北海道馬産地ファイターズ
第29回 地震
2011.05.11
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今年,最初の2歳馬の取材で,立ちポーズを決める馬の耳を立たせていた時だった。突然,馬の落ち着きが無くなり,その後,地面がたゆんだ。
春先は凍結と融解を繰り返すために,見た目よりも緩んでいる足場が多い。安定した舗装の上に足元を動かそうとすると,バランスを崩しそうになり,今,感じているたゆみが足場の問題とは関係ないことを悟った。
ふと,昨年の馬産地ツアーに同行できない原因となった,目眩が再発したのではと思った。今後,2歳馬の取材はますます増えていく。馬産地ライターにとって一番の稼ぎ時に病院通いをするのは嫌だなあ,と考えた時,初めて地面のたゆみを感じた時間から,あまりにも多くの考えが浮かんでいたことに気づき,そして恐怖感がわき上がってきた。
日本海中部地震,そして北海道南西沖地震もそうだった。このたゆみや目眩を起こしているのは間違いなく地震であり,そしてあまりにも長い時間の揺れは,被害が大きくなることを意味する。
撮影に集中するあまり,揺れを感じていなかったカメラマンと,馬を馬房に連れて帰ろうとした牧場スタッフに向かって話した。
「今,大きな地震がありましたよね?」
みんなが驚いた表情を浮かべているのを横目に携帯を開いてニュースを見た。そこに表示された宮城県震度7という文字を見た時,恐怖感は絶望感へと変わった。
3月11日に起こった東日本大震災。激しい揺れの後で海から押し寄せた黒い波が,命を含めた様々な物質を飲み込もうとしているのを見た時,体中の力が抜け,無力さを思うがばかりに涙腺が緩んだ。
この号が発刊されている頃には,この未曾有の大震災による被害の全容はおおよそ掴めているのだろう。しかし,この原稿を書いている3月末時点でも,お亡くなりになった方と行方不明になっている方の総数は2万7千人を超え,何よりも福島第一原子力発電所の問題が解決されない限りは,一進一退の状況すら作れる気がしない。
地震の後,大津波警報が発令された北海道の太平洋沿岸には津波が押し寄せた。浦河の港でも潮位が見る見るうちに上がり,以前,取材の合間に車を止めて昼寝をしていた港湾地区には船や車が,波の強大な力にどうしようもできないかのようにただ,漂っていた。
それでも今回の地震が,馬産地において人や馬の命を奪わなかったのは幸いかもしれない。ただ,これからの日本に多くの辛苦が待っているのと同じように,競馬界にもその存在自体を揺るがされるかのような現実が来ようとしている。
中央では競馬開催が再開されたものの,関西地区における2場開催を余儀なくされたこともあって,毎週のように出馬ラッシュが起こっている。地方競馬はより深刻だ。3月末の時点で南関東は開催中止,そして4月2日から開催予定だった岩手競馬は,開幕が延期され続けている。賞金や出走手当が入ってこなくなった馬主の経済事情も厳しくなる一方で,先日,取材で会ったある生産者も,「間違いなく,今年のせり市場は厳しい結果になると思います」と俯き加減に話していた。
だが,その生産者はこうも話を続ける。
「だからこそ旧知のオーナーには,『とても馬を買う心境にはなれないかもしれませんが,今だからこそ,いい馬をじっくりと選んで購入できるはずです』と声をかけるようにしています。我々は生産を続けて行かなくてはいけませんし,ここで経済活動を絶やさないことが,今後の日本のためにもなると思っていますから」
先日のドバイワールドカップでは,悲願だった日本馬による勝利を,ワンツーフィニッシュという最高の形で飾った。その映像はNHKのニュースとしても流れ,被災地の人の表情を少しでもほころばせ,そしてそれを見た人は勇気の炎を心に灯したはずだ。
今,自分が,そして競馬が今の日本に対して何ができるのか,まだ考えの整理はつかない。でも,毎週のように競馬が行われ,それが一週間単位で時間が進んでいることを確認できる節目となり,そして応援した馬が勝利することが,前へと進んでいくエネルギーとなることを信じたい。
