烏森発牧場行き
第198便 かがやきの日
2011.06.10
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4月中旬のこと,弘前市に住むテッちゃんからハガキが来た。5月中旬に銀座すずらん通りの画廊で開催するグループ展の案内状だった。出展者24名が列記されていて,そのなかにテッちゃんの名がある。そうした案内がテッちゃんから来たのは初めてだ。
テッちゃんとは年賀状を欠かさずに出しあい,年に2通か3通の便りをやりとりしているが,もう26年も会ってはいない。
いちど手紙でテッちゃんが整理してくれたのだが,テッちゃんと私は1960年に1年間,京都の酒場でいっしょに働き,よく京都競馬場へいっしょに行った。それから1度,1978年に京都競馬場で偶然に会った。そのときにテッちゃんが連れていた女性が弘前出身で,結婚をして,福井出身のテッちゃんが弘前で生活を始めた。
音信不通になったが,私が雑誌「優駿」に原稿を書きはじめたころ,優駿編集部気付でテッちゃんが手紙をくれ,1985年に雑誌「PHP」の取材仕事で弘前へ行ったとき,テッちゃん夫婦と酒をのんだ。テッちゃんはリンゴ農家で働きながら油絵を描き,いくつかの美術展で受賞していた。
テッちゃんと電話したことがない。賀状を見ると,電話番号があった。
「会おうよ」私が言い,
「会いたい。見せたいものがあるんだわ」とテッちゃんが言った。
5月中旬,銀座の画廊へ行く前夜,古い「中央競馬レコードブック」をひらきたくなった。たぶんテッちゃんといっしょに見たであろう京都競馬場での,天皇賞(春)と菊花賞の勝ち馬を知ろうとしたのだ。春の天皇賞は保田隆芳騎乗の,尾形藤吉厩舎のクリペロ。菊花賞は伊藤竹男騎乗の,久保田金造厩舎のキタノオーザだった。それを知ったからって何になろうと思いながら,そんなふうに知ろうとするほかに,人生に何があろうかと,私は自分と自分で会話をした。
雨が降りだした夕方,私は画廊に入って,誰かと談笑しているテッちゃんと顔を合わさぬようにして,テッちゃんの絵を探した。挨拶をするより先に,絵と向きあいたかったのだ。
タテ40センチ,ヨコ50センチほどの油彩である。どちらも新聞を手にした若者がふたり,ベンチに座っている。ひとりはうつむき,ひとりは遠くを見ているような顔。足もとには数枚の小さな紙が散っていた。その新聞は競馬新聞で,散っている紙は馬券である。背景には数人の足もとが描かれていて,競馬場のスタンドにいる若者ふたりの絵なのだ。
「かがやきの日」,とタイトルが付いている。若者ふたりの服装は冬で,暗い色調の絵に,さからっているようなタイトルだ。
いきなり私がテッちゃんの肩を叩いた。私の顔をじっと見たテッちゃんが笑いだし,私も笑いだしてしまった。まだ50歳になるかならないかだった男がふたり,おじいさんになっていたのだ。
品川の居酒屋で再会の乾杯をした。
「あの絵は,おれと吉川良だよ。だから,見てほしかった」そうテッちゃんが笑みを浮かべ,
「そう思った,おれも。バーテン時代の,冬の京都競馬場のおれたちかなって」と私が言った。
「わかった?」
「わかったさ。しかし,かがやきの日,ときたね」
「はじめは冬の青春というタイトルだったの。ところが3月11日の大津波のあと,なんだか考えが変わって,おれがうっすらと記憶にある青春は,さびしいような空しいような暗い絵だけど,それを,かがやきといっていいのかもって思いだしたわけさ」
「生きていればすべてがかがやき。そう思うよなあ,あの東北の悲劇を見ると」
「見せたいものがあってさ,持ってきた」とテッちゃんがバッグから雑誌を出した。
