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第348便 オグリの母親

2023.12.12

 「第38回開成美術部OB(三美会)美術展」の案内ハガキが、綾瀬市に住む荒井良一から届いた。会場は東京都中央区京橋2の7の1のギャラリーくぼた。
 友だちの画家の個展で「くぼた」に行ったことがあるが、その京橋2の7の1のあたりは私の人生の深い思い出とつながっている。
 私の母親は埼玉県加須市の出身。加須女学校で同級生だった仲よしの梅子さんが京橋2丁目に住んでいて、京橋から遠くない神田に住む母親とのつきあいが続いていた。
 梅子さんは夫を戦死で失い、昭和20年代のころは仕舞屋が多かった京橋の伯父の家に間借りして、ひとり息子の、私と同年の雄治くんを育てていたのだ。
 小学校6年生のころの私と雄治くんは、おたがいの家の近くで、ベーゴマやゴロベースでよく遊んだ。それで私は、今はビルばかりになってしまった京橋2丁目へ行くと、昔を思いだしながら、うろうろと歩きまわったりするのである。
 中学生になったころ、梅子さんは再婚して調布市へ雄治くんと移り、私と雄治くんのつきあいも遠くなってしまった。
 開成高校美術部OB美術展の案内ハガキをくれた荒井良一は、東京の神田の今川小学校を昭和24年に卒業した同級生である。「リョウちゃん」と私は荒井良一を呼び、私は良と書いてマコトなので、リョウちゃんは私をマコちゃんと呼んだ。
 案内ハガキがうれしくて返事をおくった私に、荒井良一から手紙がくる。
 「高校を昭和三十年卒の私が出展者の一番上になって三年になります。地元に創った木版画制作の(ばれんの会)は二十五年経った今、七名の会員中、昭和十二年生まれが四人で正に(昭和十二年会)。
 昭和十二年と言えばマコちゃんに教えてもらって葉山美術館まで観に行った(モダニズムの分岐点1937展)を思いだします。昭和十二年は開成中学の初代校長高橋是清が軍費膨張を制して暗殺された翌年。数え三歳で父親の出征を見送ったそんな時代でしたが、日本には(昭和十二年学会)という学会があるくらいですから(特別な年)なのかも。
 開成の三美会には創設時、昭和三十年卒の蜷川幸雄の名がありますが、彼は一年上から降りてきて、美大を目指していたが合格できず、その後演劇の道に入るも役者としては今一で、演出に転じ、ニナガワマクベスなど、世界の蜷川になっていきましたが、そんな彼を含め三美会同期六名も、今は私だけになっちゃいました」
 読みおえて私は、京橋にいた雄治くんも昭和12年生まれだよなあとか思い、雄治くんとの、私にしてみれば劇的な再会のことを、しっかり思いだしてみたくなった。


 1988年のこと、笠松から中央競馬に移ってペガサスSや毎日杯や京都4歳特別を勝ったオグリキャップが、初めて関東で走る。6月5日、東京競馬場でのニュージーランドT4歳S。新しい日本競馬史が始まるような興奮した空気の東京競馬場のパドックの近くで立ち止まっていた私は、背中をノックされたのだ。
 誰だろう。少し分からなかったが、私はおどろいて、ノックした男の手を握った。何年ぶりなのだろう。何十年ぶりなのだろう。京橋にいた雄治くんと再会したのだった。
 51歳になっていた私と雄治くんのつきあいが始まった。私は雄治くんを雄さんと呼び、それからはときどき、競馬場や酒場で会った。雄さんは品川にある倉庫会社に勤務していて、ずうっと調布市に住んでいるという。
 「一度でいいから、競走馬が生まれ育つ牧場というところに行ってみたいんですよ。それも、オグリキャップが生まれた牧場に」
 と雄さんが言いだし、私が一か月ほど、社台ファーム空港牧場(現ノーザンファーム)に滞在するのに合わせて、雄さんに北海道へ来てもらうことにした。それまでに二度、オグリキャップを生産した稲葉牧場には行っているので、雄さんを連れて行く段取りもすぐに出来た。
 オグリキャップでなく、その生産牧場に行ってみたいという雄さんの気持ちが私には面白かった。
 雄さんは馬房から顔を出したオグリキャップの母のホワイトナルビーの顔を触ったり見つめたりして、「会えてよかった」と何度も言った。
 それからというもの、居酒屋とか競馬場で雄さんは私の知りあいたちに、
 「オグリの母親に会ったことがあるんですよ」
 と得意気に言っていた。
 そう、もうひとつ、私には忘れられない雄さんの言葉がある。それは私と二人きりの時に言ったのだが、
 「オグリキャップという馬は、硫黄島で戦死したわたしの父親が、生まれ変わって、怒って走ってるんだって思うことがあるんですよ」
 と聞いた時はおどろいた。頭が、くらくらっとするほどおどろいた。
 そのおどろきを、私は深く考えてみたくて、何度も雄さんに、どうしてオグリキャップをそのように感じたのか探りを入れてみたのだが、
 「いやあ、そう思えるだけですよ」
 と雄さんは言うだけだった。
 オグリキャップは2010年7月に旅立ったが、その年の11月、雄さんも大腸ガンに襲われ、73歳で旅立ってしまった。
 荒井良一からの案内に、彼が会場にいる日が記されていたが、それに合わせる都合がつかず、2023年10月19日、私は京橋へ出かけた。
 良ちゃんの木版画「花と龍」をしっかりと見たあと、雄さんが小学生の時にいた家のあたりをうろうろしたあと、東京駅へ歩く途中のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)のカフェに座り、「ああ、良ちゃんの日、雄さんの日」とか思った。
 荒井良一からハガキが届いた。
 「秋晴れが続くなか、第三十八回三美会は無事終えることが出来ました。お目にかかれず残念でした。同期六人の出展もこのところ私一名となり、四十名を超えることもあった出展者は半ばとなりましたが、集まれば道灌山の若輩に戻り、お越しいただいた皆様との歓談に腰も伸びます。
さて次は、などと来年もやる気でおります」
 ハガキを置き、ありがとう、荒井良一、ありがとう、雄さん、と私は心で言いながら、ふと、オグリキャップの母親を思いだしていた。

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