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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第290便 5GとかRTとか

 60歳を過ぎたころから、自分だけの行事が二つ生まれた。ひとつは、3月10日か11日に、東京の葛飾区小菅あたりを歩きに行き、食堂を見つけてビールをのむ。

 私は8歳のとき、小菅にある東京拘置所のすぐ近くの、伯母の家にあずけられていた。戦争で疎開をし、その成り行きである。1945(昭和20)年3月10日、B29爆撃機約110機の空襲で空が赤くなり、伯母の家の近くの防空壕でそれを見ていた。
 夜が明け、私は伯母の家に戻らず、うろうろ、うろうろ、ほとんど一日、歩きまわり、たくさんの死体を見た。
 年齢を重ねるうち、だんだんと、その一日の記憶が、自分の人生の原風景となってきて、還暦の記念という気分で小菅を歩きに行き、それから私の行事になった。

 もうひとつは、年の瀬に、自分が生まれ育った東京の千代田区神田紺屋町あたりを歩きまわり、その辺の店で酒をのむことだ。
 2018年の年の瀬も、私の実家があった通りに初めて目にするバーがあって、ドアをあけた。
 7人か8人しか座れぬバーで、黒いセーターの、50代半ばだろう女性が、ひとり、カウンターのなかにいた。
 客がふたりいた。痩せた男と太った男で、どちらも60歳ぐらいか、ちょっと目つきも仕草も怖い空気を感じさせた。
 「広島が育てたわけだろ。広島でなかったらダメだったかもだろ。だからよ、広島に背中を向けるってのは、おれ、許せねえ」
 と痩せた男がひとり語りのように言った。プロ野球の広島カープの丸選手が、FAで読売ジャイアンツへ移った話だ。
 「でもな、野球選手としてよ、巨人から話がきて、何億という金で話が来たら、それを受けないテはないべ。やっぱり、なんだかんだ言っても、プロ野球はジャイアンツだ。丸の話はあたりまえの話だ」
 と言った太った男が、少し話がとぎれたあと、
 「どう思う?」
 と私に話を振ってきた。
 「おれ、競馬が好きで、馬券を買う金の心配で精いっぱいなんですよ。マルとかバツとか、ま、おれなりの意見はあるけど、なるべく、それを考えないようにしてる」
 そう返事をして私は、マルとかバツとかと咄嗟に出た自分のダジャレに、かなりのダジャレだとうれしくなっていると、試すように私を見ていた太った男が、 
 「つまらねえじいさんだな」
 と薄笑いしたので、怖くて私は無反応を演じてしまった。
 ふたりの男が消えるまで、そこに座っていようと思っていると、痩せた男のケイタイが鳴り、
 「すぐ行く」
 と返事をし、ふたりが出て行った。
 「マルとかバツとかって言ったとき、わたし、笑いそうになった」
 と黒いセーターの女が乾杯の仕草をしてくれたので、私はいっぺんにうれしくなってしまった。

 1月6日の午前、ウインズ横浜に近いコーヒーショップにいた。私と相席のカネダさんは74歳。去年の夏までは個人タクシーを営んでいたが、体調を崩して廃業した。
 「ゴジイって、何?」
 スポーツ紙から目をはなしてカネダさんが私に聞いた。
 「ゴジイ?」
 「数字の5に英語のG。5G」
 「ああ、5Gか。何だか、わからない」
 「記事を書く仕事をしてるのに知らないのかい」
 「まったく、わからない」
 そう言う私に、「ダメだコリャ」とカネダさんはつぶやいた。
 カネダさんとは、このコーヒーショップでよく会う。世の中の判らないことをメモに書きだして、判りそうな人に質問するのがカネダさんの楽しみである。
 ポケットからメモを取りだし、
 「新聞にな、通信速度が現行の4G携帯電話と比べて100倍になるとも言われる5G、自動運転や遠隔医療など、単なる通信を超えた社会基盤になる可能性があり、米中で主導権争いが始まっている、と書いてあった。5Gって何だ」
 とメモを読んだカネダさんは、
 「中山4R、障害未勝利、買ってくる」
 そう言って外へ行った。この店、何度も出入りできるのだ。
 スマホも持たない私に、5Gが判るわけない。
 「そんなんで、よく平気で生きてられるなあ」
 と若い人にからかわれるが、平気ではないにしても、生きていなければ、と私は思う。
 カネダさんが戻ってきて、店のテレビで中山4Rのゲートがあいた。
 「障害未勝利なんて何も判らないから、1番人気と2番人気の馬連を500円、1点勝負」
 とカネダさんが、その馬券をカウンターに置き、コーヒーショップのマスターや、他の客たちも、その馬券を覗き見た。
 石神のシゲルピーマンが勝ち、2着が五十嵐のデカルコマニー。馬連②-⑥、600円。カネダさん的中で、
 「おお、誰からもお年玉をもらえないから、競馬の神さまが可哀そうにって、お年玉をくれた」
 と両手をあげたカネダさんに、そこにいる人たちが盛大な拍手をおくった。カネダさん、とてもとても幸せそうだった。
 1月9日、リツイート(RT)516万回超えとか、「ゾゾ前沢氏、私費でお年玉1億円」という見出しの、「前沢社長は当選者への通知を終えた8日、お金は使い方次第でこんなにもドキドキできるんだなと、再び発信した」
 という新聞記事を読んだ私は、コーヒーショップで拍手を浴びて、幸せそうに子供みたいな顔になったカネダさんを思い出した。たぶんカネダさんもお金の使い方次第で、こんなにもドキドキするんだなと思ったにちがいない。そう私は推測しながら、しかし、5GとかRTとかがチンプンカンプンなのは、困ったものだと自分に言った。