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第360便 まさか

2024.12.11

 2024年、天皇賞・秋。ああ、リバティアイランドが沈んでしまった。ドウデュースも届きそうにない。そう思った心の揺れを合図にするように、レース模様が激しく変わった。
 ドウデュースの末脚が凄い。1000メートル通過が59秒9で先行馬有利の流れを消し去るようなドウデュースの末脚。上がり3ハロン、32秒5の凄さ。その凄さを信じて、あわてず騒がずの武豊騎手の凄さ。シロウトの私でも、その人馬の凄さに圧倒されてしまった。
 強い馬がそろった秋の天皇賞だけれど、リバティアイランドとドウデュースの戦いだよ。馬単⑦―⑫、⑫-⑦でキマリ。そう買った私の馬券はリバティアイランドの13着で紙クズ。
まさかの13着。長いこと競馬とつきあっていれば、まさかの坂、まさか坂を歩くのは珍しくもないけれど、しばらく黙りこんでしまう。
 それにしても、武豊はやっぱり武豊だなあとか思っていた夕暮れ、スマホが鳴って、橋本正樹からで、
 「おやじ、ドウデュースがゴールした直後に息を引きとりました。医師に、この人は競馬だけが楽しみでと言って、もう見てはいなかったけど、「病室のテレビの競馬を点けておいて」
 と声がした。
 橋本正樹は、40年近いつきあいの競馬友だち、私と同い年の橋本史郎の息子である。60歳になる正樹も競馬好きだ。
 昔、ウインズ横浜の近く、野毛という街に「サンパウロ」という喫茶店があった。週末の2日は、ウインズに馬券を買いに行って戻り、テレビでレースを見て、またウインズに行くという客で満員。午前から最終レースまで、客は指定席を確保し、コーヒーのほかにビールを注文したりしながら半日を過ごした。
 橋本史郎と私は、いわばサンパウロ友だちである。大手の建設会社勤務の橋本史郎から名刺をもらった日のことは、のちに何度もサンパウロの客たちで語られ、語り継がれた。
 正樹から父親の死を知らされ、私は昔の重賞年鑑をひらいて、その思い出を確かめた。
 1990年11月18日のことなのだ。サンパウロでとなりに座った初対面の橋本史郎から名刺をもらった私が、
 「今日の福島記念で買わねばならぬ馬がいるじゃないですか。ハシモトシローとしては、大塚栄三郎の乗るハシノケンシロウを買わねばならんでしょう」
 そう言い、ハシノケンシロウ(4番人気)の単勝(9.1倍)と、1番人気メジロマーシャスへの連勝複式(12.2倍)を橋本史郎が各3,000円買って的中。サンパウロにいた人に、橋本史郎からビールが配られて宴会になった。
 あのハシノケンシロウの1着もまさか、うれしいまさかだったなあと思った私は、そういえば橋本史郎には、ほかにもふたつ、うれしいまさかがあったよなあと、2002年と2018年の重賞年鑑を書棚から抜いた。


 1998年のこと、「わが還暦の記念イベント」とか言って、息子の正樹と北海道の牧場めぐりの旅をして、「おどろいたことが起きた」と、帰ってきて1枚の写真を私に見せた。1頭の繁殖牝馬と橋本史郎が写っている写真である。
 「三石町本桐という所にある大塚牧場を見学させてもらって写真をとったら、その繁殖牝馬の名前がシュンサクヨシコというんだ。え?ってたまげた。わたしの母親はヨシコ。父親の弟の名前がシュンサク。たまげたね。この写真、財布に入れて、ずうっと持ってるよ」
 と言っていた橋本史郎は、父サッカーボーイ、母シュンサクヨシコ、母の父シェイディハイツのヒシミラクルのデビュー戦から単勝を買うことになったのだ。
 けれどもヒシミラクルが未勝利戦を勝ったのは10戦目。馬が1勝するのは大変なことなんだなあと、橋本史郎はしみじみと言った。その後に売布特別と野分特別を勝ったヒシミラクルが菊花賞に出走する。特別登録をしていなかったので、200万円の追加登録料を支払っての出走だった。
 シュンサクヨシコの子が菊花賞のゲートに入る。まさかのうれしさ。橋本史郎は京都競馬場まで行きたかったが、そのぶん、馬券に金を使おうと、サンパウロに陣取った。18頭立て10番人気のヒシミラクルの単勝を3,000円、ヒシミラクルからの全部の枠連を2,000円、全頭への馬連と馬単の各1,000円を、ヒシミラクル菊花賞出走祝いとして買った。
 それを知っているサンパウロにいた客たちは、角田晃一騎乗のヒシミラクルが、直線に入ってまさかの先頭に立つと叫び声をあげ、安田康彦騎乗のファストタテヤマ(16番人気)の追走をかわしてゴールした時、歓声と拍手の嵐になった。
 単勝3,660円。枠連8,390円。馬連9万6,070円。馬単18万2,540円。
 半月後、橋本史郎の招待で、バスに30人が乗り、箱根の温泉宿への一泊旅行となった。
 橋本史郎には、もうひとつ、うれしいまさかがある。2018年11月17日のこと。その日は4年前に胃がんで亡くなった橋本史郎の妻文代の命日だった。文代、ふみよ。数字に書くと2と3と4。それで橋本史郎は東京競馬場のメインレース、東京スポーツ杯2歳Sの馬単②―③、②―④、③―④、を各3,000円買ったのだった。
 勝ったのが16頭立て8番人気、勝浦正樹騎乗のニシノデイジー。2着が7番人気の、ビュイック騎手のアガラスで馬単②―④5万7,730円。そのときも橋本史郎はサンパウロ仲間を、江ノ島のホテルへ一泊旅行の招待をした。
 天皇賞・秋の翌日、
 「親族だけの葬儀にしますけど、出ていただけませんか。おやじにとって吉川さんは親族みたいなもので。競馬を知らない人に、どうしておやじが、どうしてあんなに競馬が好きだったのか、少し、スピーチをしてもらえないでしょうか」
 と橋本正樹が電話してきた。
 「スピーチはいいとして、競馬を知らない人に競馬の話は無理。橋本史郎のまさかを話しても通じない。一生懸命に仕事をして、一生懸命に遊んで、一生懸命の人生だったという話をするしかないなあ。一生懸命が、うれしいまさかになったし」
 と私は返事をしていた。

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