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第299便 元気で

2019.11.13
夜、テレビのニュース番組を見ていると、たくさんの人が山道をのぼり、山頂の慰霊碑の前で目を閉じ、手を合わせた。
 死者と行方不明者を63人も出した、長野と岐阜の県境にある標高3,067メートルの、御嶽山の噴火災害から5年。2019年9月27日、死者を悼む登山者を伝えるニュースである。
 噴火で夫を失った58歳の女性が画面にいて、向けられたマイクに、
 「先ず、ありがとう、と言いました。わたしたち家族は、あなたがいて、何ひとつ心配しないで暮らしてた。そのことに、お礼を言いました。
 次に、報告をしました。いろいろと出てくる心配ごとを、家族で、みんなで、ひとつひとつ、どうにかのりこえていますから、安心してくださいって」
 と語った。
 「ほかに、どのような?」
 と取材者の声がする。
 「ほかに、どのようなって、もうすべてを言ってるじゃないか」と私は少しムカついたのだが、
 「死んでしまった人に変かもしれませんけど、元気でいてね、と声をかけました」
 と女性が答えた。
 私の頭か胸の奥で何かが動いた。おどろいて、自分が、何かの色に染まっていくような気がした。「死んでしまった人に変かもしれませんけど、元気でいてね、と声をかけました」という女性の言葉を内心でくりかえしていて、もうテレビは見ていなかった。
 死者に、元気でいてね、という言葉。感じて、そのことを考えたくて、集中したくて、のみかけのウイスキーのグラスに、少し注ぎたした。
 どうしてこんなに、女性の言葉に、何かが動いたのだろう。騒いだともいえる。感動したともいえる。そう思って私は、じっとして、ウイスキーと向きあった。
 私の脳に父が浮かんだ。そして母も、ふたりの兄も、姉も、浮かんだ。みんな、死んでる。
 「元気でいてよ」
 と私は言ってみて、これまで、そんなふうに声をかけたことはなかったなあ、と思った。
 たしかに、死んでしまった人に変かもしれないけど、と女性は言った。死者に元気でいてねと声をかけるのは、たしかに変だけれど、おれも、死んでしまった家族に、友だちに、「元気でいてよ」と声をかけたいと願った。

 2日前の夜に私の家に遊びにきて、1枚の馬券を見せた知久さんを思いだした。知久さんの家は私の家から歩いて20分。知久さんの父の利一さんと私が句会仲間で、競馬友だちでもあった。
 あと半年で石油会社を定年退職だという知久さんが私に見せたのは、9月22日の阪神11R神戸新聞杯での、竹之下智昭騎手が乗ったヴィントの単勝を1,000円買っている馬券だ。8頭立て7番人気、単勝156.5倍のヴィントは7着だった。
 今年の4月のこと、肺がんと戦っていた利一さんが、どうしても京都へ行きたいと言い張った。利一さんは京都大学出身で、大学時代の恩師の墓が京都にあり、その墓参を人生最後の旅にしたいと言うのである。
 知久さんが付きそった旅で、せっかくだから京都競馬場へも行きたいという父親の願いも叶えたのだった。
 それは4月21日。3歳未勝利戦で、
 「名前に君と同じトモとつく騎手の馬が、未勝利戦2着を3度も続けてる。旅の記念に、このヴィントという馬の単勝を買う。3,000円」
 と利一さんが言い、竹之下智昭のヴィントが1番人気で勝った。
 旅から帰って4月28日、天皇賞春の日の京都6R3歳500万下にヴィントが連闘。ウインズ横浜でヴィントの単勝を5千円買った知久さんが、大船の病院へ入院中の父親に届けた。
 利一さんと知久さんは、病院の隅っこで、ヴィントの1着をラジオで聞いたという。
 知久さんから利一さんとヴィントの話を聞いていた私は、収得賞金900万円なのに抽選でヴィントがダービー出走と知ったとき、利一さんに会いたくなった。
 ダービーの2日前、
 「よかったね。ヴィントがダービーを走る。幸運だなあ」
 と私は病室の利一さんに言いに行った。普通の状態ではなくなっていた利一さんだが、
 「ヴィント」
 やっと声にして私に笑ってくれたようだった。
 ダービーの日の夜おそく、知久さんから電話がきて、利一さんの死を知った。
 「利一さん、ダービーを見た?」
 と私が聞き、
 「病室で、父を起こして背中を支えて、テレビのダービーを見せようとしたんです。顔はテレビのほうを向いていたけど、それがダービーだか何だか、父は分からなかったようです。
 ぼくがウインズで買ってきたヴィントの、ダービーの単勝馬券が枕の下にあって、それは、お棺に入れてあげようと、ぼくが持ってます」
 と知久さんが返事をした。

 ひと夏が過ぎようとして、知久さんは、ウインズ横浜へ行って、画面の神戸新聞杯のヴィントを見たのだった。
 「ダービーは18頭立て16番人気で14着。神戸新聞杯は8頭立て7番人気で7着。そういうヴィントと、父はずうっと、とても大切な友だちのようにつきあっていたんじゃないのかなあ」
 と言っていた知久さんを思いだしながら、私は58歳の女性の、亡き夫への「元気でいてね」という心情と向きあっていて、
 「そうか、知久さんが神戸新聞杯のヴィントの単勝を買いに行ったのも、死んでしまった父親への、元気でいてくれという思いなのかも」
 と考え、ウイスキーグラスで乾杯のマネをしたのだった。
 私の頭に吉田善哉が出てきた。吉田重雄も出てくる。松山吉三郎も出てきた。野平祐二も出てくる。二本柳俊夫も出てきた。全演植も出てくる。
 みんな、競馬を背負っていた人たちで、おつきあいの縁があったことに私は幸せを感じ、
 「元気でいてください」
 と私は心のなかで言っていた。


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