烏森発牧場行き
第318便 表札看板アルバム
2021.06.18
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「いつになったらコロナウイルス戦争は終わるのでしょうか。仕事が切れない木工場にいるぼくは幸運なのですが、居酒屋やバス会社で働いている友だちは、まったく収入がなくなっている人もいて、絶望的になっています。
ぼくは相変わらず、看板追っかけを楽しみにしています。4月になってからは4日の中山10R両国特別で、(株)松浦牧場のシャチが15頭立て10番人気なのに勝ちました。単勝は2,820円。それを100円買ってたからどうだ、と言われそうですが、ぼくにはスゴイことなのです。
その日は阪神の4歳以上2勝クラスで、(有)新冠タガノファームのダイシンイナリも勝ちました。16頭立て5番人気で単勝は1,030円。スゴイです。
あとで気づいたのですが、ぼくの牧場表札看板アルバムに、地名を書き残すべきでした。新冠タガノファームは分かりますが、松浦牧場もたしか新冠だったかなあと迷ってしまいます。
4月10日の新潟9R 4歳以上1勝クラスで、(有)真歌田中牧場のバーンパッションも15頭立て10番人気で単勝2,290円。超ウレシカッタ。
4月11日の桜花賞に(有)天羽牧場のシゲルピンクルビーが出走したのもうれしかったです。
天羽牧場からは皐月賞にワールドリバイバルも出走しました。うれしかった。
4月24日、阪神12R 4歳以上2勝クラスで、(有)杵臼牧場のロッキーサンダーが勝ちました。杵臼牧場の近くで、野良犬のような黒い大型犬に吠えられ、車に逃げこんだのは忘れられません」
こうした手紙を八王子市に住む高橋陽平が送ってくるのだが、手紙に書いてある「看板追っかけ」は、私にしか分からないだろう。その意味を私は書きたくなった。
もう長い年月、横浜市にある養護施設に、私は年に何度か話をしに行く。話といっても、ほとんど冗談を言いに行くようなものだけれど。
施設出身の高橋陽平が、横浜の港に近いバーで働いていると電話をしてきた。18歳の時に彼が川崎の鉄工所に住み込みで就職したのは知っていたが、どうやら職を変えたらしい。
22歳になってバーテン見習いをしている高橋陽平にバーで会った。
「初めて言うんだけど、ぼくの父親、狂の字のつく競馬好きだったんですよ。休みの日はほとんど競馬場へ行ってた。それで府中に住んだらしいんだけど」
と言う高橋陽平は7歳の時、両親を交通事故で失っている。
「迷ってるんですよね、競馬場へ行こうか行くまいか。なんで迷うのか分からないんだけど」
そう言う陽平に、
「おれはなんとも言えないね」
と私は笑いかけた。
その晩、馬券を買っているというバーテンと陽平と私とで、「もし自分の馬を持ったら、どんな名前をつける?」という遊びをした。私がよく持ちかける遊びである。
小さなメモ用紙に陽平が書いたのは、「イマサラ」、「シカタナイ」、「ダマルシカナイ」の3つだった。
「いい名前だね。覚悟があって」
とだけ私は言った。陽平の、孤児としての心情が伝わってきて、それしか私は言えなかった。
数日して陽平から、競馬場へ行ってみたいという電話がきた。私の記録ノートで調べると、2018年12月15日に陽平は、私と中山競馬場へ行っている。
そこでうれしい事件が起きた。中山11RターコイズSがおわったとき、「ぼく、当てた」と陽平が、うれしすぎて顔色を変え、少しふるえた。1着ミスパンテールと2着リバティハイツの馬連③-⑦を500円持っているというのだ。配当は1万5,220円である。8Rから始めたのだが、12Rまで馬連③-⑦を500円ずつ買っていたのだった。
「どうして③-⑦?」
私が聞き、
「母親と乗ってた父親の車が、暴走トラックにやられたのが、2003年3月7日」
と陽平が言った。
競馬を好きになってしまった陽平は、2019年の冬と春、休日のほとんどを、ひとりで競馬場にいたようだ。
「今、車の免許を取りに行ってるんだけど、もし取ったら、北海道へ行って、牧場めぐりをしてみたい」
そう陽平が言いだした。
「どうして、そう思った」
と私が聞いた。
「そう思ったんだけど、どうしてと聞かれてもわからない。どうしてそう思ったのか、実際にそれをやってみればわかるのかもしれない」
という陽平の返事を聞いて、ああ、そうなのかもしれないと、私は何かを教えてもらったような気持ちになった。
2019年5月、レンタカーでの牧場めぐりの旅に出た陽平は、静内から、新冠から、三石から、浦河からハガキを送ってきた。
「放牧地にいる馬を見ていると、その馬が何という馬の子とか、どんな成績だったのかとか、これからどんな戦いをしに行くのかとかいうことより、競走馬という生きものの存在は孤独で、その孤独は、ぼくみたいな孤児の人生の孤独と、とても似ているような気がする」
と書いてあったり、
「馬よりも、その馬のいる牧場の、表札というか、看板を、ぼくはしっかり写真に撮ろうと、シャッターを押しています。帰ったら、そのアルバムを作って、自分の記念にしたいです」
と書いてあったりした。
バーをやめ、三鷹の木工所に就職し、家具職人への道を歩きはじめた陽平は、その記念アルバムにある牧場の生産馬が出走すると、100円の単勝を買って競馬とつきあっている。
新型コロナウイルスのために、自由に競馬場へ行けなくなった。
