烏森発牧場行き
第252便 愛情一杯
2015.12.21
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キタサンブラックが菊花賞を勝った翌日の晩、間近に富士山が見える裾野市に住む省三さんが電話してきて、
「今日の夕方、ぼくの顔をじいっと見た父が、何か言いたそうなので待っていると、ヨシカワ、ヨシカワって、いきなり二度、呼ぶように、けっこうはっきりした声で言ったんです。
そのあとすぐに目をつぶっちゃったんですけど、すみません、なんだかいろいろ考えてるうち、ヨシカワさんに、それを報告したくなっちゃって」
と言うのだった。省三さんの父の寺原さんは今、95歳。3年前に製紙会社を定年退職した息子の省三さんに介護されている。
40年も前のこと、製薬会社勤務の寺原さんと薬品問屋勤務の私は、よく一緒に競馬場へ行った。私が薬品業界を離れてしまったあと、10年ほどは疎遠になったが、競馬がおつきあいを復活させてくれ、何度か温泉旅行に行ったりもした。
寺原さんがヨシカワと呼んだという電話をもらって私は、泣きたいような気分になって2日後、裾野市へ向かった。寺原さんに会いに行くのは2年ぶりである。
「ヨシカワさんが来てくれたよ」
そう省三さんが言い、寺原さんはベッドで寝たまま私を見ているのだが、私が誰だかわからないみたいだ。
「わからなくてもいいのさ」
と笑おうとした私に、小さくなってしまった目を向けていた寺原さんが、
「死ぬけど、2年で戻ってくるから、待っててくれ」
はっきりとそう言った。
「待ってる」
私は寺原さんの手を握ったが、寺原さんは目をつぶってしまった。
「そうですね。いちど死んでしまった父が、2年か3年して戻ってきたら、どんなにうれしいでしょうね」
と父親を見ている省三さんを目にして私は、この富士山のふもとの家には、すばらしい時が流れているなあと感じた。
10月31日、土曜日、親戚の法事へ行くため、かみさんとバス停で駅行きのバスを待った。私は小さなラジオを持って出ている。東京競馬1Rの発走が迫り、私はラジオをつけた。バス停に私ら夫婦しかいないのが幸運だ。
「モリトの馬に武豊が乗って1番人気だ」
と私が言った。頼むからレースが終わるまでバスが来ないでほしい。
冠名モリトは私と古いおつきあいのある石橋忠之さんの持ち馬だ。
「勝つといいわね」
かみさんが言い、ゲートがあいた。
アナウンサーがちらちらっとモリトタイキ(父タイキシャトル、母ショウリノホホエミ、母の父マンハッタンカフェ)の名を言い、先行集団にいるようだ。
坂道の先にバスが見えた。
「モリト!」
私が急いで叫んだ。
勝った、1着だ。モリトタイキはバスが到着するのと同時に、2戦目で2歳未勝利戦を勝った。
「石橋さん、どきどきだったでしょうね」
バスで座ってかみさんが言い、
「モリトタイキって木村牧場の馬だよ」
と私が言った。亡くなった馬主の松下征弘さん夫妻と私たちは、一緒に木村牧場へ行って、母屋の外で大きな栗の木を見あげながら、コーヒーをのんだことがあるのだ。
松下さんと石橋さんは兄弟のような仲だった。
「石橋さんの馬に武豊が乗って、2歳未勝利戦を2戦目で勝ちましたよ」
と私は天国の松下さんに報告しながら、モリトタイキが重賞のゲートに入るような騒ぎになってほしいと願った。
ラブリーデイが秋の天皇賞を勝った翌日、取材仕事があって私は京都にいた。仕事のあとの夜、ホテルの地下のバーでひとり酒をのみながら、京都にいるとセンチメントになるのは、20代のはじめの2年間、京都でバーテン暮らしをしていたせいだろうと思った。
3日、文化の日。京都でバーテンのころ、よく鴨川の河原に座っていたよなあと思いだし、三条大橋から四条大橋まで河原を歩くことにした。
川のきわに目をやりながら楽しげに歩いている老人と10歳ぐらいの女の子がいて、足もとの小石をひろって水面に投げた女の子が、
「よっしゃ」
と声をあげた。
「何か追いかけてるんですか」
と私は老人に声をかけてみた。
「ひろった紅葉の葉っぱをな、泳がせてるの。けっこう元気に流れにのるんやけど、ときどき石で止まってしまうんや」
老人がうれしそうである。
私も川面を覗いた。真っ赤な葉っぱがすいすいと水の流れにのっていた。
「お孫さん?」
「そう。小学校3年生」
「地元ですよね」
「近くです」
私と会話をしながら老人も、孫娘といっしょになって葉っぱの流れを追いかけた。
京都から帰ると、石橋さんから手紙がきていた。石橋さんはモリトの馬が勝つと、「私の所見」として短い言葉を書いてくるのだ。
「モリトタイキ。サラ2歳未勝利優勝。私の所見。ジョッキー優秀。厩舎一致団結。生産牧場愛情一杯」
とだけ書いてある。ほかには何も書いてない。
「愛情一杯」
と私は心のなかで声にしてみた。
「愛情一杯」
もういちど心で言ってみる。すると鴨川の河原にいて、真っ赤な葉っぱの泳ぎを追いかけていた老人と孫娘の光景が目に浮かび、そのシーンにかさなるように、富士山のふもとでの寺原さんと省三さんの姿も浮かんできた。
