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第350便 アレ馬記念

2024.02.09

 2023年12月23日の夜、柏市に住む88歳の義姉が、
 「テレビのコマーシャルで分かったけど、明日、有馬記念なのね。タケシさん、有馬記念のことをオカメ記念って言ってたのを思いだしちゃった」
 と電話してきた。タケシさんというのは10年前に死んだ私の兄、義姉の夫である。
 「弟の奴、ふざけん坊だから、満員のスタンドで馬群が通過するとき、オカメ、オカメって何度も絶叫しやがって、まわりがみんな笑ったんだ。
 おれ、それから何年しても、競馬場で有馬のスタートが近づくと、あいつのオカメオカメを思いだすから、なんだかオカメ記念になっちゃう」
 と兄は競馬仲間によく言って笑っていた。
 義姉との電話のあと、私は何度かオカメと呟くうち、オカメのことをしっかり思いだしたくて、有馬記念全史のページをめくった。
 私が「オカメ!」と叫んだのは、1961(昭和36)年12月24日。第6回有馬記念で、1着は高松三太騎乗のホマレボシ、2着は加賀武見騎乗のタカマガハラ。オカメは13頭立ての紅一点で10番人気、丸目敏栄騎乗で7着だった。
 計算すると、私、24歳。あったのだよ、おれにも24歳の時が、と私は思ったが、おとぎ話のような気もした。
 第68回有馬記念の日の朝8時すぎ、鎌倉駅で横須賀線に乗った。先ずは船橋駅まで80分の旅。ジイさんの旅の道づれは思い出である。鎌倉に住んだのは1976(昭和51)年。コロナ禍の2年を除いて有馬記念は皆勤だから、50回近くは、この日、横須賀線に乗っているのだ。
 そうそう、横浜駅で、仲よしだった橋口弘次郎調教師が乗ってきて顔が合い、おどろいたことがあったなあ。
 横浜に作詞家の山田孝雄が住んでいる。中学生時代からつきあいの山田孝雄の、さくらと一郎が歌った「昭和枯れすゝき」の大ヒットは橋口師もうれしかった。栗東トレセンから上京する橋口師は、よく山田孝雄宅を宿にした。
 あれから何年が過ぎているのだろう。私は持参している競馬手帳をひらいた。武豊騎乗のエアシャカールが勝った2000年4月16日の第60回皐月賞で、橋口厩舎の1番人気、高橋亮騎乗のダイタクリーヴァはクビ差2着。
 調教師はくやしいと顔が蒼ざめる。橋口師の顔色もかなり蒼ざめた。
 2000年は、おれ、いくつ?63歳。橋口師は1945年生まれだから55歳。あの日から23年も過ぎているのだ。歳月というのは遠慮のない生きものみたいだなあ。あらためて私は、今日、2023年12月24日だと意識した。
 大船駅で乗ってきたオジさんが、私の前のシルバーシートに座った。手提げ袋からペットボトルを出して水をのみ、しばらく考えこむような顔になった。
 あっ、似てる。ほんとう、似てる。そう思って私は、そのオジさんを見つめてしまった。阪神タイガースの岡田彰布監督に、じつによく似ているのだった。
 岡田監督は2023年のチームスローガンを「アレ」にし、それこそアレよアレよという勢いでセ・リーグを制し、オリックスとの日本シリーズにも勝って、アレ(A・R・E)が2023ユーキャン新語・流行語大賞にも選ばれてしまった。
 駄洒落ジイさんとして私は、これから見に行くのは有馬記念でなくて、アレ馬記念だとか思った。
 横浜駅で岡田監督に似たオジさんが下車して私は落ち着き、スポーツ紙をひらいて、有馬記念の日の今日、帯広でも佐賀でも水沢でも競馬をやっているのだなと、そのページを読むことにした。


 帯広の第10Rのレース名が気になった。19時5分発走で、「第3回孤独の聖夜杯」。
 私は「孤独」を意識した。今日、中山競馬場の入場者は5万人かな?すると、5万人の孤独がスタンドで声をあげるのかもしれない、というふうに私は感じたのである。そうか、そう感じると、有馬記念でなくて、アレ馬記念なのかも。
 佐賀競馬の20時20分発走の第11Rは「ケフェウス座特選」。1着賞金は45万円である。競馬記者のシルシを集めているのはラインアンジェラ、牝3歳。父シニスターミニスター、母ファシネイト、母の父キングカメハメハ。
 がんばっているのだよなぁ、ラインアンジェラも佐賀競馬も。
 水沢競馬の16時発走の第11Rは「夢・希望・未来へ前進」がレース名。1着賞金70万円である。記者のシルシを集めているのはキモンリッキー、牡4歳。父コパノリッキー、母キモンレッド、母の父サウスヴィグラス。
 人間、誰しも孤独だけれども、なんとか生きるよろこびを見つけて、夢、希望、未来へ前進したいよなぁと思い、錦糸町駅を過ぎたあたり。窓の向こうに東京スカイツリーが見えた。
 岩手県奥州市水沢に住み、奥州市文化会館ホールで、「新平さんの大風呂敷」や「長英の夢物語」を上演している渡部明と高橋瑛子のことを考える。昔、私の戯曲を東京で上演した時に出演した二人が、故郷に戻って演劇活動をしているのだ。
 競馬も演劇も、それぞれの地方で全力をつくしている人たちがいるのだ。
 船橋駅で降りてトイレへ行く。となりで用を足しながら若い男がスマホで会話中。これ、二刀流というか。「おれ、スルーセブンシーズで行く」と言っている。
 総武線中野行に乗りかえてひとつめの西船橋駅へ行き、武蔵野線のホームへ行く。府中本町行きに乗ってひとつめの船橋法典駅へ行くのだ。
 混んでいるプラットホームで私に、気になることが生じた。周囲を見まわして、新聞を持っている人がひとりもいないのだ。
 いない。ほんとうにいない。新聞を手にしているのは自分だけだ。
 私は歩きだして、ホームの全部を歩いてみた。しかし、いない。新聞を手にしている人は、ほんとうにいない。
 中山競馬の開催日の船橋法典駅のホームにいる人は、誰もが新聞を手にしているというのが私の、数十年にわたる景色だ。
 嘘じゃなくて、本当にひとりもいない。うーん、私には、今日、第68回アレ馬記念だ。

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