烏森発牧場行き
第298便 タイセイさん
2019.10.10
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異常に暑い日が続く2019年の夏、
「昔の教え子が遊びにきてくれまして、上等なブランデーを土産に持ってきたんですよ。
わたしは酒に関して特別に知識を持っていませんが、かなり上等なブランデーのようです。
封切りしようと思うのですが、どうもひとりでというのも空しい気がして、あなたの顔が浮かびました。
競馬の帰りにお寄りいただく日を作ってくれませんか」
とタイセイさんが電話してきた。
タイセイさんは、只今83歳。ウインズ横浜まで歩いて15分ほどのマンションに住む。4年前に奥さんに先立たれ、医師の息子は仙台に、娘は神戸に家庭があって、ひとり暮らしだ。
7月28日、新潟11Rがアイビスサマーダッシュの日、ウインズ横浜に行き、5階でタイセイさんと会った。タイセイさんといつも一緒の、50代半ばの大工の金沢さんは、法事があって故郷の静岡へ行っていて不在。
札幌11RクイーンSは1番人気から5番人気への馬単。新潟11Rは1番人気から3番人気への馬単で決着。そのどちらもタイセイさんは当てていて、それを知ったウインズ仲間が、
「タイセイさん、元気の秘訣は当たり馬券だね」
と声をかけてきた。
あらためて私はタイセイさんを見る。この人、70歳すぎまで大学の法学部の先生だった。ウインズで知り合いから「タイセイさん」と呼ばれるのは、有馬記念でブービー人気のメジロパーマーの単勝を当てたのが生涯の自慢だと言い、ナニかと言うとそれを言うので、メジロパーマーの騎手が山田泰誠だったから、誰かが「タイセイさん」と言ったのがきっかけだろう。
タイセイさんが住むマンションの5階の窓から大岡川が見える。まだ日暮れていない。暑い日照りに耐えていた川面が、ようやく光を沈めて安心したような景色だ。
「ぼくも、どの酒がどうという文化がなくて」
と頭を下げて私は、ブランデーの封を切ったタイセイさんに小さな拍手をおくり、ふたつのグラスがかすかな音を立てた。
「 あなたが来てくれるというので、昨夜、見つけました。なんだか、うれしかった」
そう言ってタイセイさんは一冊の日記帳を持ってきた。
「1992年12月22日、火曜日。横浜のバーらんぷでわたしが、競馬は何が面白いのかと、あなたに質問したのです。
するとあなたが少し黙りこんだあと、人間が思いついた、けっこうレベルの高い冗談、それが競馬だと返事して、その返事がわたしに響いて、12月27日の有馬記念に連れて行ってもらった。
有馬記念にフジヤマケンザンという馬が出ていて、その関係の、北海道の早来の人が何人も来ていて、吉川良はそちらで忙しく、わたしはひとりで中山競馬場でうろうろしていた。
パドックに人があふれていて、仕方なく立っていたわたしのとなりで、ヤマダタイセイなんて知らない騎手がいるという話をしていた。
ヤマダタイセイが乗るのはメジロパーマー。それでわたしは、どうしてか急に、母親を思いだした。というのは、わたしの母親は茨城の田舎で、パーマ屋さん、今で言う美容室をやって、苦労してわたしを大学に行かせてくれた。
そんなことで、バカにされてるみたいなヤマダタイセイとメジロパーマーに気が向いて、わけわからずに単勝というのを2,000円買った。
ということが、ここにしっかり書いてある」
とタイセイさんから渡された日記帳の1ページを私も読んだ。
「計算してみると、わたしは56歳だった」
そうタイセイさんがつぶやき、すると私は55歳のときである。
金沢さんからケイタイがかかり、8時ごろには行けそうだから、それまで私に帰らないでという電話だ。
「吉川さん、わたし、今年の夏、ひとつの夢を追いかけてるんです。というのは、馬券で儲けた金で凱旋門賞を見に行ってやろうと。
あたりまえに買う馬券じゃフランスへ行くのは無理。ひとつの競馬場の12のレースに、自分の誕生日の昭和11年4月14日から、3連単⑪-④-⑭を300円ずつ買ってます。
なけなしの貯金をはたいてでなく、馬券を当てて凱旋門賞へ。そういう夢です」
聞いて私は、凄いなあ、83歳の夢、凄いなあと感動してしまった。
8時に金沢さんが来て、⑪-④-⑭で凱旋門賞へという話になり、
「けっこう⑪番が1着の3連単の大穴というのがあるんだよなあ。それは小倉でタイセイ先生が買ってなかったんだけど、⑪-⑤-⑭で14万9千なんぼというのがあった。
もし⑪-④-⑭が来て凄い配当だったら、おれもフランスへ連れてってもらう」
と笑い、
「そのときは、こちらもよろしく」
と私も笑った。
8月25日のことだった。私は友だちの個展のオープニングパーティーで日本橋の画廊にいたのだが、「事件、事件、事件です」という金沢さんの声がケイタイで聞こえた。
新潟の10Rの朱鷺Sの3連単が、⑪-⑭-④だったんですよ。88万6,350円。
⑪-⑭-④でなくて、⑪-④-⑭でもよかったじゃないですか。
さすがに先生、変になっちゃって、息苦しいとか言うので、帰り、家まで一緒に来ました」
と金沢さんが言い、ケイタイがタイセイさんに代わったが、「うーん」という唸り声だけ。
「タイセイさん、フランスへ行くよりも凄いことをしましたよ。もう日本の馬が凱旋門賞を勝つより凄い事件です。この話、エネイブルに聞かせたい話です」
と私は言うしかなかった。
「いやあ、しかし、もし金沢さんがいなかったら、わたし、ショックで、倒れてたかもなあ。
