、私は自分を励ますのだ。
庭のサルスベリの花に、前橋汀子さんの「いったい何人が、生のバイオリンの音を聞いたことがあるのかな」という思いを伝えながら、9月3日にウインズ横浜で声をかけられ、野毛の居酒屋でビールをのんだ浜尾さんを思いだした。
そうなんだよ、浜尾さんは、まるで競馬を知らなかった。数年前に65歳で造船会社を退職したばかりの浜尾さんは、鎌倉駅に近いバーのカウンターで私ととなりあわせた。
2年前に奥さんをガンで失くしていた浜尾さんが、
「なんだかね、胸の奥底のほうから、さびしいという感情が迫ってくるんですよ」
と言うので、私が競馬場へ誘ったのだった。
東京競馬場の共同通信杯の日で、浜尾さんがゴールドシップの410円ついた単勝を2,000円買っていて、「4.1倍のゴールドシップ」が浜尾さんの競馬記念碑に刻まれた。
浜尾さんは競馬と出会い、中山や東京へもひとりで出かけるようになり、ウインズ横浜の常連になった。
私は何かを自慢したくて、浜尾さんのことを書いているわけではない。浜尾さんを競馬場に誘ったのも、私の孤独とのたたかいのひとつだと言いたいのである。
2017年9月3日、
「当てたんですよ」
と居酒屋のテーブルに、その日の11R新潟記念の、1着タツゴウゲキと2着アストラエンブレムの馬連25.8倍を、1,000円買っている馬券を置いてにっこりした。
「おととい、ぼくは誕生日で、とうとう70歳になりました」
「体のどこかで、コキッと音がしたでしょう」
「え?」
少し考えたあと、
「あっ、しました、コキ」
と浜尾さんが笑った。
「新潟記念のテレビのパドックを見ていたとき、どうしてですかね、おれ、70歳になったぞと、母親に報告したんですよ。そのとき、何も考えることなんかないぞ、タツゴウゲキから買えばいいんだと思ったのは、母親がタツという名前だったからなんです。
それでタツゴウゲキから4点、人気馬への馬連を買ったんですけど、ちょっと自分がなさけないなあと思ったのは、どうして馬単じゃなかったのかということですね。
しかし、馬券を当てても、ひとりで喜んでるのはさびしい。ヨシカワさんと会ってよかった」
「いえいえ、ぼくもさびしかったから、声をかけられてうれしかった」
「やはり、さびしいですか?」
「さびしいですよ。最近は牡馬も牝馬も、どれもがサビシーナという名前のような気がする」
と私は笑ったのだった。
「うれしいなあ」
サルスベリの花に声をかけた夏の朝、「芸術に生き55年充実の音色」という見出しの新聞記事を読んだ。バイオリニストの前橋汀子さんが、演奏活動55周年の記念リサイタルを全国で開いている。
「楽器を通して呼吸し、自分の中にある音楽を音にする。そういうことが若い頃より、自然にできるようになってきた気がする」
と前橋さんが言っている。なるほどなあ、すばらしいなあ、この夏のわが家のサルスベリのようだなあと私は思う。
「13年前、ラッシュ時の駅の改札で、疲れた顔で帰途につく人々の顔を見ながら、ああ、この中のいったい何人が、生のバイオリンの音を聞いたことがあるのかな」
と前橋さんは、ふと思ったという。
その思いを読んで私は、「うれしいな」と言いそうになった。
幸か不幸か、カネとドキョウに恵まれず、遊びのなかった自分の人生で、競馬を知らない人に「競馬場へ行ってみない」と誘っていっしょに行くのが、自分のせめてもの遊びだったのかもしれないと、じいさんになって私は思うのだ。
私は競馬場のパドックにいるのが好きだ。出走馬がゲートに入るシーンが好きだ。競馬場でレースを見て緊張するのが大好きだ。私にとっては、前橋さんの言う「生のバイオリンの音」だ。それで、ふと、そう思った前橋さんの感情を、おれと同じ、うれしいなあと言いそうになったのだ。
