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第332便 こんなときにも

2022.08.10
 私の家の近くに、出版社で働く若い女性がいる。彼女はかなりの酒好きで、休みの日など、
 「わたしの家、みんなお酒がダメで、昼にビールなんかのんだら、変質者扱いされちゃう」
 と私の家にビールをのみにきたりする。
 その彼女が、雑誌の投稿歌で感動しちゃったと、
 「ああ、こんなときにも空をきれいだと思っていいの 自転車をこぐ」
 という歌を教えてくれた。
 この作者、きっとウクライナのことを感じながらの歌だと、彼女も私も言い、日常的な雑用をしながらも、ふと、ウクライナの戦争のことが浮かんで、空をきれいだなんて思ってる場合じゃないなあとか思ってしまうよね、と彼女も私も同じように受けとった。
 「本当におれ、ダービーの日に競馬場にいたけど、こんなときにダービーがうれしくてもいいのかなって、ウクライナがちらついた」
 そう私が言い、
 「わたしもビールのみながら、こんな幸せな気分になっていていいのかなあって思っちゃう」
 と彼女が笑った。
 ロシアの人気作家、ミハイル・シーシキンは、今61歳だが、30代からスイスに住んでいる。ミハイル・シーシキンの父はロシア人、母はウクライナ人だ。
 「なぜ、プーチンはこんなにもウクライナを憎むのか?ウクライナは私たちが共有する、むごたらしく血にまみれた過去から逃れることができ、民主的な未来を築く道を選んだ。ロシアの僣称者(訳注―ロシアでは歴史上、皇位を勝手に名乗る人物がたびたび出現した)はそれが気にくわないから憎むのだ。自由で民主的なウクライナが、打ちのめされたロシア人の規範となり得るからだ。プーチンにとってウクライナを破壊することがこれほど大事なのはそのためだ。しかし、プーチンがこの戦争で勝利を収めることはできない」
 とミハイル・シーシキンは言う。
 ああ、空をきれいと思っていいの?
 2022年6月26日、第63回宝塚記念で横山和生騎乗のタイトルホルダーが、2分9秒7のレースレコードおよびコースレコードで勝った日、おつきあいのある馬主の山田弘さんに、
 「すげえ!すげえ!すげえ!」
 とハガキを書いているとケイタイが鳴り、横浜の根岸に住むイシケンさんからだった。本名が石田健二で呼び名がイシケンさん、74歳。数年前まで電気工事業を営んでいたが、廃業した。
 「モア先生がね、7月の下旬に入院するんですよ。どうも甲状腺に変なものがあるらしくて、本人、かなり不安そう。
 それでね、わたし、いろいろ考えてるうち、伊原さんとも相談して、モア先生を励ます会をやろうじゃないかって。
野田くんにも佐瀬くんにも話したら、みんな賛成で、7月3日に私の家でやることになったんですよ。それでね、みんながね、もしリョウさんも来てくれたら、モア先生、よろこぶだろうって」
 という電話だった。
 電話に出てくるモア先生は、本名が伊藤幸雄で、只今82歳。昔は私立女子高校の国語教師。伊原洋平は税理士で、只今70歳。野田拓真と佐瀬純平はともにカード会社勤務で、どちらも38歳だ。
 みんな、ウインズ横浜近くの酒場で知りあった競馬仲間だ。コロナ禍でずいぶん会っていないが、たまにケイタイでのやりとりは続いている。

 この仲間たちとの思い出のひとつに、2009年の夏の、牧場めぐりがある。私が6月から9月まで、北海道新冠の、ビッグレッドファーム明和で暮らしていたとき、ワゴン車をレンタルして5人がやってきて、私のいた家に2泊した。
 種牡馬ステイゴールドがいる放牧地を背景に、ビッグレッドファームのボスの岡田繁幸さんといっしょの写真は、5人にとっての貴重品になった。
 「知らせてくれてありがとうですよ。モア先生、元気でいてくれなくちゃ」
 と7月3日の参加を言って電話を終えた私は、
 「アドバンスモア、菅原泰夫」
 と声にはせずに言ってみた。
 横浜の野毛の酒場で伊藤幸雄から聞いた話を私は忘れられない。1988(昭和63)年5月、あと半月でダービーという日に伊藤幸雄の父の勇吉が亡くなった。
 川崎で洋服の仕立て職人だった勇吉は競馬好きで、休みにはほとんど競馬場へ出かけた。息を引きとる数日前、紙とボールペンをほしがり、「カブラヤオー、テスコガビー、すがわらやすお」と書き、おれが好きだったすがわらが、今年もダービーに出るんだ、と言ったそうだ。
 父親に逆らって、競馬に背を向けていた伊藤幸雄は、カブラヤオー、テスコガビー、菅原泰夫を調べ、ダービーの日、骨になってしまった父親の身代わりに、東京競馬場へ行ったという。
 48歳での初体験だった伊藤幸雄は、パドックの人の群れにもぐりこみ、菅原泰夫が乗るアドバンスモアを目で追い、近くの人に馬券の買い方を教えてもらい、アドバンスモアの単勝を千円買った。
 24頭立てでアドバンスモアは8枠の馬番㉔。混雑するスタンドで、大差のビリだったのをどうにか見届け、翌日の新聞で、1着がサクラチヨノオー、2着がメジロアルダン。アドバンスモアは24番人気の24着だったと知った。
 その話を聞いて私は、伊藤幸雄が学校の先生なので、アドバンスモアのモアをとって「モア先生」と呼ぶことにし、本人も気に入ってるようで、仲間たちも同じになった。
 7月3日の昼、野田と佐瀬が車で川崎のモア先生をむかえに行き、イシケンさんの家に6人が集まった。ずいぶんと痩せてしまったモア先生も、あらためての、ひとりひとりとの握手に心をこめてうれしそうだった。
 「あのさ、今日のCBC賞に女性騎手の今村聖奈が重賞初挑戦するでしょ。モア先生を励ます会の記念に、全員で単勝を買いませんか」
 と伊原洋平が提案し、みんなが千円を置き、イシケンさんがスマホで馬券を買った。
 テレビ画面で今村聖奈のテイエムスパーダが超ハイペースで飛ばす。「セイナ、セイナ」とみんなの声が飛び、テイエムスパーダが圧勝した。
 窓の外の空は青くてきれいだった。
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