烏森発牧場行き
第271便 ナイスネイチャ
2017.07.14
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1984(昭59)年チューリップ賞を勝ち、桜花賞にも出走(21頭立て19着)したウラカワミユキが、2017年6月2日午前0時8分に繋養先の北海道浦河町の渡辺牧場で死んだと新聞記事で知った。
6月2日がウラカワミユキの満36歳の誕生日で、サラブレッド牝馬の国内最長寿だったようだ。前日の朝に疝痛をおこし、治療したが回復の見込みがなくて安楽死となったという。
ウラカワミユキはナイスネイチャの母、と私のような競馬老人なら、すぐに思う。1991(平成3)年から5年連続で有馬記念に出走し、いずれも松永昌博騎乗で、3着3回、5着1回、9着1回だった。3年連続3着、高松宮杯など重賞4勝のナイスネイチャ(父ナイスダンサー、母の父ハビトニー)は、
「ナイスネイチャ」
と声に出してみるだけで競馬老人は、昔の光に包まれてしまうのだ。
その記事を読み、ちょっとぼんやりしたあとで、
「ウノさん」
と私は言った。ひとりごとだけど、私はウノさんの顔を思いだし、声をかけていた。
私は昔の競馬雑誌や重賞年鑑をめくってみた。ウラカワミユキが走った桜花賞の1着は田原成貴騎乗のダイアナソロン。ナイスネイチャが出走した有馬記念の1着は、熊沢のダイユウサク、山田泰誠のメジロパーマー、田原のトウカイテイオーで、そのときの3着がナイスネイチャ。5着のときの1着は南井のナリタブライアン、9着のときの1着は田原のマヤノトップガンで、それを確認したあと、
「ナイスネイチャ」
ともういちど言い、
「ウノヒデオさん」
とフルネームで友だちの名を言った。
ウノさんは私より5歳年上の銀行員。JR鎌倉駅に近い酒場「野分」での飲み仲間で、よく一緒に競馬場にもウインズにも行った。
私は自分の競馬記録ノートが積んである仕事部屋へ行き、ナイスネイチャが菊花賞を走った年を調べると、1991年だった。
1991年のノートをめくる。
「10月13日。横浜の場外で、京都新聞杯を見る。となりにいたウノさんが、ヨシッとひと声。勝ったナイスネイチャの単勝を5千円ずつ買った二枚の馬券を見せる。
川のほとりのバー「るぱん」へ行くと、女がウノさんを待っていた。川崎のバーではたらいているハルミさんだけど、実家が北海道の浦河だと知って、自分だけはミユキさんと呼んでいる。ウラカワミユキだもの、とウノさんが紹介した。
ウラカワミユキの息子が勝ったよ、1着、とウノさんが、単勝の当たり馬券の一枚を「あげる」とハルミさんに渡した。
そうか。そういうことだったのか。それでナイスネイチャを買ったのかと、ガッテン。
ハルミさんは40才だという。そのころ私は浦河へよく行ってたし、いくつかの酒場にも行ってるので、浦河のどこ?お父さんの仕事は?と聞いてみたが、父は漁師です。としかハルミさんは答えなかった」
と記録されている。
菊花賞の日のページも探した。そうだよ、ウノさん、ハルミさんをつれて京都競馬場へ、ナイスネイチャを見に行ったのだ。
「11月3日。チェッ、クソッ、いいなあと、私はウノさんにヤキモチをやいている。昨日夜の新幹線でウノさんは、ハルミさんと京都へ行った。
なんというウラヤマシイ菊花賞だ。奥さんにはどんなウソをついたのかと聞いてみたら、昔から1泊どまりで菊花賞を見に行くのが夢だったんだと言ったら、案外、たまにはしたいことをしなくちゃねと、簡単に返事したよと。
女を連れて淀へ。ああ、クソッ、これでナイスネイチャが勝ったらウノさん、幸せすぎる」
と記録されている。
そうだよ、もしウノさんの奥さんが生きていたら、この文章をどこかで読むかもしれない。ウノさんは3年前、奥さんは2年前に亡くなってしまったし、子供もいないので、私は安心して、「ウノさん、女を連れて」を書いているのだ。
重賞年鑑をひらいてみる。1991年、第52回菊花賞。1着は岡部のレオダーバン、2着は南井のイブキマイカグラ、3着は小島貞博のフジヤマケンザン。ナイスネイチャは松永昌博で4着だ。
「いったい、君は、1991年に何歳だった?」
と私は自分に聞いてみた。54歳だった。若くもないけど老いてもいないな。
「ウノさんは何歳だった?」とも聞いてみる。59歳だ。ハルミさんに惚れていた。「59歳の恋」と私は思い、「ハルミさんは何歳になっているのだろう?」と計算してみると、66歳になっている。
「ウラカワミユキが死んじゃった」
とハルミさんに言いたくなって電話をかけた。
去年、ハルミさんは体調を崩し、蒲田で営んでいた酒場を閉めた。
「しばらくです。元気?」
「どうにか」
「どうにかでも、元気が一番」
「お元気そうね。声が、元気」
「ところで、ナイスネイチャっておぼえてる?」
「忘れないわよ」
「では、ナイスネイチャのお母さんの名は?」
「ウラカワミユキ」
「そのウラカワミユキがね、死んだの、6月2日、満36歳で。これはね、日本のサラブレッド牝馬の最長寿なんだって」
「ウノさんに知らせなくては」
「そうだよ。おれが知らせるより、ハルミさんが知らせるニュースだよ」
「なつかしいなあ、ナイスネイチャ。わたしが1頭だけおぼえてる馬の名前」
そう言ってハルミさんが笑った。
