烏森発牧場行き
第292便 ユクエフメイ
2019.04.10
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新聞に哲学者の鷲田清一の連載コラム「折々のことば」があり、2019年3月8日には、
「人間には、
行方不明の時間が必要です」
という茨木のり子の詩の書きだしが引用されていた。
「自分を大切に思うのも大事だが、ときに自分に厭きる、自分をチャラにすることも必要だ」
と引用の理由も書いてある。
私には寝酒と同じように、ベッドで子守歌のように読む本が何冊かあり、文庫本の茨木のり子の詩集「倚りかからず」もその一冊で、46行の詩、「行方不明の時間」が引用されたことにうれしさも感じた。
そのコラムを読んで私に、横浜の旧根岸競馬場の近くに住んでいる神西さんの顔が浮かび、コラムを切り抜いて絵ハガキのようにし、「あはは、あはは」とだけ書いてポストに入れようと、いたずらを思いついた。
1月のことだったか、私は神西さんと東京都美術館の「ムンク展」の会場で偶然に会った。私はひとり、神西さんは奥さんと一緒だった。
上野公園のコーヒーショップで、
「なんだか変だなあ」
と私が笑い、
「奇妙な気分」
と神西さんも笑った。首をかしげた神西夫人に気をつかって私が、
「神西さんとは横浜の馬券売り場の近くにあったサンパウロという喫茶店で知りあったんです。サンパウロがなくなってからも、ウインズや競馬場で年に何度か会ってるんですけど、競馬に関係のない場所で会ったことがないもので、それでなんだか変なんです」
と解説をした。
「女房がね、ムンクはノルウェーのオスロの美術学校の出身で、なんだか親しみがあるって」
そう言う神西さんは商社勤務で、定年退職するまでの人生の大半を海外で過ごしている。
「ノルウェーにもいたの?」
「はい」
と神西夫人が答え、
「しかし、エドヴァルド・ムンクに親しみがある女性は、日本にはほとんどいないだろうなあ」
と私が言った。
「主人が仕事から離れたのは六十三歳かな。それから十年、主人は週末になると行方不明になるんです。息子も娘も、お父さんは週末の行方不明者だって。まるで何処へ行って、何をしているのか、まったく家族にはわからない」
そう神西夫人が笑顔で言うので、
「あはは」
と私は笑うしかなく、余計な言葉になるだろうと意識しながら、
「行先が、オンナでなくて、オンマでよかった」
そう口にすると、
「行方不明は筆舌に尽くしがたい幸福」
と神西さんがひとりごちた。
新聞のコラムを読みながら私は、その上野での神西夫妻との時間を思いだし、いたずら気分のハガキをポストに入れた。
3月11日、月曜日、
「ハガキ、ありがとう。うれしかった。なんだか会いたくなりました。こちらはヒマしてるので、鎌倉まで出かけますが、お時間、ありますか。
行方不明について話がしたくなったのです」
と神西さんから電話がきた。
3月12日の夕方、私と神西さんは鎌倉駅で会い、海辺まで歩いて、うるさくない酒場に座った。
「どうしてウインズや競馬場に行くのか、それを知らない人に説明するのは困難だし、それに、説明したいとも思わない。
わたしの感じるところでは、ウインズにいる人、競馬場にいる人の大半は、行方不明者なんじゃないですかね。
そんなことを考えていたら、ユクエフメイという名の馬がいてもいいなあって思ったんですよ。
でも、ユクエフメイというの、馬名として許されますかね」
ビールをのみながら神西さんは、とても楽しそうな顔になっていた。
「行方不明といえば、馬券を買った自分の馬が、全然レースになっていなかったときなんか、おれが買った馬、行方不明になっちまったと思うことがあるなあ」
「ある、ある」
と神西さんはうなずき、
「先週、無性に競馬場へ行きたくなって、中山まで遠征したんですよ。久しぶりにスタンドに腰かけて、入場してきた馬が走りだすのを見ていると、やっぱりいいなあって思って、だから行方不明なんて女房は言うけど、この気持ち、自分にしかわからないって。
それで中山牝馬Sで、パドックでもノームコアがいいなあと思って、1番人気でも、そこから買ったんです。
後方にいたけど、4コーナーから出てくるんだろうと見ていたら、動けない位置どりのまんまで掲示板にものらない。
あんな場合、まさしくノームコアは、行方不明になっちゃった」
そう言って笑って、おつまみのナッツをつまんだ。
「ところで神西さんが、どうして週末の行方不明者になったのか、まだ聞いていない」
と私が質問をし、
「会社の後輩に競馬好きがいて、わたしの退職記念に、競馬場へ連れて行ってあげますよと言うんです。おかしな奴だと思ったけど、先輩、これから先、遊ばないでどうやって生きて行くのって。
それで初めて府中の競馬へ行って、こんな世界もあるんだって思った。六月の晴れた日で、安田記念で、武豊が乗ったウオッカが勝って、身ぶるいしたんです。
何もわからないから記念にと、ウオッカの単勝を1万円買って、それが当たってふるえたのかと思ったけど、そうではなくて、競馬にふるえたんですね。それで、それから、だんだんと、週末の行方不明」
