第5コーナー ~競馬余話~
第10回 幸せな黄金旅程
2009.01.25
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日本でジャパンカップが行われ,スクリーンヒーローがG1馬の仲間入りを果たした11月30日,シンガポールでも1頭のG1馬が誕生した。
日本を離れ,現地で活躍する高岡秀行調教師(52)が育てているエルドラドだ。地元の大レース,シンガポールゴールドカップ(シンガポールG1,芝2200メートル)に出走し,直線で先頭に立つと,2着馬の追い込みを頭差でしのいで初のG1制覇を果たした。エルドラドは日本産。父ステイゴールド,母ホワイトリープ,母の父ホワイトマズルという血統の4歳のせん馬である。
04年3月,エルドラドは北海道・浦河の高野牧場で生まれた。06年5月に行われた「ひだかトレーニングセール」に出場し,大谷正嗣さんに525万円で落札された。同年11月にシンガポールでデビュー。初勝利まで9戦を要したが,この白星をきっかけに3連勝。距離が延びるにつれて成績を上げ,今年7月のシンガポールダービーでは2着になっていた。
シンガポールゴールドカップは,シンガポール航空国際カップと並ぶ地元の大レースだ。賞金総額はシンガポール航空国際カップに次ぐ国内2番目だという。高岡調教師はこのレースにもう1頭の管理馬ジェイドも出走させ,4着に食い込ませている。
振り返ってみれば,エルドラドの父ステイゴールドは海外のG1レースを制した初めての日本産馬だった。01年12月16日,香港・シャティン競馬場で行われた香港ヴァーズ(芝2400メートル)に武豊騎手を背に出走。最後の直線で猛然と追い込み,デットーリ騎手のエーカーを頭差下した。それまでタイキシャトル(USA)やアグネスデジタル(USA)など外国産の日本調教馬しか海外G㈵に勝てなかったのを,ステイゴールドが一気にひっくり返してみせた。
ステイゴールドはこれが50戦目で引退レースだった。G1に挑戦すること20度目で初めての優勝という劇的なレースとなった。ステイゴールドは,判官びいきの競馬ファンに愛された。走っても走っても届かないG1タイトル。しかも420〜430キロという小さな体で頑張る姿が共感を増幅させた。弱かった頃の阪神タイガース,浦和レッズと共通したような思いがファンにアピールした。
G1での成績は【1−4−2−13】。重賞レースにそれを広げても【4−7−7−20】で,初めて重賞を制したのは6歳5月の目黒記念。97年10月の京都新聞杯で初めて重賞に出走して,26戦目だった。
そんな「勝負弱い」はずのステイゴールドの子どもたちが実に「勝負強い」から競馬は面白い。
08年はステイゴールド2世が重賞で勝ち星を伸ばした。11月が終わった時点でマイネレーツェル,サンライズマックス,ドリームジャーニー,アルコセニョーラ,ナカヤマフェスタの5頭が計7勝を挙げた。
マイネレーツェルはフィリーズレビュー,ローズSでともに鼻差勝ち。2歳のナカヤマフェスタも首差勝ちと,ステイゴールド2世はとにかくゴール前の競り合いに強いのだ。ヒトの親はよく「似て欲しくないところが似て,似て欲しいところは似てない」と,わが子の気質を嘆くことが多い。しかしステイゴールドの場合は「一番似て欲しくないところが似なかった」稀有な例になった。同じく08年11月までの集計で産駒の重賞成績は【12−0−8−67】。なんと1着か2着かの争いでは,ことごとく白星に結びつけている。
ステイゴールドが香港ヴァーズに出走した時,与えられた漢字の馬名は「黄金旅程」だった。現役時代の長く,ファンに愛された「旅程」といい,産駒が走り始めて4年目で花開いてくる種牡馬としての「旅程」といい,どちらも「黄金色」に輝いているように見える。幸せなサラブレッドである。
JBBA NEWS 2009年1月号より転載
日本を離れ,現地で活躍する高岡秀行調教師(52)が育てているエルドラドだ。地元の大レース,シンガポールゴールドカップ(シンガポールG1,芝2200メートル)に出走し,直線で先頭に立つと,2着馬の追い込みを頭差でしのいで初のG1制覇を果たした。エルドラドは日本産。父ステイゴールド,母ホワイトリープ,母の父ホワイトマズルという血統の4歳のせん馬である。
04年3月,エルドラドは北海道・浦河の高野牧場で生まれた。06年5月に行われた「ひだかトレーニングセール」に出場し,大谷正嗣さんに525万円で落札された。同年11月にシンガポールでデビュー。初勝利まで9戦を要したが,この白星をきっかけに3連勝。距離が延びるにつれて成績を上げ,今年7月のシンガポールダービーでは2着になっていた。
シンガポールゴールドカップは,シンガポール航空国際カップと並ぶ地元の大レースだ。賞金総額はシンガポール航空国際カップに次ぐ国内2番目だという。高岡調教師はこのレースにもう1頭の管理馬ジェイドも出走させ,4着に食い込ませている。
振り返ってみれば,エルドラドの父ステイゴールドは海外のG1レースを制した初めての日本産馬だった。01年12月16日,香港・シャティン競馬場で行われた香港ヴァーズ(芝2400メートル)に武豊騎手を背に出走。最後の直線で猛然と追い込み,デットーリ騎手のエーカーを頭差下した。それまでタイキシャトル(USA)やアグネスデジタル(USA)など外国産の日本調教馬しか海外G㈵に勝てなかったのを,ステイゴールドが一気にひっくり返してみせた。
ステイゴールドはこれが50戦目で引退レースだった。G1に挑戦すること20度目で初めての優勝という劇的なレースとなった。ステイゴールドは,判官びいきの競馬ファンに愛された。走っても走っても届かないG1タイトル。しかも420〜430キロという小さな体で頑張る姿が共感を増幅させた。弱かった頃の阪神タイガース,浦和レッズと共通したような思いがファンにアピールした。
G1での成績は【1−4−2−13】。重賞レースにそれを広げても【4−7−7−20】で,初めて重賞を制したのは6歳5月の目黒記念。97年10月の京都新聞杯で初めて重賞に出走して,26戦目だった。
そんな「勝負弱い」はずのステイゴールドの子どもたちが実に「勝負強い」から競馬は面白い。
08年はステイゴールド2世が重賞で勝ち星を伸ばした。11月が終わった時点でマイネレーツェル,サンライズマックス,ドリームジャーニー,アルコセニョーラ,ナカヤマフェスタの5頭が計7勝を挙げた。
マイネレーツェルはフィリーズレビュー,ローズSでともに鼻差勝ち。2歳のナカヤマフェスタも首差勝ちと,ステイゴールド2世はとにかくゴール前の競り合いに強いのだ。ヒトの親はよく「似て欲しくないところが似て,似て欲しいところは似てない」と,わが子の気質を嘆くことが多い。しかしステイゴールドの場合は「一番似て欲しくないところが似なかった」稀有な例になった。同じく08年11月までの集計で産駒の重賞成績は【12−0−8−67】。なんと1着か2着かの争いでは,ことごとく白星に結びつけている。
ステイゴールドが香港ヴァーズに出走した時,与えられた漢字の馬名は「黄金旅程」だった。現役時代の長く,ファンに愛された「旅程」といい,産駒が走り始めて4年目で花開いてくる種牡馬としての「旅程」といい,どちらも「黄金色」に輝いているように見える。幸せなサラブレッドである。
JBBA NEWS 2009年1月号より転載