電話を切ってぼんやりしていると、ベルが鳴ってハルミさんからで、
「なんだか、電話のあと、昔のことが浮かんできて、もう少し、話をしてたいなあって思って。ごめんなさい」
と泣きそうな声だった。
6月2日がウラカワミユキの満36歳の誕生日で、サラブレッド牝馬の国内最長寿だったようだ。前日の朝に疝痛をおこし、治療したが回復の見込みがなくて安楽死となったという。
ウラカワミユキはナイスネイチャの母、と私のような競馬老人なら、すぐに思う。1991(平成3)年から5年連続で有馬記念に出走し、いずれも松永昌博騎乗で、3着3回、5着1回、9着1回だった。3年連続3着、高松宮杯など重賞4勝のナイスネイチャ(父ナイスダンサー、母の父ハビトニー)は、
「ナイスネイチャ」
と声に出してみるだけで競馬老人は、昔の光に包まれてしまうのだ。
その記事を読み、ちょっとぼんやりしたあとで、
「ウノさん」
と私は言った。ひとりごとだけど、私はウノさんの顔を思いだし、声をかけていた。
私は昔の競馬雑誌や重賞年鑑をめくってみた。ウラカワミユキが走った桜花賞の1着は田原成貴騎乗のダイアナソロン。ナイスネイチャが出走した有馬記念の1着は、熊沢のダイユウサク、山田泰誠のメジロパーマー、田原のトウカイテイオーで、そのときの3着がナイスネイチャ。5着のときの1着は南井のナリタブライアン、9着のときの1着は田原のマヤノトップガンで、それを確認したあと、
「ナイスネイチャ」
ともういちど言い、
「ウノヒデオさん」
とフルネームで友だちの名を言った。
ウノさんは私より5歳年上の銀行員。JR鎌倉駅に近い酒場「野分」での飲み仲間で、よく一緒に競馬場にもウインズにも行った。
私は自分の競馬記録ノートが積んである仕事部屋へ行き、ナイスネイチャが菊花賞を走った年を調べると、1991年だった。
1991年のノートをめくる。
「10月13日。横浜の場外で、京都新聞杯を見る。となりにいたウノさんが、ヨシッとひと声。勝ったナイスネイチャの単勝を5千円ずつ買った二枚の馬券を見せる。
川のほとりのバー「るぱん」へ行くと、女がウノさんを待っていた。川崎のバーではたらいているハルミさんだけど、実家が北海道の浦河だと知って、自分だけはミユキさんと呼んでいる。ウラカワミユキだもの、とウノさんが紹介した。
ウラカワミユキの息子が勝ったよ、1着、とウノさんが、単勝の当たり馬券の一枚を「あげる」とハルミさんに渡した。
そうか。そういうことだったのか。それでナイスネイチャを買ったのかと、ガッテン。
ハルミさんは40才だという。そのころ私は浦河へよく行ってたし、いくつかの酒場にも行ってるので、浦河のどこ?お父さんの仕事は?と聞いてみたが、父は漁師です。としかハルミさんは答えなかった」
と記録されている。
菊花賞の日のページも探した。そうだよ、ウノさん、ハルミさんをつれて京都競馬場へ、ナイスネイチャを見に行ったのだ。
「11月3日。チェッ、クソッ、いいなあと、私はウノさんにヤキモチをやいている。昨日夜の新幹線でウノさんは、ハルミさんと京都へ行った。
なんというウラヤマシイ菊花賞だ。奥さんにはどんなウソをついたのかと聞いてみたら、昔から1泊どまりで菊花賞を見に行くのが夢だったんだと言ったら、案外、たまにはしたいことをしなくちゃねと、簡単に返事したよと。
女を連れて淀へ。ああ、クソッ、これでナイスネイチャが勝ったらウノさん、幸せすぎる」
と記録されている。
そうだよ、もしウノさんの奥さんが生きていたら、この文章をどこかで読むかもしれない。ウノさんは3年前、奥さんは2年前に亡くなってしまったし、子供もいないので、私は安心して、「ウノさん、女を連れて」を書いているのだ。
重賞年鑑をひらいてみる。1991年、第52回菊花賞。1着は岡部のレオダーバン、2着は南井のイブキマイカグラ、3着は小島貞博のフジヤマケンザン。ナイスネイチャは松永昌博で4着だ。
「いったい、君は、1991年に何歳だった?」
と私は自分に聞いてみた。54歳だった。若くもないけど老いてもいないな。
「ウノさんは何歳だった?」とも聞いてみる。59歳だ。ハルミさんに惚れていた。「59歳の恋」と私は思い、「ハルミさんは何歳になっているのだろう?」と計算してみると、66歳になっている。
「ウラカワミユキが死んじゃった」
とハルミさんに言いたくなって電話をかけた。
去年、ハルミさんは体調を崩し、蒲田で営んでいた酒場を閉めた。
「しばらくです。元気?」
「どうにか」
「どうにかでも、元気が一番」
「お元気そうね。声が、元気」
「ところで、ナイスネイチャっておぼえてる?」
「忘れないわよ」
「では、ナイスネイチャのお母さんの名は?」
「ウラカワミユキ」
「そのウラカワミユキがね、死んだの、6月2日、満36歳で。これはね、日本のサラブレッド牝馬の最長寿なんだって」
「ウノさんに知らせなくては」
「そうだよ。おれが知らせるより、ハルミさんが知らせるニュースだよ」
「なつかしいなあ、ナイスネイチャ。わたしが1頭だけおぼえてる馬の名前」
そう言ってハルミさんが笑った。
電話を切ってぼんやりしていると、ベルが鳴ってハルミさんからで、
「なんだか、電話のあと、昔のことが浮かんできて、もう少し、話をしてたいなあって思って。ごめんなさい」
と泣きそうな声だった。