第5コーナー ~競馬余話~
第167回 「健在」
2024年12月22日に行われた第69回有馬記念は戸崎圭太騎手が騎乗した3歳牝馬のレガレイラが優勝した。
2歳だった23年12月に牡馬を相手にホープフルSを制覇。3歳の春は皐月賞、日本ダービーに挑んだ。しかし1番人気だった皐月賞は6着、2番人気に支持された日本ダービーは5着に終わった。3歳秋は牝馬戦線を歩んだが、ローズS、エリザベス女王杯はいずれも5着にとどまり、ともに1番人気を裏切る形になった。そして臨んだ3歳最終戦が有馬記念だった。好位を進んだレガレイラは最後の直線でインから伸び、シャフリヤールとの優勝争いをハナ差でものにした。
長い歴史を誇る有馬記念で3歳牝馬が優勝したのは史上2頭目という珍しい記録となった。過去の唯一の優勝例は1960年のスターロツチだ。レガレイラの優勝は64年ぶりという快挙になった。レガレイラの優勝でスポットライトが当たることになったスターロツチとはどんな馬だったのか。改めて調べてみると、現代の競馬にも大きな影響を残す名牝だったことがわかった。今回はスターロツチの功績を紹介してみたいと思う。
スターロツチは1957年4月16日、北海道静内町の藤原牧場で生まれた。父ハロウエー(GB)、母コロナ、母の父月友という血統だ。父ハロウエー(GB)は英国で走り、13戦5勝の成績を残した。大レースでの勝ち星こそなかったが、日本に輸入されて種牡馬になり、スターロツチのほかには日本ダービー馬タニノハローモア、オークス馬アイテイオーを送り出した。
母コロナは新冠御料牧場で繋養されていたが、戦後、同牧場が馬産をやめたため、藤原牧場に引き取られることになった。コロナがライジングフレーム(IRE)との間に54年に産んだライジングウイナーは2歳時に8戦8勝の成績を残すなどの活躍をし、日本ダービーでも7着になった。4歳時に京都記念で1着になり、重賞初制覇を果たした。ライジングウイナーの3歳年下の半妹がスターロツチである。
スターロツチは抽せん馬だった。日本中央競馬会(JRA)はかつて軽種馬市場で馬を購入。育成牧場で調教して馬主に均一価格で配布する「抽せん馬制度」を行っていた。同制度は競走馬資源の確保と新規馬主の開拓を目的にしていた。現在はJRA育成馬制度が抽せん馬制度に代わり、JRAがせりで購入した馬を育成後、ブリーズアップセールで売却するシステムになった。
関東の松山吉三郎厩舎に入ったスターロツチは59年11月に東京競馬場でデビューした。3戦目の中山競馬場で初勝利を挙げると、年明けの特別レースで2勝を上乗せし、桜花賞に出走。トキノキロク、チドリに次ぐ3着に健闘した。1戦挟んだオークスでは逃げ込みを図るクインオンワードをゴール寸前でクビ差捉えて優勝。第21代オークス馬に輝いた。その後も有馬記念までに8戦を重ね、3勝を加えた。
迎えた有馬記念は強豪牡馬がそろっていた。天皇賞(秋)の1、2着馬であるオーテモンとオンワードベル。コマツヒカリは前年のダービー馬。3歳のコダマは皐月賞馬、キタノオーザは菊花賞馬だった。紅一点のスターロツチは12頭立ての9番人気だった。レースはヘリオスが先頭で引っ張り、スターロツチは2番手を追走。最後の直線でばてたヘリオスをかわしたスターロツチが先頭に立つと、そのままゴールした。2着のオーテモンに1馬身4分の3馬身差をつけていた。
4歳秋の毎日王冠のレース中に故障し、スターロツチは現役を引退。生まれ故郷の藤原牧場で繁殖牝馬になった。通算25戦9勝。重賞勝ちは有馬記念、オークスのほか京王杯オータムハンデがある。ただスターロツチの功績は現役時代よりも繁殖牝馬としての方が大きい。孫や子孫から次々にクラシック馬が誕生したのだ。
最初に栄冠に輝いたのが77年の皐月賞馬ハードバージだ。スターロツチの娘ロツチの息子がハードバージだった。次がサクラスターオーだ。87年に皐月賞と菊花賞の二冠を奪取したサクラスターオーはスターロツチ→スターハイネス→アンジェリカ→サクラスマイルと続く牝系から誕生した。93年のダービー馬ウイニングチケットもスターロツチの系統から生まれた。ウイニングチケットの牝系をさかのぼると、母パワフルレデイ→ロツチテスコ→スターロツチとなる。1頭の基礎牝馬から出現した別々の3頭が皐月賞、ダービー、菊花賞を制するという快挙はすごいのひとことだ。
サクラスターオーのおじに天皇賞馬サクラユタカオーがおり、サクラユタカオーの体内にもスターロツチのDNAが含まれる。毎日王冠、天皇賞(秋)をいずれも中央競馬新記録で2連勝した中距離の快速馬は、馬名の通り、その豊かなスピードを産駒に伝えた。代表産駒のサクラバクシンオー、エアジハードはそのスピードを生かしてGI勝利を飾った。
サクラバクシンオーを母の父に持つのがキタサンブラックである。24年のホープフルSでは産駒のクロワデュノールが優勝し、イクイノックス、ソールオリエンスに続くキタサンブラック産駒で3頭目のGI馬になった。有馬記念優勝から60年以上、86年に死亡して40年ちかくたってもスターロツチの血は健在だ。