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第351便 意地に乾杯!

2024.03.13

 2024年1月11日のこと、横浜市港南区に住む久保田順二からハガキがきた。
 「ヒシミラクル、ファストタテヤマ以来の奇跡が起きました。1月7日のフェアリーステークスで、3連単⑬―③―①、15万7,970円を200円持っていました。西村淳也という騎手がいるなあ。妻の淳子の淳。命日が平成13年3月1日。墓まいりする気持ちで買いました。西村淳也のイフェイオンが勝ってくれました」
 ウィンズ横浜で知りあった競馬仲間の、久保田順二の呼び名はクボジュンさん。横浜の大きな病院の清掃係として、73歳の今も働いている。
 私の仕事場にクボジュンさんからのハガキを集めたホルダーがある。ひとつのホルダーに60枚入るが、それが5つ積まれている。
 いちばん初めのハガキの消印は2002年10月24日。
 「ファストタテヤマという馬がいるんだと思ったのはわたしが富山県立山町出身だから。人気ないけれど、競馬だから分からない。もし馬券に絡んだらミラクルだと、馬連②ー⑦を買った。ヒヤ汗が出た。まさか。9万6,070円。500円買っていた。仲間と騒ぎたい」
 そのハガキが始まりで、それからひと月に一通、欠かさずに私の家の郵便受に届く。ハガキホルダーに現在、250通ほどある。それで私も必ず返事を書いているので、クボジュンさんの家に私からのハガキが、やはり250通、届いているのだろう。
 いやあ、思いだすなあ、クボジュンさんの招待で、江の島の民宿に一泊。「ミラクルタテヤマ」の旅だった。クボジュンさん夫婦、トラック運転手のナベさん、元高校国語教師だったタカハシさん、バーテンのノブさん、私が、飲んで騒いだ。
 それから月日が流れて、ナベさんもタカハシさんも空へ行ってしまった。
 2024年1月19日、クボジュンさんからハガキがきた。
 「フェアリーSの配当30万円を封筒に入れ、淳子の仏壇に供えてあるのですが、この配当、自分ひとりで使っても、なんだか空しいような気がするのです。それで2月3日の夜、野毛の酒場に友だちに集まってもらって、楽しい夜にしたいなあと決めました。急なことですみませんが、ぜひ、リョウさんにも来てもらえたらうれしいです」
 「よろこんで参加します」
 と私は返信した。


 クボジュンさんが働いている病院へ、友人の見舞いで行ったことがあるのだが、そのとき、たまたま、仕事中のクボジュンさんを見かけ、言葉はかけなかった。
 背が高くて、すらりとしたクボジュンさんは、廊下の手すりとか、部屋のドアノブとか、エスカレーターの手すりとかを、黙々と布ぎれで拭いていた。
 この人、週末の休日にはウインズへ行って、考え抜いてマークシートにシルシをつけ、馬券発売機で馬券を受けとり、テレビに近づいてレースを待ち、そこでよろこんだり悲しんだりしているのだけれど、今は仕事で、手を抜かずに、布で金属をこすっている。ああ、それが、クボジュンさんの人生の営みなんだなあと、私は絵を見るようにして声はかけなかった。
 そうそうクボジュンさんは、私がひと夏、ビッグレッドファーム明和に滞在していた時、ひとりでレンタカーを走らせて現れたっけ。
 スタリオンにいたタイムパラドックスやステイゴールドやマイネルラヴやアグネスデジタルを見つめて、
 「夢を見ているような時間だなあ」
 というクボジュンさんのひとりごとは忘れられない。
 その旅でクボジュンさんは、レックススタッドでヒシミラクルにも会ったのだった。
 感激して、ほとんど泣き顔になってヒシミラクルを見つめていたクボジュンさんも忘れられない。
 「どうしてそんなに競馬が好きなんですか」
 と私がクボジュンさんに聞いたことがある。
 「60歳で定年退職するまでは、不動産会社のサラリーマンで、ま、普通に馬券好きでしたね。
 遊んでいたら馬券が買いにくいなあって、清掃の仕事だったけど、病院の募集を見た。
 で、病院で働きはじめたんだけど、病院というのは、どうしたって、医師というエリートの世界で、清掃員の仕事は、その世界の外ですよ。
 で、どんな仕事でも、真剣にやらないと面白くないから、ボクは手を抜きません。
 そういう毎日をおくりながら、おれには競馬があるんだという思いが強くなってきたというのかなあ。病院ではたらく人のほとんどが知らない世界を、おれは愛しているんだ、という気持ちなんですかねぇ。
 ステイゴールドに会った時も、ヒシミラクルに会った時も、どんなに凄い馬でも、孤独に生きてるよなあと思ったんです。
 競馬って、孤独と意地のぶつかりあいだなあって思うことがありますね」
とクボジュンさんが言ったのは、静内の居酒屋でだったかなあ。
 2024年2月3日のクボジュンさんの会のことを思うと、心の底からこみあげてくるようなうれしさが私には湧いてくるのだった。クボジュンさんのことを考えると、どうしたってクボジュンさんが働いているときの姿が浮かんでくる。その仕事のためだけに神経を集中していますというふうに、布ぎれで手すりのパイプをこすっているクボジュンさんが、馬券の大当たりのうれしさを仲間と分けあいたいというのだ。
 クボジュンさんの孤独と意地に乾杯! 私は赤いバラの花束を買って行こう。クボジュンさんがバラの花束をかかえて、どんな言葉でうれしさを表現するのか楽しみだと、私は2月3日が楽しみでならなかった。
 しかし私は、クボジュンさんの会に行けなかった。コロナにおそわれてしまったのである。
 仕方なく花屋に電話をして、クボジュンさんの家に赤いバラをおくる手配をした花につけるカードに、
 「クボジュンの孤独と意地に乾杯!」
 と書くように頼んだ。

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