烏森発牧場行き
第251便 ゴスペルな日
2015.11.16
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2015年10月4日、朝10時、JR大船駅改札口に来たのは、小中学生が対象の学習塾で先生をしている25歳のマキノくん、塗装工で24歳のスドウくん、有料老人ホームでヘルパーをしている27歳のエリカさんだ。
この3人に共通するのは、いずれもが何らかの事情で子供のころに家族を失い、養護施設、昔の言い方なら孤児院の出身者である。
8月に私は、横浜で養護施設を運営する友だちに頼まれ、その施設の出身者が10数人集まる会で1時間ほど、「とにかく働いて自分の人生を作っていこうよ。働くしかないのだ」という話をした。
その会の帰り、私と伊勢佐木町の居酒屋に寄った人のなかに、マキノくん、スドウくん、エリカさんがいた。
「競馬のことを書いているんですよね」
と私に言い、
「ぼくは6歳のころ、銀座の馬券売り場の前の道路で、そこへ馬券を買いに行った父が戻るのを、母とふたりで待っていた記憶があるんです。
その2日ぐらいあとに、父と母が交通事故に巻きこまれて死んだので、その銀座の道路での記憶が、ぼくには貴重な思い出なんです」
そう言ってハイボールをぐいっと飲んだのがマキノくんだった。
「まだ競馬場へ行ったことがないんだけど、行ってみたい」
と言ったのがスドウくんで、
「もし行くのなら誘ってね。わたし、テレビで、わけわからないんだけど、競馬中継で馬が走ってるのを見てるの、どうしてか好きなの」
と言ったのがエリカさんだった。
「いっしょに行こうか。連絡してよ」
私が言い、マキノくんに名刺を渡し、その話がすすんで、10月4日の集合になったのだ。
先ず3人がキヨスクでスポーツ紙を買い、
「快晴だし、運がいいから、誰か馬券が当たるかもね。もし馬券で儲かった人がいたら、帰り、みんなにおごる。誰も当たらなかったら、帰りの酒はワリカン」
運がいいと私が言ったのは、大船駅で横須賀線の4人掛にそろって座れたからだ。
私はとなりのエリカさんに、
「予想紙にコラムを書いてるの」
と持っていた「日刊競馬」を渡した。
「今週の前半は或る雑誌の取材仕事で、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島や、尾道から行く向島を歩きまわっていた。
大崎下島では全国から修理を頼まれている時計職人。向島では東京から移り住んだ、帆布(船の帆柱に張った布)による美術デザイナーに会って話を聞いた。
都市とか地方とかを問わず、あたりまえに町にあった八百屋も魚屋もカメラ店も時計店も書店も消えてゆく。食べられないからだ。
食べるか食べられないか、それが現実だ。職人と称ばれる世界も、仕事がなくなって、仕方なく苦しい日日になっている人が多い。
私なども、いわば職人で、ありがたいことに仕事があって、くたびれるなんて思ったらバチがあたるから、元気いっぱい旅仕事をしてきた。
私が競馬が好きなのは、牧場の人たちも厩舎の人たちも、そして騎手も、仕事のなかに、職人気質を強く必要としているだろうと思うからである。
スプリンターズSというGIは、競馬に関わる職人たちの大きな祭りのひとつなのだ。そしておいらの買う馬券は、その祭りのミコシをかつぐことになるのだろうか。
1,200㍍で通算8勝のストレイトガールが本命。馬単②―⑦、②―⑫、②―⑬」
と読んだエリカさんが、
「ヘルパーも職人なの。わたしも腕のいい職人にならなくちゃね」
とひとりごとのように言って笑い、もういちど読みかえしたのが私はうれしかった。
大船から船橋まで50分かかる。マークシートを出して私が、単勝、複勝、枠連、馬連、馬単、ワイド、3連複、3連単の買い方を説明し、第8Rから第12Rまでの5レース、ひとつのレースに1,000円を使い、今日は5,000円の遊び、と決めたりしていると、あっという間に船橋だった。
中山競馬場に着いてパドックや券売機を説明し、最終レースのあとで会う場所を決め、第8R3歳上1000万下だけ、私も一緒に見ることにした。ずうっと一緒だと、つい私が口を出してしまうので、3人が自分の眼で競馬場を感じることにならないだろう。帰りに居酒屋で、3人の競馬についての感想を聞くのが楽しみである。
「とりあえず初めてだから、1番人気と2番人気の馬で買ってみようか」
と私が言ったのが幸運にも1着が2番人気、2着が1番人気という8Rの決着で、3人ともが馬連④―⑦500円を500円買っていて大騒ぎになった。
第12R内房Sが終わるまで私はひとりで過ごし、パドックに近い待ち合わせの大きな木の下へ行くと、マキノくんがいきなり私に握手を求め、スドウくんもエリカさんも次々に握手してくるのだった。
3人ともが、スプリンターズSの馬券を、まるで合図がかかっていっせいにというふうに私に見せるのである。
1着1番人気ストレイトガール、2着11番人気サクラゴスペルの馬連②―④5,550円を、マキノくんとスドウくんは200円、エリカさんは500円買っているのだった。
「わたしの持ってたサンケイスポーツの一面に、水戸という人のサクラゴスペルが勝つっていう記事が出てたの。その新聞を買ったのが緑だし、記念に、思い出に、ゴスペルという名前がついた馬を、人気のある馬と組み合わせて買おうと思ったの。それでそれを言ったら、マキノくんが、今日はゴスペルな日だなあとかつぶやいて」
そうエリカさんが言い、
「もしもエリカさんが当たったらシャクだから、おれもスドウも買ったんです」