と神西さんが神妙な顔をして答えた。
「人間には、
行方不明の時間が必要です」
という茨木のり子の詩の書きだしが引用されていた。
「自分を大切に思うのも大事だが、ときに自分に厭きる、自分をチャラにすることも必要だ」
と引用の理由も書いてある。
私には寝酒と同じように、ベッドで子守歌のように読む本が何冊かあり、文庫本の茨木のり子の詩集「倚りかからず」もその一冊で、46行の詩、「行方不明の時間」が引用されたことにうれしさも感じた。
そのコラムを読んで私に、横浜の旧根岸競馬場の近くに住んでいる神西さんの顔が浮かび、コラムを切り抜いて絵ハガキのようにし、「あはは、あはは」とだけ書いてポストに入れようと、いたずらを思いついた。
1月のことだったか、私は神西さんと東京都美術館の「ムンク展」の会場で偶然に会った。私はひとり、神西さんは奥さんと一緒だった。
上野公園のコーヒーショップで、
「なんだか変だなあ」
と私が笑い、
「奇妙な気分」
と神西さんも笑った。首をかしげた神西夫人に気をつかって私が、
「神西さんとは横浜の馬券売り場の近くにあったサンパウロという喫茶店で知りあったんです。サンパウロがなくなってからも、ウインズや競馬場で年に何度か会ってるんですけど、競馬に関係のない場所で会ったことがないもので、それでなんだか変なんです」
と解説をした。
「女房がね、ムンクはノルウェーのオスロの美術学校の出身で、なんだか親しみがあるって」
そう言う神西さんは商社勤務で、定年退職するまでの人生の大半を海外で過ごしている。
「ノルウェーにもいたの?」
「はい」
と神西夫人が答え、
「しかし、エドヴァルド・ムンクに親しみがある女性は、日本にはほとんどいないだろうなあ」
と私が言った。
「主人が仕事から離れたのは六十三歳かな。それから十年、主人は週末になると行方不明になるんです。息子も娘も、お父さんは週末の行方不明者だって。まるで何処へ行って、何をしているのか、まったく家族にはわからない」
そう神西夫人が笑顔で言うので、
「あはは」
と私は笑うしかなく、余計な言葉になるだろうと意識しながら、
「行先が、オンナでなくて、オンマでよかった」
そう口にすると、
「行方不明は筆舌に尽くしがたい幸福」
と神西さんがひとりごちた。
新聞のコラムを読みながら私は、その上野での神西夫妻との時間を思いだし、いたずら気分のハガキをポストに入れた。
3月11日、月曜日、
「ハガキ、ありがとう。うれしかった。なんだか会いたくなりました。こちらはヒマしてるので、鎌倉まで出かけますが、お時間、ありますか。
行方不明について話がしたくなったのです」
と神西さんから電話がきた。
3月12日の夕方、私と神西さんは鎌倉駅で会い、海辺まで歩いて、うるさくない酒場に座った。
「どうしてウインズや競馬場に行くのか、それを知らない人に説明するのは困難だし、それに、説明したいとも思わない。
わたしの感じるところでは、ウインズにいる人、競馬場にいる人の大半は、行方不明者なんじゃないですかね。
そんなことを考えていたら、ユクエフメイという名の馬がいてもいいなあって思ったんですよ。
でも、ユクエフメイというの、馬名として許されますかね」
ビールをのみながら神西さんは、とても楽しそうな顔になっていた。
「行方不明といえば、馬券を買った自分の馬が、全然レースになっていなかったときなんか、おれが買った馬、行方不明になっちまったと思うことがあるなあ」
「ある、ある」
と神西さんはうなずき、
「先週、無性に競馬場へ行きたくなって、中山まで遠征したんですよ。久しぶりにスタンドに腰かけて、入場してきた馬が走りだすのを見ていると、やっぱりいいなあって思って、だから行方不明なんて女房は言うけど、この気持ち、自分にしかわからないって。
それで中山牝馬Sで、パドックでもノームコアがいいなあと思って、1番人気でも、そこから買ったんです。
後方にいたけど、4コーナーから出てくるんだろうと見ていたら、動けない位置どりのまんまで掲示板にものらない。
あんな場合、まさしくノームコアは、行方不明になっちゃった」
そう言って笑って、おつまみのナッツをつまんだ。
「ところで神西さんが、どうして週末の行方不明者になったのか、まだ聞いていない」
と私が質問をし、
「会社の後輩に競馬好きがいて、わたしの退職記念に、競馬場へ連れて行ってあげますよと言うんです。おかしな奴だと思ったけど、先輩、これから先、遊ばないでどうやって生きて行くのって。
それで初めて府中の競馬へ行って、こんな世界もあるんだって思った。六月の晴れた日で、安田記念で、武豊が乗ったウオッカが勝って、身ぶるいしたんです。
何もわからないから記念にと、ウオッカの単勝を1万円買って、それが当たってふるえたのかと思ったけど、そうではなくて、競馬にふるえたんですね。それで、それから、だんだんと、週末の行方不明」
と神西さんが神妙な顔をして答えた。