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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第245便 バンドホテル

 私は40歳すぎから60歳まで、地元の草野球チーム「ウーンズ」の一員だった。後半の10年は出場機会がめったにない、試合後に行く酒場でのキャプテンだったが。

 チームメートに私より5歳若い赤門さんがいた。赤門さんはニックネームで、東京大学出身(文京区本郷にある東大の門は赤い)だからだ。私立高校の国語教師で生真面目だったが、周囲の誰もが不思議がるほどの恐妻家で、「ウーンズ」の一員でいることにも、奥さんに気をつかわねばならないようだった。
 どうしたことか赤門さんが私に、競馬場へ連れて行ってほしいと言いだし、むろん奥さんには嘘をついて行ったのだが、なんと赤門さんは競馬が好きになってしまった。
 「草野球だって競馬だって、べつに悪いことをしているのでもないし、奥さんに言ったら喧嘩になってしまうかもしれないけど、堂々とやろうじゃないか」
 そう私が言ってみたことがある。
 「いやいや、内緒でね、嘘をついてやることにも独特の幸せがあるんですよ」
 というのが赤門さんの返事。そうかもしれないと思った私は、それ以後、赤門さんの人生に口をはさむのはやめにした。
 ナリタブライアンがダービーを勝ったころからだから、赤門さんの競馬歴は20年を超える。その間、ひとに馬券を頼んだり、嘘を言ってウインズや競馬場へ行き、それがずうっと奥さんにバレなかったらしい。

 2015年3月16日、その赤門さんが73歳で亡くなった。それから半月が過ぎ、ポストへ手紙を出しに行った帰り、小さな公園のさくらが咲いていて足を止め、
 「もういちど、さくらの花が見たい」
 と赤門さんが、3月の初めに私が見舞いに行ったとき、横浜の病院のベッドで言ったのを思いだした。
 4月になってすぐの夜、赤門さんのひとり息子、石油会社勤務の、40歳の正之さんが私の家へ来た。正之さんは父親が、馬券を買っていたのを知っている。
 「病室の枕もとにあった俳句の本に、こんなメモがはさまっていたんです。これはたぶん、競馬に関係していることじゃないか、あとでヨシカワさんに聞いてみようって、財布に入れておいたんですよ」
 と正之さんが私にメモを渡した。
 ボールペンの字で、きちんと並んではいなくて、ひらめ、アミ、82、バンド、タエ、ウイリ、といった字が散らばって書いてあるメモだ。
 「わかるよ。すぐにわかる。82とバンドとひらめですぐわかった」

 笑って私は仕事部屋へ行き、昔の騎手名鑑で平目孝志騎手のページをひらき、1996年度の重賞年鑑を持って戻った。
 「それはね、1996年3月9日のことなんだ。おれと赤門さんは中山競馬場にいた」
 と私は3月の重賞レースが記録されているページを見ながら言った。
 「マーチSで、1着が14頭立て14番人気のアミサイクロン。平目騎手が乗ってた。2着が8番人気の、加藤騎手のプレミアムプリンス」
 レースが終わった直後、赤門さんはしゃがみこんで息苦しそうで、心配してのぞきこんだおれに、アタったと、やっとの声で言うの。
 食べものがアタったんじゃなくて、馬連がアタったというんだけど、凄い馬券なんだよ。
 馬連8万8,960円。それを200円持ってるというんだ。
 どうして買えたの?馬連⑧―⑫をどうして買えたの?スタンドの椅子に座って聞いた。
 今日、自分の父親の命日なんだって、マーチSのパドックを見ながら思ったんだそうだ。自分の父親は長野で、一生、遊びも知らないで、八十二銀行で勤めあげた。それで八十二銀行ではたらいていた女性と結婚して、ぼくを産んだ。そんなことが頭に浮かんできて、八十二銀行の、⑧と⑫の馬連を200円、線香をあげるみたいな気持ちで買ったというんだ。
 何日かして赤門さん、バンドホテルに一緒に泊まってくれっておれに言うんだ。バンドホテルは横浜で、ホテルニューグランドと並ぶ老舗ホテル。ホテルのなかにあるナイトクラブで踊るのが夢とか言うわけ。そのとき初めて知ったけど、赤門さん、大学時代にダンスを習ってた。
 おれ、友だちとバンドホテルに泊まったことがあって、それを赤門さんに話したことがある。ホテルのなかのライブハウス(シェルガーデン)は桑田佳祐や尾崎豊が出てたし、7階のクラブでは、ウイリー沖山が専属で歌って、ダンスホールにもなってた。そんな話をしたんだなあ。
 ⑧―⑫の配当17万円をバンドホテルで使うと言うんだ。ダンスの好きな女を誘ってくれって言われて、おれが伊勢佐木町のバーの、タエちゃんともうひとりを誘って、4人でバンドホテルに泊まったのさ。
 たまげたなあ。赤門さんとタエちゃんのジルバやワルツがあざやかなんだ。
 赤門さん、奥さんにどんな嘘をついてバンドホテルに泊まったのかね。

 バンドホテルはそれから3年、1999年に廃業したんだけど、赤門さんとおれが泊まったときもおんぼろになってた。
 朝、部屋を出ようとしたら、ドアがあかない。フロントに電話をしたら、10円玉をお持ちでしたら、それでカギのみぞをまわしてみてくれって。
 で、10円玉を使って、ドアがあいたの。忘れられない思い出だなあ。
 ほら、見て。赤門さんも、この重賞年鑑を買って、大笑いしたことがあるんだ」
 と私が小見出しの活字を正之さんに見せた。
 「平目、華麗に大波乱演出」
 となっている。
 「ヒラメがカレイに」
 言って正之さんが笑い、ビールをのんだ。
 私は赤門さんが残したメモを見ていた。目の奥にナイトクラブのフロアがひろがり、リズムにのって踊っている赤門さんが、きらきら光る星のように浮かんできた。