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第248便 地図をひらいて

2015.08.11
 サッカーの女子ワールドカップの決勝でアメリカに5-2と負けた7月7日の夕刊で、
 「後半7分、主将のMF宮間あや選手のFKがアメリカのオウンゴールを誘い、2点差に。
 宮間選手の地元、千葉県大網白里市では大網白里アリーナに集まった約450人が一斉に立ち上がり、拍手をしたりハイタッチを交わしたり」
 と読んだ私は、大網白里市、と声にはせずに言ってみて、10日前に北海道新冠の牧場でいっしょだった板倉譲二さんの顔を思い浮かべた。内科医の板倉さんが大網白里市に住んでいるからだ。
 ずいぶん昔に私はその地に友だちがいて、千葉県山武郡大網白里町だったと記憶しているが、合併をして町から市になったのだなと、日本地図の本を取りに立った。私は地図をひろげて、言わば地図を肴にして酒をのむのが好きなのである。
 千葉県のページをひらき、ルーペを当てて外房の九十九里浜の近くに大網白里を見つける。

 6月28日のこと、長岡市で整形外科医院を開業している小林徹さんと、札幌市の花を商う会社に勤務する成田静志さんと、北海道の美国漁港で働く熊谷日出幸さんと、板倉さん、それに私との5人で、新冠のビッグレッドファーム明和のテントの下でビールをのんでいたのだ。
 5人の背景にハルニレの木がそびえる。
 「この地は、うっそうとした原始林でした。戦後、開拓で多くの木は伐採されました。学校内にあったこの木は、入植記念樹として残され、子供たちの成長を見守ってきました。」
 と立て札があり、そこは明和小学校の庭だったが、廃校して今は、ビッグレッドファームが校舎を改築してケイバクラブとして活用している。
 その5人はビッグレッドグループの牧場ツアーで来ているのだった。
 「浪人中に予備校の先輩に誘われて、アカネテンリュウの菊花賞の馬券を買ったのが始まり。600円使ったのをおぼえている。アカネテンリュウの1着はよかったが、2着のリキエイカンを買ってなくて馬券は紙クズ。それにしても、よくおぼえているもんだ。
 その何年あとか、エリモジョージが天皇賞を勝ったりしてね。私の名が譲治。エリモジョージに夢中で競馬にはまってしまったね。
 今もね、月に一度は現場にいたくて、中山か府中にはるばると行くの」
 と言う板倉さんと小林さんは愛知県の医大の同学年。ふたりで笠松競馬にもよく行ったらしい。
 数年前から年にいちど、その牧場ツアーで5人がひとつのテーブルを囲み、ビールをのむのが恒例になった。
 日本地図の北海道西部のページをひらき、ルーペで積丹郡の美国を見つけて私は、冗談を言っては笑った牧場でのひとときを思いだした。

 地図といえば、呆れるほど頭に焼きついた思い出が私にある。初めて私が競馬について書いたのは、雑誌「優駿」に載った1979(昭和54)年の第24回有馬記念観戦記だった。
 1着はグリーングラスである。青森県上北郡天間林村大字天間館字原久保の諏訪牧場の生産だ。
 天間林村へ行ってみたいなあ。私は何度も地図の青森県のページをひらき、七戸とか野辺地とかいう活字のあいだの、天間林という地名に惹かれていた。
 数年して写真家の今井寿恵さんと、天間林へ行った。ここが何度も地図で憧れた天間林、と感動した私に、
 「ヨシカワさん、見かけによらず純情なのね」
 と今井さんが言った小声も私は忘れられない。

 私は日本地図の福岡県のページをひらいて、みやま市瀬高を探した。福岡県久留米市と熊本県荒尾市の中間ぐらいに瀬高を見つける。6月21日に社台グループの牧場ツアーで来ていて、熱心に馬を見つめていた荒木照宣さんを思いだし、荒木さんが産婦人科クリニックを開業しているみやま市瀬高を地図で見つけたかったのだ。
 荒木さんは福岡市の富岡常泰さんと一緒にきていた。荒木さんに競馬を教えたのが、産婦人科医として先輩の富岡さんなのである。
 みやま市瀬高、福岡市南区、そして大網白里市、長岡市与板、札幌市中央区、積丹郡美国と今年6月の牧場ツアーで会って、牧場の風に吹かれた、いわば人生の仲間が暮らしている地名をあらためるように言ってみるのだ。なんだかそれが私には、うれしい音楽のようだ。
 「勝った負けたって騒ぐのが競馬だし、馬券が当たったハズれたって騒ぐのが競馬なんだけど、おれはさ、競馬が会わせてくれた人とな、こうしてビールをのんで、楽しくなって、帰ったら一生懸命にはたらいて、また来年も、あの連中と牧場でビールをのむぞって、それがおれの競馬ってわけよ。ま、おれの場合だけど、そういうことでなければ、馬券を買ったり、1口馬主になったりするのが、こんなに長くは続かないなあ」
 と小林徹さんがハルニレの木の近くで言っていたのを思いだした。

 私は日本地図の高知県のページをひらいて安芸市を見つけた。6月14日の社台グループの牧場ツアーに来ていた安芸市の狩野秀彦さんの顔が浮かんだからだ。
 牧場ツアーの夜、苫小牧市のホテルで、鹿児島県南さつま市から来ている楠元慶明さんと狩野さんがワインをのんだときのことが私は忘れられない。
 ここ数年、狩野さんは病魔とたたかい、克服しながら、競馬場へ、牧場へと来る。その病気のむずかしさを医師の楠元さんは知っていて、
 「狩野さんは奇蹟の人だ」
 と感嘆するのだ。
 その晩のことを思いだして私は、日本地図の鹿児島県のページをひらいて、楠元さんの病院がある南さつま市加世田を探すのだ。
 そこが見つかると私は、やはり牧場ツアー友だちの田中紀男さんの笑顔が浮かんで、田中さんが住む長崎県西彼杵郡長与町を探したくなり、地図の長崎県のページをひらいた。
 それぞれの生活の地から、北海道へ、牧場へ、たいていは年にいちど、馬を見にやってくるのが牧場ツアーだ。そう、それで家に帰って、また仕事に追われるのだと、私はあたりまえのことを地図をひらきながら考え、酒をちびっとのむ。
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