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第63回『浦河からソチへ』

2014.03.17
 今年のソチオリンピックの出場選手の中に、浦河町出身の選手がいる。スピードスケートの男子5000Mに出場を予定しているのが、浦河第二中学校の出身で、現在は山形中央高校に通うウイリアムソン師円選手。まだ18歳の師円選手は、スピードスケート日本代表の男子選手では最年少。しかも高校生がオリンピックに選出されたのは22年ぶりのこととなる。
 「中学まで決して目立った成績を残していなかっただけに、オリンピックに選ばれるような選手になるとは思ってもみませんでした」と話してくれるのは、師円選手の母親の敬子さん。師円選手の父親のポールさんはオーストラリアから来日し、現在は浦河町内の育成牧場で競走馬に騎乗するライダー。しかも師円選手が練習リンクに使っていたのは、JRA日高育成牧場敷地内にあるスケートリンクだった。

 非常に競馬と近しい関係の師円選手ではあったが、それでも父の後を追って馬の仕事を志すことはなかったのにはある理由があった。

 「幼い頃から馬が好きで、学校では乗馬もさせてもらっていたのですが、草だけでなく馬にもアレルギー反応が出てしまって、馬の近くにいられないようになってしまったのです」(敬子さん)

 ポールさんは近隣の牧場でも騎乗技術を高く評価されているライダーである。その父の血を引き、しかもオリンピックに選ばれる程の身体能力を持っている師円選手なら、アレルギーさえ出ていなければ、世界にその名を知られるような名騎手となれたのでは...と競馬側の人間として想像せずにはいられない。

 当初は兄姉がリンクで練習しているのを眺めていた師円選手が、氷の上に乗るまでにそれほど時間はかからなかった。東部スケート少年団に入団した後は様々な大会に出場するも、中学3年の頃に出場した全国中学校スケート競技会の500Mでは3位となったことはあるが、決して同世代ではトップクラスの選手では無かった。

 「当時は勝負事が苦手だったようにも見えました。ただ進学を決めるときに『スケートが好きだから、高いレベルの学校に行きたい』と本人から聞いたときには、ぜひとも夢を叶えてあげたいと思いました」(敬子さん)

 競馬に無理矢理例えるとするなら、身体能力の高さは随所に感じさせるものの、闘争心に欠ける地方所属馬といったところだろうか。しかし進学という形での「転厩」、そして優れた指導者ならぬ「調教師」の元で鍛えられた師円選手は、短距離から長距離への適性も見いだされ、高校3年時にはスケート界の国内GⅠというべき、全日本スピードスケート距離別選手権大会2部門で優勝(3000M、5000M)を果たす。

 「小中学校の頃に戦った同級生たちからすると、『あの師円が...』と思っていると思います。でも、指導者の先生たちにも恵まれたのでしょうし、スケートに向き合った本人の努力も実ったのでしょう」(敬子さん)

 敬子さんはソチオリンピックにポールさんとだけでなく、地元浦河町の応援団と共に応援に向かうという。

 「師円の出場が決まったのにも関わらず、まだオリンピックに行くという実感が無くて」と笑うが、それでも地元浦河町の牧場関係者を中心に多くの激励の言葉をもらったそうで、その期待に応える成績を残して欲しいとも話す。

 またオリンピックを競馬になぞらえるのもどうかと思うが、世界の一流馬ではなく、一流選手がずらりと揃うオリンピックは、まさに凱旋門賞やブリーダーズカップクラスのGⅠレース。先日、スポーツ新聞のインタビューに答えていたポールさんも、同様のコメントを述べていたので真似させていただいたが(笑)、浦河町で育ち、しかもJRA日高育成牧場のコースではなく、リンクで鍛えられた師円選手がオリンピックに出場するというのは、日本競馬界にとって喜ばしいことであり、また競馬関係者にも応援したくなる選手と言えるだろう。

 このコラムが掲載される頃には、師円選手が出場予定の男子5000Mの結果は出てしまっている。いくら国内GⅠ選手、いや国内№1である師円選手といえども、そこで複勝圏内ならぬ、メダルを獲得するのは難しいという見方もされている。

 しかし師円選手はまだ18歳であり、ここ数年の活躍を見ても成長の余地が充分に残されている。高校卒業後はこのソチオリンピックにも多くの選手を送り出している日本電産サンキョーへの入社が決定。ソチオリンピックでレベルの高いレースを経験し、そして新たな指導者と素晴らしい環境の元で練習を重ねられれば、2018年の平昌オリンピックで馬産地が育てた金メダリストとなっていても、なんら不思議ではない。
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