烏森発牧場行き
第333便 ラブリーハッチ
2022.09.09
Tweet
2021年8月のこと、
「リョウさんが危ない状況から回復したのを知り、深夜近くにひとりで酒のグラスを持ちあげ、よかった、よかったと、乾杯をしました。
そのあと、友だち、人生での友だちということについて、いろいろと考えてみました。
リョウさんとは競馬を通じて友だちになったわけですが、人生の意味を語りあえる友だちとなり、友だちがいるという幸福を思いめぐらしていると、リョウさん、いなくならなくてよかったと、心の底からうれしくなりました。
わたしは思いがけずに、本当に思いがけずに、妻を亡くすという経験をして、ああ、妻も、かけがえのない友だちだったのだと、はっきり知ったのでした。
年月が過ぎ、歳月の流れのなかで、そうした意味を理解している貴美子と出会い、元気に仕事に打ちこめる日日にも、併せて乾杯をしました」
という手紙を私は、大阪府貝塚市で診療所を営む医師の濱田吉通からもらっている。
もう30年も昔から、社台グループ共有馬主クラブ会員の牧場ツアーで、年に一度は濱田家とは会っていて、ほかにも東京や横浜で学会などがあるとき、出かけてきた濱田吉通と酒をのんできた。ほかに、年に何度かの手紙のやりとりもする。
「本年4月に亡き妻肇子の七回忌を行ったときも、時間というもの、時間の流れというものを考えましたが、さまざま、昨日のことのように思いだすこともあって、時間の不思議さも感じました。
彼女の生前に約束したことがありました。もし個人馬主になった最初の仔は、ラブリーハッチという名前にしてねと、彼女が笑ったのです。ハッチは彼女のニックネームでした。
その気になって千葉のセールでゴールドアリュールの牝馬を落札。社台の紹介で浜田多実雄厩舎に入厩。中央交流の園田で2勝、高知で1勝。中央の3勝クラスでは苦戦。今は船橋の山下貴之厩舎に移っています」
という便りは2021年11月にきた。その便りには、同じく千葉せりで購入したストロングリターンの牡馬ニフティギフト、3頭目のルーラーシップ産駒の牡馬キャンディボイスのこと。現在は濱田家を支えている貴美子夫人への感謝。あとは牧場ツアーの昔での、吉川良との時間をおぼえているという長男で歯科医となった吉広のこと、大学病院で研修医となっている長女の通果のことも綴られていた。
2022年の年賀状には、
「本年の目標のひとつ。吉川良のように、太字万年筆で手紙を書きたいと思っています」
と活字の文章にペンで書きそえてあった。
バローネターフやギャロップダイナやダイナアクトレスやスルーオダイナやブロードマインドを走らせた元調教師の矢野進の野辺送りをした2月21日、濱田貴美子から、
「突然ではございますが、先代濱田通夫が昭和五十三年より開業し、二世代にわたり四十四年間、脇浜の地で診療を続けてまいりました脇浜診療所は、このたび濱田吉通の急逝により、令和四年一月十五日で閉院いたしました」
と活字での便りがきた。
驚いて読みかえした。どうしたのだろう。何が起きたのだろう。2019年の牧場ツアーで、追分ファームの草の上で、濱田吉通と貴美子と、たくさん笑ったのを思いだした。
濱田吉通、69歳。そう何かに告げ、茫然と宙を見つめた。
コロナ禍で身動きできない。ただ私は、濱田貴美子に手紙を書くしかなかった。
返事は8月にきた。
「お返事をと何度も何度も書きかけましたが、吉通さんを失った悲しみがあふれて、書き終えられずにおりました。お許し下さい。
吉通さんのゲームセットはあまりに突然で本人がいちばん驚いているでしょう。1月15日土曜日の朝、洗面所で倒れて救急車で搬送。そのまま旅立ちました。数日前から体調不良を訴えていましたが自分で薬を処方し、仕事もしてまし た。