「自分の行きたい所、競馬場しかないのに」
と天皇賞・春の前日、陽平が電話で言った。
「何を買う?」
私が聞き、
「ジャコマル。(有)新冠橋本牧場出身」
と陽平の声が返ってきた。
ぼくは相変わらず、看板追っかけを楽しみにしています。4月になってからは4日の中山10R両国特別で、(株)松浦牧場のシャチが15頭立て10番人気なのに勝ちました。単勝は2,820円。それを100円買ってたからどうだ、と言われそうですが、ぼくにはスゴイことなのです。
その日は阪神の4歳以上2勝クラスで、(有)新冠タガノファームのダイシンイナリも勝ちました。16頭立て5番人気で単勝は1,030円。スゴイです。
あとで気づいたのですが、ぼくの牧場表札看板アルバムに、地名を書き残すべきでした。新冠タガノファームは分かりますが、松浦牧場もたしか新冠だったかなあと迷ってしまいます。
4月10日の新潟9R 4歳以上1勝クラスで、(有)真歌田中牧場のバーンパッションも15頭立て10番人気で単勝2,290円。超ウレシカッタ。
4月11日の桜花賞に(有)天羽牧場のシゲルピンクルビーが出走したのもうれしかったです。
天羽牧場からは皐月賞にワールドリバイバルも出走しました。うれしかった。
4月24日、阪神12R 4歳以上2勝クラスで、(有)杵臼牧場のロッキーサンダーが勝ちました。杵臼牧場の近くで、野良犬のような黒い大型犬に吠えられ、車に逃げこんだのは忘れられません」
こうした手紙を八王子市に住む高橋陽平が送ってくるのだが、手紙に書いてある「看板追っかけ」は、私にしか分からないだろう。その意味を私は書きたくなった。
もう長い年月、横浜市にある養護施設に、私は年に何度か話をしに行く。話といっても、ほとんど冗談を言いに行くようなものだけれど。
施設出身の高橋陽平が、横浜の港に近いバーで働いていると電話をしてきた。18歳の時に彼が川崎の鉄工所に住み込みで就職したのは知っていたが、どうやら職を変えたらしい。
22歳になってバーテン見習いをしている高橋陽平にバーで会った。
「初めて言うんだけど、ぼくの父親、狂の字のつく競馬好きだったんですよ。休みの日はほとんど競馬場へ行ってた。それで府中に住んだらしいんだけど」
と言う高橋陽平は7歳の時、両親を交通事故で失っている。
「迷ってるんですよね、競馬場へ行こうか行くまいか。なんで迷うのか分からないんだけど」
そう言う陽平に、
「おれはなんとも言えないね」
と私は笑いかけた。
その晩、馬券を買っているというバーテンと陽平と私とで、「もし自分の馬を持ったら、どんな名前をつける?」という遊びをした。私がよく持ちかける遊びである。
小さなメモ用紙に陽平が書いたのは、「イマサラ」、「シカタナイ」、「ダマルシカナイ」の3つだった。
「いい名前だね。覚悟があって」
とだけ私は言った。陽平の、孤児としての心情が伝わってきて、それしか私は言えなかった。
数日して陽平から、競馬場へ行ってみたいという電話がきた。私の記録ノートで調べると、2018年12月15日に陽平は、私と中山競馬場へ行っている。
そこでうれしい事件が起きた。中山11RターコイズSがおわったとき、「ぼく、当てた」と陽平が、うれしすぎて顔色を変え、少しふるえた。1着ミスパンテールと2着リバティハイツの馬連③-⑦を500円持っているというのだ。配当は1万5,220円である。8Rから始めたのだが、12Rまで馬連③-⑦を500円ずつ買っていたのだった。
「どうして③-⑦?」
私が聞き、
「母親と乗ってた父親の車が、暴走トラックにやられたのが、2003年3月7日」
と陽平が言った。
競馬を好きになってしまった陽平は、2019年の冬と春、休日のほとんどを、ひとりで競馬場にいたようだ。
「今、車の免許を取りに行ってるんだけど、もし取ったら、北海道へ行って、牧場めぐりをしてみたい」
そう陽平が言いだした。
「どうして、そう思った」
と私が聞いた。
「そう思ったんだけど、どうしてと聞かれてもわからない。どうしてそう思ったのか、実際にそれをやってみればわかるのかもしれない」
という陽平の返事を聞いて、ああ、そうなのかもしれないと、私は何かを教えてもらったような気持ちになった。
2019年5月、レンタカーでの牧場めぐりの旅に出た陽平は、静内から、新冠から、三石から、浦河からハガキを送ってきた。
「放牧地にいる馬を見ていると、その馬が何という馬の子とか、どんな成績だったのかとか、これからどんな戦いをしに行くのかとかいうことより、競走馬という生きものの存在は孤独で、その孤独は、ぼくみたいな孤児の人生の孤独と、とても似ているような気がする」
と書いてあったり、
「馬よりも、その馬のいる牧場の、表札というか、看板を、ぼくはしっかり写真に撮ろうと、シャッターを押しています。帰ったら、そのアルバムを作って、自分の記念にしたいです」
と書いてあったりした。
バーをやめ、三鷹の木工所に就職し、家具職人への道を歩きはじめた陽平は、その記念アルバムにある牧場の生産馬が出走すると、100円の単勝を買って競馬とつきあっている。
新型コロナウイルスのために、自由に競馬場へ行けなくなった。
「自分の行きたい所、競馬場しかないのに」
と天皇賞・春の前日、陽平が電話で言った。
「何を買う?」
私が聞き、
「ジャコマル。(有)新冠橋本牧場出身」
と陽平の声が返ってきた。