烏森発牧場行き
第190便 洞爺湖畔で
2010.10.25
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去年の暮れから冬のあいだ,春になって桜を見ているあいだ,夏になってしまって,ずうっと私の頭に引っかかっていた宿題があった。「無理を承知で言うんだけども,もし,北海道の洞爺湖の方へ行くことがあったら,わたしをいっしょに連れてってくれませんか。
ひとりで行ってもよさそうなものだが,わたしはね,誰かにね,洞爺湖を見ながら言いたいことがあるんですよ。誰かにといったって,誰でもいいわけじゃないんだ。わたしは,あなたにお願いしたいと思ったの。ずうずうしいのはわかってるんだが」
というカワダさんの頼みである。ウインズ横浜近くのコーヒーショップで言われたのだ。洞爺湖を見ながら言いたいこと,と言っているのだから,それは何? と横浜では聞けない。
カワダさんは1931年生まれ。2010年で79歳だ。65歳まで私立高校で国語の先生をしていた。横浜市鶴見区で六畳に台所付きが十二部屋あるアパートを営み,そのひと部屋に自分も住んでいる。奥さんは昔に亡くし,京都へ嫁いだ娘さんがいるという。
そのアパートへは行ったことがある。行ったといっても,川崎の調教師の故河津政明さんの墓まいりをした帰り,寺の近くでカワダさんと偶然に会い,近いから寄っていってと誘われ,カワダさんの部屋でビールをのんだのだ。ウインズでの知りあいと,そんなかたちでつきあいが深まるのは,私にとって人生の幸せである。
土曜と日曜にはウインズ横浜にいる,というのが17年続いているのがカワダさんの暮らしだ。その間,私とカワダさんは何度も居酒屋で会っているが,カワダさんの言葉から洞爺湖についての話を聞いたことはない。
2010年9月5日,前々日から北海道にいた私は,室蘭に住む友人に車の運転を頼み,千歳空港でカワダさんを迎えたのだ。どこといって病気のないカワダさんは,真っ白な髪の下の満面に笑みを浮かべて,
「70年ぶりの北の大地」と私の手を強く握った。
洞爺湖畔の宿の露天風呂で,カワダさんと私は手足をのばした。
「ほんとうに,ごめんなさいだね。つまらん老人のわがままにつきあわさせて」
「そんなこと,言わないでよ。こんなこと,馬券の超大穴に当たったみたいなものだと,おれは思ってるんだから」
「ありがとう。ありがとう」
カワダさんは薄青の空を見ていた。ちらほらとしか客はいなくて,
「なんだか,わたしの貸し切りみたいで,申しわけないなあ」と部屋の窓から洞爺湖の夕方を眺めるカワダさんがひとりごとを言った。
料理と酒を部屋の膳に並べてもらった。
「地元育ちですか?」
私が40代半ばと見える仲居さんに聞いた。
「ハイ。洞爺ではありませんけど,喜茂別」
「アスパラの喜茂別」
「ハイ」
「ずうっと洞爺で?」
「箱根に9年もいまして,こちらに来て1年半」
「箱根のどこ?」
「強羅花壇」
「行ったことある」
そんな会話をしながら,彼女にも言いつくせぬほどのドラマがあるにちがいないと感じている私は,これから聞かされるのだろうカワダさんの物語の,プロローグを演じているような気分でもあった。
「わたしは青森の生まれなんですよ。五所川原ってとこ。父親は東京の工事現場へ出稼ぎに行ってたらしいけど,わたしが生まれてすぐに行方不明者なんだね。わたしが5歳のときに,母親がね,わたしをつれて洞爺に来た。母親の姉がニセコへ嫁に来ていて,わたしを渡しに来たんだね。
伯母の子になったんです,わたしは。伯母には子ができなくて,可愛いがってもらいましたよ。伯母の家がニセコを出て,東京の練馬に移ったのは,わたしが小学校3年かな。母親と伯母と洞爺湖の旅館に泊まったというんだなあ。記憶がないんだ。記憶がないんだけど,記憶を作ろうとする。それで作ったものはある。洞爺湖を実際に見ることは怖くてね。
母親とは洞爺湖で別れて以来,会ったことがないんだけど,わたしが7歳のときに,洞爺湖の近くで自殺した。それを知ったのは中学生になってから」聞いて私は,コップの酒を,じっくり飲んだ。もう15年も前になるが,苫小牧市に住む友人の女房が洞爺湖で自殺している。
私は闇になっている洞爺湖を見た。
「酒場のマスターが有馬記念に連れて行ってくれたんですよ。競馬場は初めてだった。マスターは夏に牧場めぐりなんかするんだ。洞爺湖の近くにメジロ牧場があって行ってきたなんて電車のなかで聞いて,誰にも洞爺湖のことなんか言ってなかったけど,メジロパーマーの単勝を買ったら,それも2000円だか買ったら,16頭で15番人気なのに勝っちゃって,腰抜かした。
騎手は山田泰誠。メジロパーマーの母はメジロフアンタジー。わたしはね,わたしを捨てた母親が,洞爺湖の縁で,幸運を恵んでくれたと思った,ああ,競馬ってファンタジーだって」
カワダさんは溜息を吐きだした。
「よかった。誰かに,洞爺湖で,自分の話をしたかった。長年の夢だったの。ありがとう」
「おれこそ,ありがとう」
「それから競馬につかまって」