検死(死亡)診断書には「急性虚血性心疾患(疑)」と記載されましたが、搬送先の病院では薬が効かないから頭でしょうと。原因不明です。
1月19日は吉通さんの70歳の誕生日で、記念写真を撮ろうとか言っていたのに。
とても愛情深い人でしたので、亡くなってから、いっそう愛情の深さを感じます。
所有馬を1か月以内にどうするか決めなければならない。必死にもがきながらの日日、いろいろな人に相談し、相続限定馬主を選択しました。
2021年10月15日の川崎でのレース後、長期休養となったラブリーハッチが、2022年7月25日、船橋9R出走となりました。
日帰り出来るなら行かなければ。吉通さんの遺影と船橋競馬場へ行きました。パドックで久しぶりにラブリーハッチに会いました。体重が絞りきれずにプラス39キロ。
馬主席のいちばん前の席に吉通さんの遺影を置いて、わたしはずうっと手を合わせていました。
スタートして先行。涙が出てきたけれどもわたしは逃げているラブリーハッチをしっかり見ていなければと。遺影を握りしめていて、息苦しくなって、追いこまれたけど突きはなして、ラブリーハッチは3馬身差でゴールして、わたしはずうっと目をつぶったままでした。
口取りを吉通さんの遺影といっしょにし、ラブリーハッチに触って、ありがとう、と言いました。うまく口がまわらなかったけれど。
たくさんのことが変わってしまった日日で、変わらないこともあるなと、それを頼りにして毎日をむかえています。
吉通さんが近くにいてくれているんだなあと、そう感じることもいろいろ、たびたびあります。どうか吉通さんのためにも、お元気でいてください」
私は手紙を読み、その手紙を濱田吉通に聞かせるように、聞かせているつもりになって、もういちど、声にはしなかったけれど、声に出しているように読んだ。
友だちは大切だ。友だちがいないと元気がなくなる。あらためてそう思いながら、「濱田吉通」と、声に出して言ってみた。
「リョウさんが危ない状況から回復したのを知り、深夜近くにひとりで酒のグラスを持ちあげ、よかった、よかったと、乾杯をしました。
そのあと、友だち、人生での友だちということについて、いろいろと考えてみました。
リョウさんとは競馬を通じて友だちになったわけですが、人生の意味を語りあえる友だちとなり、友だちがいるという幸福を思いめぐらしていると、リョウさん、いなくならなくてよかったと、心の底からうれしくなりました。
わたしは思いがけずに、本当に思いがけずに、妻を亡くすという経験をして、ああ、妻も、かけがえのない友だちだったのだと、はっきり知ったのでした。
年月が過ぎ、歳月の流れのなかで、そうした意味を理解している貴美子と出会い、元気に仕事に打ちこめる日日にも、併せて乾杯をしました」
という手紙を私は、大阪府貝塚市で診療所を営む医師の濱田吉通からもらっている。
もう30年も昔から、社台グループ共有馬主クラブ会員の牧場ツアーで、年に一度は濱田家とは会っていて、ほかにも東京や横浜で学会などがあるとき、出かけてきた濱田吉通と酒をのんできた。ほかに、年に何度かの手紙のやりとりもする。
「本年4月に亡き妻肇子の七回忌を行ったときも、時間というもの、時間の流れというものを考えましたが、さまざま、昨日のことのように思いだすこともあって、時間の不思議さも感じました。
彼女の生前に約束したことがありました。もし個人馬主になった最初の仔は、ラブリーハッチという名前にしてねと、彼女が笑ったのです。ハッチは彼女のニックネームでした。
その気になって千葉のセールでゴールドアリュールの牝馬を落札。社台の紹介で浜田多実雄厩舎に入厩。中央交流の園田で2勝、高知で1勝。中央の3勝クラスでは苦戦。今は船橋の山下貴之厩舎に移っています」