今、このように書きながら、世間には、世界的なバイオリニストと無名の自分を同じにするなと、文句を言う人がいるぞと思う。でも言わせてもらおう。人間の感性に有名も無名もないよ。
「家にいて馬券が買えるのだから、なにも金と時間と体力をつかって、競馬場とかウインズへ行くこともないじゃないですか。パドックもレースも、すべてテレビに映るんだから」
と若い人によく言われる。
「ほっといてくれ。おれはおれだよ」
と笑いかえすことにしているが、ほんとうは、
「それがおれの旅なんだ。旅をしなくちゃさびしくて死んじまう」
と答えたいのだ。
バス停でバスを待つ。駅で電車に乗りかえる。電車でゆっくり他人の中にいる。競馬場へ歩く。ウインズへ歩く。それが私の旅だ。
人間はカネとたたかう生きもの。そして孤独とたたかう生きもの。カネと孤独とたたかう生きもの、というのが私の人間にたいする解釈だ。
ところが、人間に孤独を感じさせない武器が世界を征服した。スマホという武器である。朝も昼も夜も、深夜も、人間がスマホを見ながら歩くようになった。
電車に乗る。私のいる列と前方の列に20人がいて、19人がスマホを見ている。私だけがスマホを持っていない。19人は、となりに誰がいて、前方に誰がいるのか関係ない。
もう、今や、「孤独」という言葉は死語になっているのかもしれないぞ。そうだよ、やっぱり、おれはおれで生きてゆくしかないのだと、私は自分を励ますのだ。
庭のサルスベリの花に、前橋汀子さんの「いったい何人が、生のバイオリンの音を聞いたことがあるのかな」という思いを伝えながら、9月3日にウインズ横浜で声をかけられ、野毛の居酒屋でビールをのんだ浜尾さんを思いだした。
そうなんだよ、浜尾さんは、まるで競馬を知らなかった。数年前に65歳で造船会社を退職したばかりの浜尾さんは、鎌倉駅に近いバーのカウンターで私ととなりあわせた。
2年前に奥さんをガンで失くしていた浜尾さんが、
「なんだかね、胸の奥底のほうから、さびしいという感情が迫ってくるんですよ」
と言うので、私が競馬場へ誘ったのだった。
東京競馬場の共同通信杯の日で、浜尾さんがゴールドシップの410円ついた単勝を2,000円買っていて、「4.1倍のゴールドシップ」が浜尾さんの競馬記念碑に刻まれた。
浜尾さんは競馬と出会い、中山や東京へもひとりで出かけるようになり、ウインズ横浜の常連になった。
私は何かを自慢したくて、浜尾さんのことを書いているわけではない。浜尾さんを競馬場に誘ったのも、私の孤独とのたたかいのひとつだと言いたいのである。
2017年9月3日、
「当てたんですよ」
と居酒屋のテーブルに、その日の11R新潟記念の、1着タツゴウゲキと2着アストラエンブレムの馬連25.8倍を、1,000円買っている馬券を置いてにっこりした。
「おととい、ぼくは誕生日で、とうとう70歳になりました」
「体のどこかで、コキッと音がしたでしょう」
「え?」
少し考えたあと、
「あっ、しました、コキ」
と浜尾さんが笑った。
「新潟記念のテレビのパドックを見ていたとき、どうしてですかね、おれ、70歳になったぞと、母親に報告したんですよ。そのとき、何も考えることなんかないぞ、タツゴウゲキから買えばいいんだと思ったのは、母親がタツという名前だったからなんです。
それでタツゴウゲキから4点、人気馬への馬連を買ったんですけど、ちょっと自分がなさけないなあと思ったのは、どうして馬単じゃなかったのかということですね。
しかし、馬券を当てても、ひとりで喜んでるのはさびしい。ヨシカワさんと会ってよかった」
「いえいえ、ぼくもさびしかったから、声をかけられてうれしかった」
「やはり、さびしいですか?」
「さびしいですよ。最近は牡馬も牝馬も、どれもがサビシーナという名前のような気がする」
と私は笑ったのだった。