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第297便 おれの花火

2019.09.12
 8月4日のこと、ウインズ横浜からの帰り、JR桜木町駅のホームで大船行きを待っていると背中をノックされた。ふりむくと、やはりウインズから帰りの「良寛さん」だった。

 大船に住む彼は私立高校の数学教師で只今50歳。独身である。数学教師でありながら、何かというと自分と同じ出身地、越後出雲崎に生まれた江戸時代の歌人である良寛の話をするので、学校での生徒からの呼び名は良寛さん。私とは大船の酒場で知りあい、私とつきあって競馬にハマってしまった。
 電車で運よく並んで座れた。クソ暑い日、車内の冷房に救われる。
 「今日はうれしい日だなあ」
 良寛さんが財布から馬券を出した。新潟10R驀進特別で勝ったサラドリームの単勝を2,000円買っている馬券だ。
 「2番人気で480円だけど、ぼくには最高の馬券です」
 馬券を見つめて良寛さん、感動の面持ちだ。
 「字は違うけど、ぼくの名前もジュンジで、嶋田純次のことは気になるんですよ。サラドリームは嶋田純次がずうっと乗ってる。今日は何が何でも勝ってほしかった。ゴール前、夢中になって叫んじゃいました」
 「すばらしい」
 と私はつぶやいた。
 大船の居酒屋に座った良寛さんが、
 「知り合いから神宮の花火大会の切符をもらったんですよ。行くつもりだったんだけど、8月10日、出雲崎へ行かねばならぬ用事が出来ちゃって、これ、お孫さんにでも」
 と1枚のチケットを私に渡した。神宮外苑花火大会2019のチケットだ。
 「しかし、その、嶋田純次のサラドリームの1着は、良寛さんの花火だなあ」
 そう私が言うと、
 「ほんと、ぼくの、花火があがった」
 と良寛さんは空を見上げるようにした。
 8月10日、神宮外苑花火大会ってどんなだろうと興味があり、私は自分が行くことにした。開場は16時、開演は17時30分、花火打上開始は19時30分。神宮球場へ行く前にウインズへ寄っていこうか。
 私はウインズ銀座にいた。テレビに新潟8Rの3歳以上1勝クラスで15頭がパドックを歩いている。その画面を見ながら、良寛さんが嶋田純次を勝たせたくて買ったという先週のことが頭に浮かんだ。
 この新潟8Rに登場する騎手のうち、ときどき私が人気のあるなしにかかわらず、勝ってほしいと思って単勝を買う騎手は武士沢友治だった。
 昔、一度だけ私は、プレゼンテーターをやったことがある。テンポイント・メモリアルとかいったレースで、テンポイントを生産した吉田牧場との縁から私が指名されたのだろう。そのレースの1着馬の名は忘れているのだが、武士沢友治騎乗だった。そのときの武士沢友治の印象がすばらしくて、それから私は彼のレースを気にするようになった。
 おれも良寛さんのように、単勝馬券の花火をあげたい。そう願って私は、武士沢騎乗のフーズサイドの単勝を1,000円買った。
 ダート1800。15頭立て。フーズサイドは8番人気だった。ゲートがあいて、4コーナーまでほとんど最後方にいたフーズサイドが、直線コースになって夢のように馬群を抜くではないか。
 凄いことが起きてる。なんだこれは。おいっ、おいっ、おいっとふるえるうち、ふるえがしばらく止まらなかった。武士沢友治のフーズサイドが勝ったのだった。単勝2,890円というのも感動的だ。

 地下鉄銀座線の外苑前駅の混雑は異常だった。どうやら神宮球場だけではなく、隣接する秩父宮ラグビー場にも、神宮第二球場にも花火の客が集まるらしい。
 私は神宮球場の一塁側ベンチのうしろの席に座り、ビールをのみながら、花火打上げまでのステージでのショーを大型画面で見ていた。
 松平健がマツケンサンバを踊った。MAX、そして倖田來未の歌とダンス。ゴールデンボンバーのお笑いパフォーマンス。
 ああ、歌手もダンサーも芸人も、みんな声をはりあげ、手を抜かずに演技して大変だなあと感じながら、テレビで見ていたヒロシマやナガサキの平和記念式典のシーンが私の脳に映ると、トランプさんや習近平さんやプーチンさんや、金正恩さんやアベさんや、世界の政治家の顔も次々に映るのだった。そうした指導者たちと、この球場に詰めかけてステージに拍手しながら花火を待っているわれわれとのつながりは、どういう関係になるのだろうかという質問を、少しずつ日暮れている空へ私は向けていた。
 ライトスタンドの後方の上空に花火が打ちあがって、会場全体の拍手が湧いた。色彩が飛び、形が舞い、色彩と形が崩れて消える。
 私の前の席に3歳ぐらいの男の子がいて、となりにいる若い父親と母親と、花火があがるたびにハイタッチをした。
こんなうれしい席のチケットをくれたのは良寛さんだ、そう思った私に、嶋田純次のサラドリームの単勝馬券のことで、
 「ほんと、ぼくの、花火があがった」
 と言って上の方を見た時の良寛さんの顔が浮かんだ。
 すると私は、武士沢友治のフーズサイドが後方から豪快に馬群を差し切るシーンを脳裏に描いて、ポケットにある単勝馬券のことを思い、
 「その単勝馬券が、おれの花火だ」
 と私は夜空に言いたかった。
 花火大会が終わって雑踏のなか、自由には歩けず、外苑前駅へ行くのは無理。青山通りを表参道駅へと歩き、どうにか混雑から離れて、ビルのなかの静かなバーに座った。
 「2019年8月10日、神宮外苑花火大会へ行った。マツケンサンバを見たり、倖田來未の歌を聴いたり、花火を見たりしながら、武士沢友治のフーズサイドの単勝馬券を、おれの花火だ、と思ったりした」
 と私は日記を書くように思い、ビールをのんだ。

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