もういちど手紙をひらき、「ジョッキー優秀。厩舎一致団結。生産牧場愛情一杯」を私は読んだ。
「今日の夕方、ぼくの顔をじいっと見た父が、何か言いたそうなので待っていると、ヨシカワ、ヨシカワって、いきなり二度、呼ぶように、けっこうはっきりした声で言ったんです。
そのあとすぐに目をつぶっちゃったんですけど、すみません、なんだかいろいろ考えてるうち、ヨシカワさんに、それを報告したくなっちゃって」
と言うのだった。省三さんの父の寺原さんは今、95歳。3年前に製紙会社を定年退職した息子の省三さんに介護されている。
40年も前のこと、製薬会社勤務の寺原さんと薬品問屋勤務の私は、よく一緒に競馬場へ行った。私が薬品業界を離れてしまったあと、10年ほどは疎遠になったが、競馬がおつきあいを復活させてくれ、何度か温泉旅行に行ったりもした。
寺原さんがヨシカワと呼んだという電話をもらって私は、泣きたいような気分になって2日後、裾野市へ向かった。寺原さんに会いに行くのは2年ぶりである。
「ヨシカワさんが来てくれたよ」
そう省三さんが言い、寺原さんはベッドで寝たまま私を見ているのだが、私が誰だかわからないみたいだ。
「わからなくてもいいのさ」
と笑おうとした私に、小さくなってしまった目を向けていた寺原さんが、
「死ぬけど、2年で戻ってくるから、待っててくれ」
はっきりとそう言った。
「待ってる」
私は寺原さんの手を握ったが、寺原さんは目をつぶってしまった。
「そうですね。いちど死んでしまった父が、2年か3年して戻ってきたら、どんなにうれしいでしょうね」
と父親を見ている省三さんを目にして私は、この富士山のふもとの家には、すばらしい時が流れているなあと感じた。
10月31日、土曜日、親戚の法事へ行くため、かみさんとバス停で駅行きのバスを待った。私は小さなラジオを持って出ている。東京競馬1Rの発走が迫り、私はラジオをつけた。バス停に私ら夫婦しかいないのが幸運だ。
「モリトの馬に武豊が乗って1番人気だ」
と私が言った。頼むからレースが終わるまでバスが来ないでほしい。
冠名モリトは私と古いおつきあいのある石橋忠之さんの持ち馬だ。
「勝つといいわね」
かみさんが言い、ゲートがあいた。
アナウンサーがちらちらっとモリトタイキ(父タイキシャトル、母ショウリノホホエミ、母の父マンハッタンカフェ)の名を言い、先行集団にいるようだ。
坂道の先にバスが見えた。
「モリト!」
私が急いで叫んだ。
勝った、1着だ。モリトタイキはバスが到着するのと同時に、2戦目で2歳未勝利戦を勝った。
「石橋さん、どきどきだったでしょうね」
バスで座ってかみさんが言い、
「モリトタイキって木村牧場の馬だよ」
と私が言った。亡くなった馬主の松下征弘さん夫妻と私たちは、一緒に木村牧場へ行って、母屋の外で大きな栗の木を見あげながら、コーヒーをのんだことがあるのだ。
松下さんと石橋さんは兄弟のような仲だった。
「石橋さんの馬に武豊が乗って、2歳未勝利戦を2戦目で勝ちましたよ」
と私は天国の松下さんに報告しながら、モリトタイキが重賞のゲートに入るような騒ぎになってほしいと願った。
ラブリーデイが秋の天皇賞を勝った翌日、取材仕事があって私は京都にいた。仕事のあとの夜、ホテルの地下のバーでひとり酒をのみながら、京都にいるとセンチメントになるのは、20代のはじめの2年間、京都でバーテン暮らしをしていたせいだろうと思った。
3日、文化の日。京都でバーテンのころ、よく鴨川の河原に座っていたよなあと思いだし、三条大橋から四条大橋まで河原を歩くことにした。
川のきわに目をやりながら楽しげに歩いている老人と10歳ぐらいの女の子がいて、足もとの小石をひろって水面に投げた女の子が、
「よっしゃ」
と声をあげた。
「何か追いかけてるんですか」
と私は老人に声をかけてみた。
「ひろった紅葉の葉っぱをな、泳がせてるの。けっこう元気に流れにのるんやけど、ときどき石で止まってしまうんや」
老人がうれしそうである。
私も川面を覗いた。真っ赤な葉っぱがすいすいと水の流れにのっていた。
「お孫さん?」
「そう。小学校3年生」
「地元ですよね」
「近くです」
私と会話をしながら老人も、孫娘といっしょになって葉っぱの流れを追いかけた。
京都から帰ると、石橋さんから手紙がきていた。石橋さんはモリトの馬が勝つと、「私の所見」として短い言葉を書いてくるのだ。
「モリトタイキ。サラ2歳未勝利優勝。私の所見。ジョッキー優秀。厩舎一致団結。生産牧場愛情一杯」
とだけ書いてある。ほかには何も書いてない。
「愛情一杯」
と私は心のなかで声にしてみた。
「愛情一杯」
もういちど心で言ってみる。すると鴨川の河原にいて、真っ赤な葉っぱの泳ぎを追いかけていた老人と孫娘の光景が目に浮かび、そのシーンにかさなるように、富士山のふもとでの寺原さんと省三さんの姿も浮かんできた。
もういちど手紙をひらき、「ジョッキー優秀。厩舎一致団結。生産牧場愛情一杯」を私は読んだ。