1978年の雑誌「優駿」の4月号だった。
「捨てないでいた雑誌のなかにあったのさ。ほら,京都競馬場でばったり会ったころの」
「おれが薬品問屋にいて,関西へ出張中に競馬場へ行ったんだ」
「これ,これ」とテッちゃんが付箋をつけたページを開いた。
「昭和53年第2回京都競馬成績」で,1978年2月4日,京都11R。1着ポーラヘンリー(松田博資騎乗),2着タニノホーク(久保田敏彦騎乗)で連複1970円の記録が赤いインクで囲まれている。
「おれ,あのころ,すべてに絶望していて,行くところもなくて,アパートのとなりにいた彼女を誘って競馬場にいたんだ。人生最後の日みたいな気分のとき,あなたに会ったんだよ。
馬券も当たらなくて,うんざりしてたら,彼女がおれの誕生日を聞いたんだ。1月5日だって言ったら,何を考えたのか,彼女,①−⑤の馬券を買ってきたんだ。それがポーラヘンリーとタニノホーク。おれ,彼女を抱きたくなっちゃった。あの日,おれと彼女とあなたと,淀の駅近くでのんだの。あなたがね,いいこと言ったんだ。おれ,忘れてないの,それ。
おれが死にたいみたいなこと言ったんだ。そしたらあなたが,おれなんか,とっくの昔に死んじまって,死んじまってから生きてるので,いまさら死にたいだなんて考えないねって。
おれ,思ったよ。バーテンのころ,あなたはさ,けっこう客の前では陽気にしてたけど,ときどき競馬場でなんか,ひとりでうつむいていて暗かったなあって。だから,とっくの昔に死んじまって,と言った意味がおれにはわかるような気がしたのさ」
「おいおい,テッちゃん。すると,あの絵の,うつむいている若い奴は,おれっていうわけ?」
「そうだよ」とテッちゃんが声をたてて笑った。
次の日,私は馬主のMさんの見舞いに行った。車椅子に座ったMさんと病院の屋上へ行き,視界にひろがる東京湾を眺めていると,「競馬場へね,もういっぺん行きたいけど,夢になっちゃったなあ」Mさんがひとりごとのように言い,私はテッちゃんの絵,「かがやきの日」を思いだした。
テッちゃんとは年賀状を欠かさずに出しあい,年に2通か3通の便りをやりとりしているが,もう26年も会ってはいない。
いちど手紙でテッちゃんが整理してくれたのだが,テッちゃんと私は1960年に1年間,京都の酒場でいっしょに働き,よく京都競馬場へいっしょに行った。それから1度,1978年に京都競馬場で偶然に会った。そのときにテッちゃんが連れていた女性が弘前出身で,結婚をして,福井出身のテッちゃんが弘前で生活を始めた。
音信不通になったが,私が雑誌「優駿」に原稿を書きはじめたころ,優駿編集部気付でテッちゃんが手紙をくれ,1985年に雑誌「PHP」の取材仕事で弘前へ行ったとき,テッちゃん夫婦と酒をのんだ。テッちゃんはリンゴ農家で働きながら油絵を描き,いくつかの美術展で受賞していた。
テッちゃんと電話したことがない。賀状を見ると,電話番号があった。
「会おうよ」私が言い,
「会いたい。見せたいものがあるんだわ」とテッちゃんが言った。
5月中旬,銀座の画廊へ行く前夜,古い「中央競馬レコードブック」をひらきたくなった。たぶんテッちゃんといっしょに見たであろう京都競馬場での,天皇賞(春)と菊花賞の勝ち馬を知ろうとしたのだ。春の天皇賞は保田隆芳騎乗の,尾形藤吉厩舎のクリペロ。菊花賞は伊藤竹男騎乗の,久保田金造厩舎のキタノオーザだった。それを知ったからって何になろうと思いながら,そんなふうに知ろうとするほかに,人生に何があろうかと,私は自分と自分で会話をした。