という便りは2021年11月にきた。その便りには、同じく千葉せりで購入したストロングリターンの牡馬ニフティギフト、3頭目のルーラーシップ産駒の牡馬キャンディボイスのこと。現在は濱田家を支えている貴美子夫人への感謝。あとは牧場ツアーの昔での、吉川良との時間をおぼえているという長男で歯科医となった吉広のこと、大学病院で研修医となっている長女の通果のことも綴られていた。
2022年の年賀状には、
「本年の目標のひとつ。吉川良のように、太字万年筆で手紙を書きたいと思っています」
と活字の文章にペンで書きそえてあった。
バローネターフやギャロップダイナやダイナアクトレスやスルーオダイナやブロードマインドを走らせた元調教師の矢野進の野辺送りをした2月21日、濱田貴美子から、
「突然ではございますが、先代濱田通夫が昭和五十三年より開業し、二世代にわたり四十四年間、脇浜の地で診療を続けてまいりました脇浜診療所は、このたび濱田吉通の急逝により、令和四年一月十五日で閉院いたしました」
と活字での便りがきた。
驚いて読みかえした。どうしたのだろう。何が起きたのだろう。2019年の牧場ツアーで、追分ファームの草の上で、濱田吉通と貴美子と、たくさん笑ったのを思いだした。
濱田吉通、69歳。そう何かに告げ、茫然と宙を見つめた。
コロナ禍で身動きできない。ただ私は、濱田貴美子に手紙を書くしかなかった。
返事は8月にきた。
「お返事をと何度も何度も書きかけましたが、吉通さんを失った悲しみがあふれて、書き終えられずにおりました。お許し下さい。
吉通さんのゲームセットはあまりに突然で本人がいちばん驚いているでしょう。1月15日土曜日の朝、洗面所で倒れて救急車で搬送。そのまま旅立ちました。数日前から体調不良を訴えていましたが自分で薬を処方し、仕事もしてまし た。
検死(死亡)診断書には「急性虚血性心疾患(疑)」と記載されましたが、搬送先の病院では薬が効かないから頭でしょうと。原因不明です。
1月19日は吉通さんの70歳の誕生日で、記念写真を撮ろうとか言っていたのに。
とても愛情深い人でしたので、亡くなってから、いっそう愛情の深さを感じます。
所有馬を1か月以内にどうするか決めなければならない。必死にもがきながらの日日、いろいろな人に相談し、相続限定馬主を選択しました。
2021年10月15日の川崎でのレース後、長期休養となったラブリーハッチが、2022年7月25日、船橋9R出走となりました。
日帰り出来るなら行かなければ。吉通さんの遺影と船橋競馬場へ行きました。パドックで久しぶりにラブリーハッチに会いました。体重が絞りきれずにプラス39キロ。
馬主席のいちばん前の席に吉通さんの遺影を置いて、わたしはずうっと手を合わせていました。
スタートして先行。涙が出てきたけれどもわたしは逃げているラブリーハッチをしっかり見ていなければと。遺影を握りしめていて、息苦しくなって、追いこまれたけど突きはなして、ラブリーハッチは3馬身差でゴールして、わたしはずうっと目をつぶったままでした。
口取りを吉通さんの遺影といっしょにし、ラブリーハッチに触って、ありがとう、と言いました。うまく口がまわらなかったけれど。
たくさんのことが変わってしまった日日で、変わらないこともあるなと、それを頼りにして毎日をむかえています。
吉通さんが近くにいてくれているんだなあと、そう感じることもいろいろ、たびたびあります。どうか吉通さんのためにも、お元気でいてください」
私は手紙を読み、その手紙を濱田吉通に聞かせるように、聞かせているつもりになって、もういちど、声にはしなかったけれど、声に出しているように読んだ。
友だちは大切だ。友だちがいないと元気がなくなる。あらためてそう思いながら、「濱田吉通」と、声に出して言ってみた。