絶望感を初めて感じた20代の頃,明日さえ考えるのが嫌になっていた自分の時間を唯一未来へと進めてくれたのは,毎週,変わらずに行われていた競馬だった。競馬を続けることは必ず何かを生み出す。数年後,「競馬に救われました」という声が日本中から聞こえることを,競馬の力を,信じる。
春先は凍結と融解を繰り返すために,見た目よりも緩んでいる足場が多い。安定した舗装の上に足元を動かそうとすると,バランスを崩しそうになり,今,感じているたゆみが足場の問題とは関係ないことを悟った。
ふと,昨年の馬産地ツアーに同行できない原因となった,目眩が再発したのではと思った。今後,2歳馬の取材はますます増えていく。馬産地ライターにとって一番の稼ぎ時に病院通いをするのは嫌だなあ,と考えた時,初めて地面のたゆみを感じた時間から,あまりにも多くの考えが浮かんでいたことに気づき,そして恐怖感がわき上がってきた。
日本海中部地震,そして北海道南西沖地震もそうだった。このたゆみや目眩を起こしているのは間違いなく地震であり,そしてあまりにも長い時間の揺れは,被害が大きくなることを意味する。
撮影に集中するあまり,揺れを感じていなかったカメラマンと,馬を馬房に連れて帰ろうとした牧場スタッフに向かって話した。
「今,大きな地震がありましたよね?」
みんなが驚いた表情を浮かべているのを横目に携帯を開いてニュースを見た。そこに表示された宮城県震度7という文字を見た時,恐怖感は絶望感へと変わった。
3月11日に起こった東日本大震災。激しい揺れの後で海から押し寄せた黒い波が,命を含めた様々な物質を飲み込もうとしているのを見た時,体中の力が抜け,無力さを思うがばかりに涙腺が緩んだ。
この号が発刊されている頃には,この未曾有の大震災による被害の全容はおおよそ掴めているのだろう。しかし,この原稿を書いている3月末時点でも,お亡くなりになった方と行方不明になっている方の総数は2万7千人を超え,何よりも福島第一原子力発電所の問題が解決されない限りは,一進一退の状況すら作れる気がしない。
地震の後,大津波警報が発令された北海道の太平洋沿岸には津波が押し寄せた。浦河の港でも潮位が見る見るうちに上がり,以前,取材の合間に車を止めて昼寝をしていた港湾地区には船や車が,波の強大な力にどうしようもできないかのようにただ,漂っていた。
それでも今回の地震が,馬産地において人や馬の命を奪わなかったのは幸いかもしれない。ただ,これからの日本に多くの辛苦が待っているのと同じように,競馬界にもその存在自体を揺るがされるかのような現実が来ようとしている。
中央では競馬開催が再開されたものの,関西地区における2場開催を余儀なくされたこともあって,毎週のように出馬ラッシュが起こっている。地方競馬はより深刻だ。3月末の時点で南関東は開催中止,そして4月2日から開催予定だった岩手競馬は,開幕が延期され続けている。賞金や出走手当が入ってこなくなった馬主の経済事情も厳しくなる一方で,先日,取材で会ったある生産者も,「間違いなく,今年のせり市場は厳しい結果になると思います」と俯き加減に話していた。
だが,その生産者はこうも話を続ける。
「だからこそ旧知のオーナーには,『とても馬を買う心境にはなれないかもしれませんが,今だからこそ,いい馬をじっくりと選んで購入できるはずです』と声をかけるようにしています。我々は生産を続けて行かなくてはいけませんし,ここで経済活動を絶やさないことが,今後の日本のためにもなると思っていますから」
先日のドバイワールドカップでは,悲願だった日本馬による勝利を,ワンツーフィニッシュという最高の形で飾った。その映像はNHKのニュースとしても流れ,被災地の人の表情を少しでもほころばせ,そしてそれを見た人は勇気の炎を心に灯したはずだ。
今,自分が,そして競馬が今の日本に対して何ができるのか,まだ考えの整理はつかない。でも,毎週のように競馬が行われ,それが一週間単位で時間が進んでいることを確認できる節目となり,そして応援した馬が勝利することが,前へと進んでいくエネルギーとなることを信じたい。
絶望感を初めて感じた20代の頃,明日さえ考えるのが嫌になっていた自分の時間を唯一未来へと進めてくれたのは,毎週,変わらずに行われていた競馬だった。競馬を続けることは必ず何かを生み出す。数年後,「競馬に救われました」という声が日本中から聞こえることを,競馬の力を,信じる。