烏森発牧場行き
第235便 シュウネン
2014.07.12
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ダービーの前夜、ブランデーをちびちびのみながら、橋口弘次郎厩舎のこれまでのダービーでの成績を、新聞のチラシ広告の裏が白いやつに書きだしていた。はじめは活字を見ていただけだが、
「1990年、ツルマルミマタオー、10番人気、4着」
と書いてみると、そのほうが、何かが頭に映ってくるような気がした。
「1991年、ツルマルモチオー、19番人気、17着。1995年、ダイタクテイオー、7番人気、6着。1996年、ダンスインザダーク、1番人気、2着」
ダンスインザダーク、2着、と書いたら、いろいろ、いろいろ、頭に映った。
「1999年、ロサード、15番人気、6着。2000年、ダイタクリーヴァ、2番人気、12着。2001年、キタサンチャンネル、15番人気、16着。2002年、モノポライザー、7番人気、14着。2003年、ザッツザプレンティ、7番人気、3着」
と書きながら、橋口さんにダービーを勝ってほしいと、長いこと思ってきた私としては、こうして過去を書いているのが祈りの作業みたいな気分にもなってきた。
「2004年、ハーツクライ、5番人気、2着」
と書くと、おお、今年のワンアンドオンリーはハーツクライの息子。勝ったらドラマだなぁと思った。
「2005年、ローゼンクロイツ、4番人気、8着。ペールギュント、12番人気、15着。2006年、ロジック、11番人気、5着。2008年、フローテーション、15番人気、8着」
と書いて、少し休み、ブランデーを注ぎ足した。
そうなんだよ、おれ、もう昔から、1月1日の朝に、ダービーを勝ってほしい橋口さんと、ビッグレッドファームの岡田繁幸さんに電話をし、最近は、
「早く勝ってくれないと、じいさんとしては困るんです。いなくなってからじゃ、つまらない」
とダービーのことを言ってきたのだ。
「がんばるよ」
橋口さんも岡田さんも思いは同じだ。
「2009年、リーチザクラウン、5番人気、2着。アイアンルック、10番人気、17着。2010年、ローズキングダム、5番人気、2着。2011年、コティリオン、6番人気、14着。2012年、クラレント、14番人気、15着」
ああ、橋口さん、2016年2月で引退だよなあ。えらいこっちゃ、と私は思った。
橋口さんとの思い出をブランデーのつまみにする。ザッツザプレンティが菊花賞の本馬場入場したあとのひととき、調教師スタンドの手すりに凭れて、
「昨夜ね、寝ようとして目をつぶったら、頭のなかをダンス(ダンスインザダークのこと)が走るのさ。目をさましたら、またダンスが走ってる。競馬場へ来る車のなかでもダンスのことが浮かぶんだ。皐月賞の直前の熱発とか、ダービーのくやしい負けとか、それが現在のことみたいに。
ダンスの子で菊花賞に挑戦できるなんて、夢物語みたいだよ。調教師のくせに競馬ファンになっちゃうね。まずいかな」
と橋口さんが笑った何分かのち、ダンスインザダークの子のザッツザプレンティが菊花賞を勝った。
おお、橋口さん、ハーツクライの子のワンアンドオンリーでと、また競馬ファンになっているのかな?
「ぼくは負けるのが嫌いだから、負けるとくやしいけど、負けてくよくよしてたら調教師はやっていけないよ。
しかしねえ、不思議なもんだ。すべてやりつくしたんだから負けても仕方ないとそのときに思えたのに、2年も3年も過ぎてから、朝、ふと目がさめたときなど、そうか、そうだったかと、反省をすることもある。
そういう不思議のようなものが、馬の仕事をしている人間の面白さかなぁ」
という橋口さんの語りも私は忘れられない。
調教師名鑑の橋口弘次郎のページに、特技はバドミントン、とあったので、そのことを私が聞いたときの語りもおぼえている。
「大学の4年間、バドミントン部にいたんですよ。バドミントンだけは必死にやった。
あれね、女の子の遊びのように言う人がおるけど、じつはとんでもなくきつい競技なんだ。
予見力というか、瞬発力というか、とくにシングルスの場合ね、ひとりでコートを守るわけだから、ダブルスの場合は体力の勝負になるけど、シングルスはフェイントのかけ合いになる。
そのバドミントンがね、競馬の仕事になってから、まさかこんなに活用できるとは思いもしなかったね。
というのは、調教師の仕事でぼくがいちばんむずかしいと思ってるのは、というより大事なことは、ベストコンディションとオーバーワークの見極めなんだな。その境目を見まちがえると、ベストコンディションだと信じているのにオーバーワークになってる。オーバーワークになると、どこかがダルい。ダルいとね、瞬発力と集中力が弱いんだ。
それを判断するのは観察力の勝負になる。目が離せないから、ぼくは寝る前に必ず馬房を見に行ってチェックしてるんだ。
ベストコンディションかオーバーワークかの判断に神経を注ぐのは、自分がバドミントンをやって、その必要性を自分の体で知ってるところからきてるんだよね」
そう橋口さんは言っていたが、ワンアンドオンリーと、騎乗する横山典弘騎手とが、どちらもベストコンディションなら、橋口厩舎の悲願達成だと私は思った。
2014年6月1日。第81回日本ダービー。1着ワンアンドオンリー。2着イスラボニータ。3着マイネルフロスト。