とマキノくんが笑った。
「ゴスペルな日。聖歌が聞こえる」
と私は言い、こんどは私から、マキノくんに、スドウくんに、エリカさんに、しっかりと握手を求めた。
この3人に共通するのは、いずれもが何らかの事情で子供のころに家族を失い、養護施設、昔の言い方なら孤児院の出身者である。
8月に私は、横浜で養護施設を運営する友だちに頼まれ、その施設の出身者が10数人集まる会で1時間ほど、「とにかく働いて自分の人生を作っていこうよ。働くしかないのだ」という話をした。
その会の帰り、私と伊勢佐木町の居酒屋に寄った人のなかに、マキノくん、スドウくん、エリカさんがいた。
「競馬のことを書いているんですよね」
と私に言い、
「ぼくは6歳のころ、銀座の馬券売り場の前の道路で、そこへ馬券を買いに行った父が戻るのを、母とふたりで待っていた記憶があるんです。
その2日ぐらいあとに、父と母が交通事故に巻きこまれて死んだので、その銀座の道路での記憶が、ぼくには貴重な思い出なんです」
そう言ってハイボールをぐいっと飲んだのがマキノくんだった。
「まだ競馬場へ行ったことがないんだけど、行ってみたい」
と言ったのがスドウくんで、
「もし行くのなら誘ってね。わたし、テレビで、わけわからないんだけど、競馬中継で馬が走ってるのを見てるの、どうしてか好きなの」
と言ったのがエリカさんだった。
「いっしょに行こうか。連絡してよ」
私が言い、マキノくんに名刺を渡し、その話がすすんで、10月4日の集合になったのだ。
先ず3人がキヨスクでスポーツ紙を買い、
「快晴だし、運がいいから、誰か馬券が当たるかもね。もし馬券で儲かった人がいたら、帰り、みんなにおごる。誰も当たらなかったら、帰りの酒はワリカン」
運がいいと私が言ったのは、大船駅で横須賀線の4人掛にそろって座れたからだ。
私はとなりのエリカさんに、
「予想紙にコラムを書いてるの」
と持っていた「日刊競馬」を渡した。
「今週の前半は或る雑誌の取材仕事で、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島や、尾道から行く向島を歩きまわっていた。
大崎下島では全国から修理を頼まれている時計職人。向島では東京から移り住んだ、帆布(船の帆柱に張った布)による美術デザイナーに会って話を聞いた。
都市とか地方とかを問わず、あたりまえに町にあった八百屋も魚屋もカメラ店も時計店も書店も消えてゆく。食べられないからだ。
食べるか食べられないか、それが現実だ。職人と称ばれる世界も、仕事がなくなって、仕方なく苦しい日日になっている人が多い。
私なども、いわば職人で、ありがたいことに仕事があって、くたびれるなんて思ったらバチがあたるから、元気いっぱい旅仕事をしてきた。
私が競馬が好きなのは、牧場の人たちも厩舎の人たちも、そして騎手も、仕事のなかに、職人気質を強く必要としているだろうと思うからである。
スプリンターズSというGIは、競馬に関わる職人たちの大きな祭りのひとつなのだ。そしておいらの買う馬券は、その祭りのミコシをかつぐことになるのだろうか。
1,200㍍で通算8勝のストレイトガールが本命。馬単②―⑦、②―⑫、②―⑬」
と読んだエリカさんが、
「ヘルパーも職人なの。わたしも腕のいい職人にならなくちゃね」
とひとりごとのように言って笑い、もういちど読みかえしたのが私はうれしかった。
大船から船橋まで50分かかる。マークシートを出して私が、単勝、複勝、枠連、馬連、馬単、ワイド、3連複、3連単の買い方を説明し、第8Rから第12Rまでの5レース、ひとつのレースに1,000円を使い、今日は5,000円の遊び、と決めたりしていると、あっという間に船橋だった。
中山競馬場に着いてパドックや券売機を説明し、最終レースのあとで会う場所を決め、第8R3歳上1000万下だけ、私も一緒に見ることにした。ずうっと一緒だと、つい私が口を出してしまうので、3人が自分の眼で競馬場を感じることにならないだろう。帰りに居酒屋で、3人の競馬についての感想を聞くのが楽しみである。
「とりあえず初めてだから、1番人気と2番人気の馬で買ってみようか」
と私が言ったのが幸運にも1着が2番人気、2着が1番人気という8Rの決着で、3人ともが馬連④―⑦500円を500円買っていて大騒ぎになった。
第12R内房Sが終わるまで私はひとりで過ごし、パドックに近い待ち合わせの大きな木の下へ行くと、マキノくんがいきなり私に握手を求め、スドウくんもエリカさんも次々に握手してくるのだった。
3人ともが、スプリンターズSの馬券を、まるで合図がかかっていっせいにというふうに私に見せるのである。
1着1番人気ストレイトガール、2着11番人気サクラゴスペルの馬連②―④5,550円を、マキノくんとスドウくんは200円、エリカさんは500円買っているのだった。
「わたしの持ってたサンケイスポーツの一面に、水戸という人のサクラゴスペルが勝つっていう記事が出てたの。その新聞を買ったのが緑だし、記念に、思い出に、ゴスペルという名前がついた馬を、人気のある馬と組み合わせて買おうと思ったの。それでそれを言ったら、マキノくんが、今日はゴスペルな日だなあとかつぶやいて」
そうエリカさんが言い、
「もしもエリカさんが当たったらシャクだから、おれもスドウも買ったんです」
とマキノくんが笑った。
「ゴスペルな日。聖歌が聞こえる」
と私は言い、こんどは私から、マキノくんに、スドウくんに、エリカさんに、しっかりと握手を求めた。