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第104回 「偶然」

2019.11.13
 記録ずくめのレースになった。
 2019年10月20日に京都競馬場で行われた第80回菊花賞だ。

 皐月賞、ダービーに続く3冠レースの最終関門。しかし、そこに皐月賞馬の姿も、ダービー馬の姿もなかった。皐月賞を制したサートゥルナーリアは前哨戦の神戸新聞杯で快勝劇を演じると、矛先を天皇賞へと向けた。ダービー馬ロジャーバローズは8月になって右前脚の浅屈腱炎が見つかり、現役引退が決まった。もっとも、けがをしていなくても凱旋門賞を目指していたから菊花賞の場にはいなかっただろう。

 また前哨戦のセントライト記念で優勝したリオンリオンも直前になって左前脚の浅屈腱炎が判明。無念の出走回避となった。皐月賞馬、ダービー馬に加え、重要なステップレースであるセントライト記念と神戸新聞杯の優勝馬が菊花賞に出走しないという異常事態となった。皐月賞馬、ダービー馬不在の菊花賞は、これが19回目のことで約4回に1回は起こっている。さほど珍しいことではない。だがトライアル優勝馬まで出走しないとなるとかなり珍しい。

 同じようなケースを調べてみると1981年の例が見つかった。この年の皐月賞とダービーはカツトップエースが優勝して2冠馬に輝いた。しかし夏に屈腱炎が見つかり、そのまま実戦復帰できずに現役を引退した。セントライト記念を制したのはメジロティターンだった。だがレース後に左前脚の浅屈腱炎がわかり、菊花賞は断念した。もう一方のトライアル神戸新聞杯で優勝したのは牝馬のアグネステスコだった。菊花賞へは向かわず、京都牝馬特別(2着)をへて、エリザベス女王杯制覇に結びつけた。

 この年の菊花賞で単勝支持率41.4%という断然の1番人気に支持されたのはサンエイソロン。ダービー2着、セントライト記念はメジロティターンの後塵を拝したが、それでも2着をキープした。続く京都新聞杯はコースレコードで快勝していた。
 だがサンエイソロンは菊花賞を勝つことができなかった。人気に応え、なんとか2着は確保したが、ミナガワマンナの快走に屈した。皐月賞12着、ダービー8着と春の2冠で苦戦したミナガワマンナは秋になっても伸び悩んだ。サンエイソロンと同じローテーションを歩み、セントライト記念は10着、京都新聞杯は9着。菊花賞では21頭立ての14番人気にとどまった。

 ミナガワマンナの菊花賞から38年後の今年も似たような傾向になった。実績馬不在の中、押し出されるように1番人気になったのはヴェロックスだった。皐月賞2着、ダービー3着。重賞勝ちこそないものの、デビュー以来の8戦で4着が1度あるだけで[3.3.1.1]という超堅実派。確実さを買われ、単勝オッズは2.2倍を示した。ところが3番人気のワールドプレミアに早めに抜け出され、追いすがろうとするところを8番人気のサトノルークスにかわされ、3着。またしても重賞制覇を逃した。

 優勝したワールドプレミアは3月の若葉ステークスでヴェロックスの2着に敗れた後、皐月賞、ダービーを自重して秋に備えた。神戸新聞杯ではサートゥルナーリア、ヴェロックスに次ぐ3着だったが、本番で見事な逆転に成功した。

 手綱を取った武豊騎手は2005年のディープインパクト以来14年ぶりの菊花賞制覇で、自身の持っていた最多勝を更新する通算5勝目。50歳7ヵ月での菊花賞制覇は48歳9ヵ月の伊藤勝吉騎手(1940年テツザクラ)の記録を破る史上最年長での優勝となった。武豊騎手は1988年にスーパークリークで優勝した時に19歳7ヵ月の最年少優勝記録を作っており、菊花賞の最年長優勝と最年少優勝の両方の記録を保持するジョッキーとなった。またGⅠ勝利は77勝目で昭和、平成、令和の3時代でのGⅠ制覇という快挙も達成した。

 ワールドプレミアはディープインパクトを父に持つ。菊花賞の父子2代制覇は12組目だった。今年と似た状況だった1981年に優勝したミナガワマンナはシンザン産駒だった。実績馬不在の年の優勝馬はともに3冠馬を父に持つ競走馬だったのは偶然だ。

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