馬券の神さまって、冗談やるものだ」
やっとタイセイ先生の声が聞こえてきた。
「昔の教え子が遊びにきてくれまして、上等なブランデーを土産に持ってきたんですよ。
わたしは酒に関して特別に知識を持っていませんが、かなり上等なブランデーのようです。
封切りしようと思うのですが、どうもひとりでというのも空しい気がして、あなたの顔が浮かびました。
競馬の帰りにお寄りいただく日を作ってくれませんか」
とタイセイさんが電話してきた。
タイセイさんは、只今83歳。ウインズ横浜まで歩いて15分ほどのマンションに住む。4年前に奥さんに先立たれ、医師の息子は仙台に、娘は神戸に家庭があって、ひとり暮らしだ。
7月28日、新潟11Rがアイビスサマーダッシュの日、ウインズ横浜に行き、5階でタイセイさんと会った。タイセイさんといつも一緒の、50代半ばの大工の金沢さんは、法事があって故郷の静岡へ行っていて不在。
札幌11RクイーンSは1番人気から5番人気への馬単。新潟11Rは1番人気から3番人気への馬単で決着。そのどちらもタイセイさんは当てていて、それを知ったウインズ仲間が、
「タイセイさん、元気の秘訣は当たり馬券だね」
と声をかけてきた。
あらためて私はタイセイさんを見る。この人、70歳すぎまで大学の法学部の先生だった。ウインズで知り合いから「タイセイさん」と呼ばれるのは、有馬記念でブービー人気のメジロパーマーの単勝を当てたのが生涯の自慢だと言い、ナニかと言うとそれを言うので、メジロパーマーの騎手が山田泰誠だったから、誰かが「タイセイさん」と言ったのがきっかけだろう。
タイセイさんが住むマンションの5階の窓から大岡川が見える。まだ日暮れていない。暑い日照りに耐えていた川面が、ようやく光を沈めて安心したような景色だ。
「ぼくも、どの酒がどうという文化がなくて」
と頭を下げて私は、ブランデーの封を切ったタイセイさんに小さな拍手をおくり、ふたつのグラスがかすかな音を立てた。
「 あなたが来てくれるというので、昨夜、見つけました。なんだか、うれしかった」
そう言ってタイセイさんは一冊の日記帳を持ってきた。
「1992年12月22日、火曜日。横浜のバーらんぷでわたしが、競馬は何が面白いのかと、あなたに質問したのです。
するとあなたが少し黙りこんだあと、人間が思いついた、けっこうレベルの高い冗談、それが競馬だと返事して、その返事がわたしに響いて、12月27日の有馬記念に連れて行ってもらった。
有馬記念にフジヤマケンザンという馬が出ていて、その関係の、北海道の早来の人が何人も来ていて、吉川良はそちらで忙しく、わたしはひとりで中山競馬場でうろうろしていた。
パドックに人があふれていて、仕方なく立っていたわたしのとなりで、ヤマダタイセイなんて知らない騎手がいるという話をしていた。
ヤマダタイセイが乗るのはメジロパーマー。それでわたしは、どうしてか急に、母親を思いだした。というのは、わたしの母親は茨城の田舎で、パーマ屋さん、今で言う美容室をやって、苦労してわたしを大学に行かせてくれた。
そんなことで、バカにされてるみたいなヤマダタイセイとメジロパーマーに気が向いて、わけわからずに単勝というのを2,000円買った。
ということが、ここにしっかり書いてある」
とタイセイさんから渡された日記帳の1ページを私も読んだ。
「計算してみると、わたしは56歳だった」
そうタイセイさんがつぶやき、すると私は55歳のときである。
金沢さんからケイタイがかかり、8時ごろには行けそうだから、それまで私に帰らないでという電話だ。
「吉川さん、わたし、今年の夏、ひとつの夢を追いかけてるんです。というのは、馬券で儲けた金で凱旋門賞を見に行ってやろうと。
あたりまえに買う馬券じゃフランスへ行くのは無理。ひとつの競馬場の12のレースに、自分の誕生日の昭和11年4月14日から、3連単⑪-④-⑭を300円ずつ買ってます。
なけなしの貯金をはたいてでなく、馬券を当てて凱旋門賞へ。そういう夢です」
聞いて私は、凄いなあ、83歳の夢、凄いなあと感動してしまった。
8時に金沢さんが来て、⑪-④-⑭で凱旋門賞へという話になり、
「けっこう⑪番が1着の3連単の大穴というのがあるんだよなあ。それは小倉でタイセイ先生が買ってなかったんだけど、⑪-⑤-⑭で14万9千なんぼというのがあった。
もし⑪-④-⑭が来て凄い配当だったら、おれもフランスへ連れてってもらう」
と笑い、
「そのときは、こちらもよろしく」
と私も笑った。
8月25日のことだった。私は友だちの個展のオープニングパーティーで日本橋の画廊にいたのだが、「事件、事件、事件です」という金沢さんの声がケイタイで聞こえた。
新潟の10Rの朱鷺Sの3連単が、⑪-⑭-④だったんですよ。88万6,350円。
⑪-⑭-④でなくて、⑪-④-⑭でもよかったじゃないですか。
さすがに先生、変になっちゃって、息苦しいとか言うので、帰り、家まで一緒に来ました」
と金沢さんが言い、ケイタイがタイセイさんに代わったが、「うーん」という唸り声だけ。
「タイセイさん、フランスへ行くよりも凄いことをしましたよ。もう日本の馬が凱旋門賞を勝つより凄い事件です。この話、エネイブルに聞かせたい話です」
と私は言うしかなかった。
「いやあ、しかし、もし金沢さんがいなかったら、わたし、ショックで、倒れてたかもなあ。
馬券の神さまって、冗談やるものだ」
やっとタイセイ先生の声が聞こえてきた。