「橋口師の執念の勝利です」
とオーナーの前田幸治氏がコメントした。
「シュウネン」
と私は言ってみて、ワンアンドオンリーには、シュウネンという別名もあったのかと思った。
「1990年、ツルマルミマタオー、10番人気、4着」
と書いてみると、そのほうが、何かが頭に映ってくるような気がした。
「1991年、ツルマルモチオー、19番人気、17着。1995年、ダイタクテイオー、7番人気、6着。1996年、ダンスインザダーク、1番人気、2着」
ダンスインザダーク、2着、と書いたら、いろいろ、いろいろ、頭に映った。
「1999年、ロサード、15番人気、6着。2000年、ダイタクリーヴァ、2番人気、12着。2001年、キタサンチャンネル、15番人気、16着。2002年、モノポライザー、7番人気、14着。2003年、ザッツザプレンティ、7番人気、3着」
と書きながら、橋口さんにダービーを勝ってほしいと、長いこと思ってきた私としては、こうして過去を書いているのが祈りの作業みたいな気分にもなってきた。
「2004年、ハーツクライ、5番人気、2着」
と書くと、おお、今年のワンアンドオンリーはハーツクライの息子。勝ったらドラマだなぁと思った。
「2005年、ローゼンクロイツ、4番人気、8着。ペールギュント、12番人気、15着。2006年、ロジック、11番人気、5着。2008年、フローテーション、15番人気、8着」
と書いて、少し休み、ブランデーを注ぎ足した。
そうなんだよ、おれ、もう昔から、1月1日の朝に、ダービーを勝ってほしい橋口さんと、ビッグレッドファームの岡田繁幸さんに電話をし、最近は、
「早く勝ってくれないと、じいさんとしては困るんです。いなくなってからじゃ、つまらない」
とダービーのことを言ってきたのだ。
「がんばるよ」
橋口さんも岡田さんも思いは同じだ。
「2009年、リーチザクラウン、5番人気、2着。アイアンルック、10番人気、17着。2010年、ローズキングダム、5番人気、2着。2011年、コティリオン、6番人気、14着。2012年、クラレント、14番人気、15着」
ああ、橋口さん、2016年2月で引退だよなあ。えらいこっちゃ、と私は思った。
橋口さんとの思い出をブランデーのつまみにする。ザッツザプレンティが菊花賞の本馬場入場したあとのひととき、調教師スタンドの手すりに凭れて、
「昨夜ね、寝ようとして目をつぶったら、頭のなかをダンス(ダンスインザダークのこと)が走るのさ。目をさましたら、またダンスが走ってる。競馬場へ来る車のなかでもダンスのことが浮かぶんだ。皐月賞の直前の熱発とか、ダービーのくやしい負けとか、それが現在のことみたいに。
ダンスの子で菊花賞に挑戦できるなんて、夢物語みたいだよ。調教師のくせに競馬ファンになっちゃうね。まずいかな」
と橋口さんが笑った何分かのち、ダンスインザダークの子のザッツザプレンティが菊花賞を勝った。
おお、橋口さん、ハーツクライの子のワンアンドオンリーでと、また競馬ファンになっているのかな?
「ぼくは負けるのが嫌いだから、負けるとくやしいけど、負けてくよくよしてたら調教師はやっていけないよ。
しかしねえ、不思議なもんだ。すべてやりつくしたんだから負けても仕方ないとそのときに思えたのに、2年も3年も過ぎてから、朝、ふと目がさめたときなど、そうか、そうだったかと、反省をすることもある。
そういう不思議のようなものが、馬の仕事をしている人間の面白さかなぁ」
という橋口さんの語りも私は忘れられない。
調教師名鑑の橋口弘次郎のページに、特技はバドミントン、とあったので、そのことを私が聞いたときの語りもおぼえている。
「大学の4年間、バドミントン部にいたんですよ。バドミントンだけは必死にやった。
あれね、女の子の遊びのように言う人がおるけど、じつはとんでもなくきつい競技なんだ。
予見力というか、瞬発力というか、とくにシングルスの場合ね、ひとりでコートを守るわけだから、ダブルスの場合は体力の勝負になるけど、シングルスはフェイントのかけ合いになる。
そのバドミントンがね、競馬の仕事になってから、まさかこんなに活用できるとは思いもしなかったね。
というのは、調教師の仕事でぼくがいちばんむずかしいと思ってるのは、というより大事なことは、ベストコンディションとオーバーワークの見極めなんだな。その境目を見まちがえると、ベストコンディションだと信じているのにオーバーワークになってる。オーバーワークになると、どこかがダルい。ダルいとね、瞬発力と集中力が弱いんだ。
それを判断するのは観察力の勝負になる。目が離せないから、ぼくは寝る前に必ず馬房を見に行ってチェックしてるんだ。
ベストコンディションかオーバーワークかの判断に神経を注ぐのは、自分がバドミントンをやって、その必要性を自分の体で知ってるところからきてるんだよね」
そう橋口さんは言っていたが、ワンアンドオンリーと、騎乗する横山典弘騎手とが、どちらもベストコンディションなら、橋口厩舎の悲願達成だと私は思った。
2014年6月1日。第81回日本ダービー。1着ワンアンドオンリー。2着イスラボニータ。3着マイネルフロスト。
「橋口師の執念の勝利です」
とオーナーの前田幸治氏がコメントした。
「シュウネン」
と私は言ってみて、ワンアンドオンリーには、シュウネンという別名もあったのかと思った。