雨が降りだした夕方,私は画廊に入って,誰かと談笑しているテッちゃんと顔を合わさぬようにして,テッちゃんの絵を探した。挨拶をするより先に,絵と向きあいたかったのだ。
タテ40センチ,ヨコ50センチほどの油彩である。どちらも新聞を手にした若者がふたり,ベンチに座っている。ひとりはうつむき,ひとりは遠くを見ているような顔。足もとには数枚の小さな紙が散っていた。その新聞は競馬新聞で,散っている紙は馬券である。背景には数人の足もとが描かれていて,競馬場のスタンドにいる若者ふたりの絵なのだ。
「かがやきの日」,とタイトルが付いている。若者ふたりの服装は冬で,暗い色調の絵に,さからっているようなタイトルだ。
いきなり私がテッちゃんの肩を叩いた。私の顔をじっと見たテッちゃんが笑いだし,私も笑いだしてしまった。まだ50歳になるかならないかだった男がふたり,おじいさんになっていたのだ。
品川の居酒屋で再会の乾杯をした。
「あの絵は,おれと吉川良だよ。だから,見てほしかった」そうテッちゃんが笑みを浮かべ,
「そう思った,おれも。バーテン時代の,冬の京都競馬場のおれたちかなって」と私が言った。
「わかった?」
「わかったさ。しかし,かがやきの日,ときたね」
「はじめは冬の青春というタイトルだったの。ところが3月11日の大津波のあと,なんだか考えが変わって,おれがうっすらと記憶にある青春は,さびしいような空しいような暗い絵だけど,それを,かがやきといっていいのかもって思いだしたわけさ」
「生きていればすべてがかがやき。そう思うよなあ,あの東北の悲劇を見ると」
「見せたいものがあってさ,持ってきた」とテッちゃんがバッグから雑誌を出した。
1978年の雑誌「優駿」の4月号だった。
「捨てないでいた雑誌のなかにあったのさ。ほら,京都競馬場でばったり会ったころの」
「おれが薬品問屋にいて,関西へ出張中に競馬場へ行ったんだ」
「これ,これ」とテッちゃんが付箋をつけたページを開いた。
「昭和53年第2回京都競馬成績」で,1978年2月4日,京都11R。1着ポーラヘンリー(松田博資騎乗),2着タニノホーク(久保田敏彦騎乗)で連複1970円の記録が赤いインクで囲まれている。
「おれ,あのころ,すべてに絶望していて,行くところもなくて,アパートのとなりにいた彼女を誘って競馬場にいたんだ。人生最後の日みたいな気分のとき,あなたに会ったんだよ。
馬券も当たらなくて,うんざりしてたら,彼女がおれの誕生日を聞いたんだ。1月5日だって言ったら,何を考えたのか,彼女,①−⑤の馬券を買ってきたんだ。それがポーラヘンリーとタニノホーク。おれ,彼女を抱きたくなっちゃった。あの日,おれと彼女とあなたと,淀の駅近くでのんだの。あなたがね,いいこと言ったんだ。おれ,忘れてないの,それ。
おれが死にたいみたいなこと言ったんだ。そしたらあなたが,おれなんか,とっくの昔に死んじまって,死んじまってから生きてるので,いまさら死にたいだなんて考えないねって。
おれ,思ったよ。バーテンのころ,あなたはさ,けっこう客の前では陽気にしてたけど,ときどき競馬場でなんか,ひとりでうつむいていて暗かったなあって。だから,とっくの昔に死んじまって,と言った意味がおれにはわかるような気がしたのさ」
「おいおい,テッちゃん。すると,あの絵の,うつむいている若い奴は,おれっていうわけ?」
「そうだよ」とテッちゃんが声をたてて笑った。
次の日,私は馬主のMさんの見舞いに行った。車椅子に座ったMさんと病院の屋上へ行き,視界にひろがる東京湾を眺めていると,「競馬場へね,もういっぺん行きたいけど,夢になっちゃったなあ」Mさんがひとりごとのように言い,私はテッちゃんの絵,「かがやきの日」を思いだした。