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第259便 おれの五月

2016.07.12
 2016年5月31日、晴。明日は6月。
 「70代になったら、どうしてこんなに月日の流れが早くなるの?」
 と2日前の、ダービーの日の東京競馬場で会った山野浩一さんが言っていたのを思いだした。
 5月30日、朝、まだベッドから起きあがらずにカーテンをあけ、雑草がひろがる空地に雨が降っているのを見ていた。
 びっくり。昨日のダービーは快晴。超ラッキーだ。もし雨だったら、入場人員13万9,140人とならなかったかもしれないし、まるで気分のちがうダービーになったかもしれない。

 5月29日、第83回日本ダービー。午前10時に府中本町駅改札口前で友だちと待ち合わせ。15分前に着いてしまい、人ごみで待っていると、肩をかるくノックされた。
 「おはようございます」
 梁川正普さんだった。キタサンブラックを生産したヤナガワ牧場の社長である。
 「凄い5月」
 と私が正普さんの肩を叩いた。5月1日にキタサンブラックが天皇賞・春を勝ち、ヤナガワ牧場生産のコパノリッキーが5月5日、船橋のかしわ記念を勝っている。
 にこにこっと照れて正普さんは、競馬場への通路を歩いて行った。その背中を見ながら、
 「梁川さん、苦労の甲斐があったね」
 と正普さんの父の、私の酒友だちの正克さんに私は、声にはせずに言った。

 競馬場に着いて友だちと別れ、幸運にも私は8階のダービールームに入れる名札を持っているけれど、いちどは1階のベンチに腰をおろしてダービーの日の空を眺めたかった。スタンドのはずれにどうにかひとつ空席があり、すでにあふれそうな客の景色を見ていた。
 今日のダービーにノーザンファームの生産馬が10頭走る。馬主の島川隆哉さんが2頭出し、(有)キャロットファームが3頭出し、金子真人HD(株)が4頭出し。というようなことには関係なしに、若者たち、おじさんたち、老人たちが、今日は特別な日なのだと、うれしい表情だ。
 「凄い5月」と正普さんに声をかけたのを思いだし、競馬場にやってきた人たちに「おれの5月」があり、そうだよ、おれにも、「おれの5月」があるのだと私は思った。
 パドックにダービー出走馬が現れそうになったとき、地下を鶴瓶さんと何か喋りながら歩いてきた元調教師の松山康久さんと私の目が合い、久しぶりだったので、「やあ、生きてた、生きてた」というふうな握手をした。
 GⅠレースのときの私のいつもの場所で、本馬場へ向かう18頭をおくりだす。蛯名正義騎手の自身に向けたような笑顔と、ルメール騎手のいつもとはちがう目のするどさが印象に残った。
 地下馬道の柵に身体をあずけていた私に、パドックから引きあげてきた社台ファームの吉田照哉さんがカメラのレンズを向け、
 「冥土の土産に」
 にこにこっとシャッターを切った。
 「天国からの派遣社員ですよ」
 私が言い、吉田照哉さんも私も、アハハと笑った。社台ファームはダービーに2頭出しだ。
 マカヒキが勝った。「おれが何をしたというんだ」と問いかけるような瞳の、表彰式へ行く前のマカヒキのひととき。少し汗ばんだ鹿毛の502㎏を私は間近で見つめ、
 「凄い5月」
 と心で声をかけた。

 5月27日、午後7時近く、オバマ大統領が安倍首相と並んで広島の原爆ドームを見ているシーンを私はテレビで見ていた。このシーンをどのように感じるか。それが私の人生の問題だと思った。
 まだ学生だった三人の娘をつれて広島の原爆資料館へ行ったときのことを思いだした。長女は入館してすぐに立ち往生し、次女は逃げだしそうにして嘔吐し、三女は泣きだしてしゃがみこんだ。
 人間はどうして戦争するのだろう。三人とも私に聞くのだが、私は答えられない。

 5月24日と25日、私は病院に一泊二日。カテーテルで心臓の現況調査。どうにかセーフ。
 5月22日、オークス。古いつきあいの、府中に住む高橋伸嘉さんがチェッキーノの40分の1口馬主。クビ差の2着だった。
 「くやしいけど、幸せなくやしさだ」
 そう高橋さんがひとりごとを言った。
 5月15日、ヴィクトリアマイル。6着だったマジックタイムの40分の1口馬主A氏は、只今入院中。病魔と苦闘している。
 「病室のテレビで、よく出ない声で叫んだよ。これ、マジックタイムだね」
 ケイタイしてきて、小さく笑った。
 5月8日、NHKマイルC。勝ったメジャーエンブレムの40分の1口馬主B氏は、私の家の留守番電話に、「ナンも言えねえ」とひとこと。4着だった桜花賞のときも、留守電に「ナンも言えねえ」のひとことだった。

 NHKマイルCから2日後の5月10日、私は浦上天主堂で黙祷し、長崎原爆資料館へ行った。
 強い雨でタクシーを使ったが、べつに頼みもしなかったのに中年の運転手氏が私と一緒に入館した。身体がでかいのに声の小さな運転手氏が、頭がい骨の付着した鉄かぶとの前で、「人間は、なじぇ、戦争するんかの?」
 私に言い、
 「おれも知りたい」
 と私が言った。

 長崎で二泊三日、呉服商の高木哲郎さん、税理士の田中紀男さん、薬局主の野田大輔さんと遊んだ。三人は社台共有馬主クラブ会員で、昔、思案橋の近くで「想馬灯」という酒場を共同経営していて、そこで私は飲んで騒いだ思い出がある。
 やがて「想馬灯」は消えたが、手紙でのつきあいは続き、三人の誰かの持ち馬がGⅠ勝ちしたら、長崎で飲んで騒ごうと決めていた。
 田中さんのムスカテールが目黒記念を勝ったりしたが、GⅠ勝利は夢。みんなトシとってきたし、それを待っていられなくて、私が長崎へ行くことになった。
 二十八年ぶりの顔合わせだった。その宴会が私たちにはGⅠレースのようだった。
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