とカワダさんが笑ったとき,ドーンと音がした。洞爺湖で花火があがったのだった。カワダさんと私は窓ぎわへ行き,ガラスにくっついて花火を見た。音がして,光が飛び跳ね,かたちが崩れ,色がはじける。「花火」とつぶやき,カワダさんは無言になった。私も無言を選び,カワダさんを見ないようにした。
ひとりで行ってもよさそうなものだが,わたしはね,誰かにね,洞爺湖を見ながら言いたいことがあるんですよ。誰かにといったって,誰でもいいわけじゃないんだ。わたしは,あなたにお願いしたいと思ったの。ずうずうしいのはわかってるんだが」
というカワダさんの頼みである。ウインズ横浜近くのコーヒーショップで言われたのだ。洞爺湖を見ながら言いたいこと,と言っているのだから,それは何? と横浜では聞けない。
カワダさんは1931年生まれ。2010年で79歳だ。65歳まで私立高校で国語の先生をしていた。横浜市鶴見区で六畳に台所付きが十二部屋あるアパートを営み,そのひと部屋に自分も住んでいる。奥さんは昔に亡くし,京都へ嫁いだ娘さんがいるという。
そのアパートへは行ったことがある。行ったといっても,川崎の調教師の故河津政明さんの墓まいりをした帰り,寺の近くでカワダさんと偶然に会い,近いから寄っていってと誘われ,カワダさんの部屋でビールをのんだのだ。ウインズでの知りあいと,そんなかたちでつきあいが深まるのは,私にとって人生の幸せである。
土曜と日曜にはウインズ横浜にいる,というのが17年続いているのがカワダさんの暮らしだ。その間,私とカワダさんは何度も居酒屋で会っているが,カワダさんの言葉から洞爺湖についての話を聞いたことはない。
2010年9月5日,前々日から北海道にいた私は,室蘭に住む友人に車の運転を頼み,千歳空港でカワダさんを迎えたのだ。どこといって病気のないカワダさんは,真っ白な髪の下の満面に笑みを浮かべて,
「70年ぶりの北の大地」と私の手を強く握った。
洞爺湖畔の宿の露天風呂で,カワダさんと私は手足をのばした。
「ほんとうに,ごめんなさいだね。つまらん老人のわがままにつきあわさせて」
「そんなこと,言わないでよ。こんなこと,馬券の超大穴に当たったみたいなものだと,おれは思ってるんだから」
「ありがとう。ありがとう」
カワダさんは薄青の空を見ていた。ちらほらとしか客はいなくて,
「なんだか,わたしの貸し切りみたいで,申しわけないなあ」と部屋の窓から洞爺湖の夕方を眺めるカワダさんがひとりごとを言った。
料理と酒を部屋の膳に並べてもらった。
「地元育ちですか?」
私が40代半ばと見える仲居さんに聞いた。
「ハイ。洞爺ではありませんけど,喜茂別」
「アスパラの喜茂別」
「ハイ」
「ずうっと洞爺で?」
「箱根に9年もいまして,こちらに来て1年半」
「箱根のどこ?」
「強羅花壇」
「行ったことある」
そんな会話をしながら,彼女にも言いつくせぬほどのドラマがあるにちがいないと感じている私は,これから聞かされるのだろうカワダさんの物語の,プロローグを演じているような気分でもあった。
「わたしは青森の生まれなんですよ。五所川原ってとこ。父親は東京の工事現場へ出稼ぎに行ってたらしいけど,わたしが生まれてすぐに行方不明者なんだね。わたしが5歳のときに,母親がね,わたしをつれて洞爺に来た。母親の姉がニセコへ嫁に来ていて,わたしを渡しに来たんだね。
伯母の子になったんです,わたしは。伯母には子ができなくて,可愛いがってもらいましたよ。伯母の家がニセコを出て,東京の練馬に移ったのは,わたしが小学校3年かな。母親と伯母と洞爺湖の旅館に泊まったというんだなあ。記憶がないんだ。記憶がないんだけど,記憶を作ろうとする。それで作ったものはある。洞爺湖を実際に見ることは怖くてね。
母親とは洞爺湖で別れて以来,会ったことがないんだけど,わたしが7歳のときに,洞爺湖の近くで自殺した。それを知ったのは中学生になってから」聞いて私は,コップの酒を,じっくり飲んだ。もう15年も前になるが,苫小牧市に住む友人の女房が洞爺湖で自殺している。
私は闇になっている洞爺湖を見た。
「酒場のマスターが有馬記念に連れて行ってくれたんですよ。競馬場は初めてだった。マスターは夏に牧場めぐりなんかするんだ。洞爺湖の近くにメジロ牧場があって行ってきたなんて電車のなかで聞いて,誰にも洞爺湖のことなんか言ってなかったけど,メジロパーマーの単勝を買ったら,それも2000円だか買ったら,16頭で15番人気なのに勝っちゃって,腰抜かした。
騎手は山田泰誠。メジロパーマーの母はメジロフアンタジー。わたしはね,わたしを捨てた母親が,洞爺湖の縁で,幸運を恵んでくれたと思った,ああ,競馬ってファンタジーだって」
カワダさんは溜息を吐きだした。
「よかった。誰かに,洞爺湖で,自分の話をしたかった。長年の夢だったの。ありがとう」
「おれこそ,ありがとう」
「それから競馬につかまって」
とカワダさんが笑ったとき,ドーンと音がした。洞爺湖で花火があがったのだった。カワダさんと私は窓ぎわへ行き,ガラスにくっついて花火を見た。音がして,光が飛び跳ね,かたちが崩れ,色がはじける。「花火」とつぶやき,カワダさんは無言になった。私も無言を選び,カワダさんを見ないようにした。