第5コーナー ~競馬余話~
第27回 究極の内国産
2013.06.13
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今年で18回目を迎えたNHKマイルカップは、かつて「マル外ダービー」と呼ばれた。この世界で俗に「マル外」と呼ばれる外国産馬が大活躍した。
1996年の第1回は象徴的だった。優勝したのは米国生まれのタイキフォーチュン。2着は英国産のツクバシンフォニーで、3着も英国生まれのゼネラリスト。以下ヤシマキャプテン(米)、スギノハヤカゼ(米)、ヒシナタリー(米)、セイントリファール(米)、エイシンガイモン(米)と上位8着までを、外国産馬が独占した。
18頭の出走馬の中で内国産馬は4頭しかおらず、このうち、最も人気のあったバンブーピノが単勝8番人気。ほかは16、17、18番人気だったから驚くような結果ではなかった。
「マル外(のための)ダービー」だったNHKマイルカップが、様相を変え始めたのは2001年からだ。この年、日本ダービーが外国産馬に向けて開放された。
2001年は米国産のクロフネが優勝、2着にも米国産のグラスエイコウオーが入り、上位を占めたものの、出走した外国産馬は18頭中4頭に過ぎなかった。翌2002年から内国産馬の優勝が続く。テレグノシス、ウインクリューガー、キングカメハメハ、ラインクラフト、ロジック、ピンクカメオ、ディープスカイ、ジョーカプチーノ、ダノンシャンティ、グランプリボス、カレンブラックヒルと昨年まで11連覇を飾った。そして今年、12連覇を達成し、頂点に立ったのは究極の内国産馬マイネルホウオウだった。
なにが究極なのか。
マイネルホウオウの母系をさかのぼってみると、それが理解されると思う。母は2002年生まれのテンザンローズだ。その母はコウエイシャダイ(1994年)で、その先はポイントゲツター(1980年)と続き、トサハヤテ(1968年)、ミスフロント(1955年)、キミノハナ(1950年)、鶴池(1935年)、華時(1924年)、ヘロイン(1919年)、第四ヘレンサーフ(1911年)とつながり、ヘレンサーフ(1903年)にたどり着く。
英国生まれのヘレンサーフを輸入したのは岩手県にある小岩井農場である。小岩井農場と聞くと、チーズやバターなどの乳製品で知られているが、かつてはサラブレッドの生産で日本を牽引した。1941年に国内初の3冠馬になったセントライトは小岩井農場の生産馬だ。
そんな小岩井農場が1907年(明治40年)、英国から一度に20頭もの繁殖牝馬を輸入した。この中の1頭がヘレンサーフだった。日露戦争が終わって間もない頃に日本に持ち込まれた血統が100年以上たった現在も脈々と生き続け、GⅠレースという最前線でトップに立っていることのすごさは、ただただ驚くばかりだ。
ヘレンサーフの子孫から菊花賞馬アカネテンリュウや宝塚記念を制したオサイチジョージ、GⅠ3勝のヒシミラクルなどが誕生している。この栄光のメンバーにマイネルホウオウも加わった。
改めて調べてみると、小岩井農場が1907年に輸入した20頭の繁殖牝馬は粒ぞろいだった。現在まで、日本の競馬界に果たした貢献度は素晴らしい。
ビューチフルドリーマーからは後にシンザン、タケホープというダービー馬が出現。フロリースカップはスペシャルウィーク、ウオッカ、メイショウサムソンと3頭のダービー馬の祖先になった。アストニシメントはメジロデュレン、メジロマックイーンのGⅠ兄弟につながった。
マイネルホウオウほどではないが、昨年、皐月賞、菊花賞、有馬記念とGⅠレース3勝を挙げたゴールドシップの牝系も古い。そのルーツをたどっていくと、1931年(昭和6年)に千葉県にあった下総御料牧場が米国から輸入した繁殖牝馬・星旗に行き着く。
星旗(1924年生まれ)は月城(1932年)、梅城(1945年)、風玲(1959年)、アイアンルビー(1972年)、トクノエイテイー(1978年)、パストラリズム(1987年)と牝系を伸ばし、ゴールドシップの母ポイントフラッグ(1998年)へとつながったのだ。
古くからの牝系にスズカフェニックスが配合され、マイネルホウオウが誕生する。ステイゴールドが種付けされて、ゴールドシップが生まれる。この壮大な血統のドラマは競馬でしか味わえない醍醐味だろう。
1996年の第1回は象徴的だった。優勝したのは米国生まれのタイキフォーチュン。2着は英国産のツクバシンフォニーで、3着も英国生まれのゼネラリスト。以下ヤシマキャプテン(米)、スギノハヤカゼ(米)、ヒシナタリー(米)、セイントリファール(米)、エイシンガイモン(米)と上位8着までを、外国産馬が独占した。
18頭の出走馬の中で内国産馬は4頭しかおらず、このうち、最も人気のあったバンブーピノが単勝8番人気。ほかは16、17、18番人気だったから驚くような結果ではなかった。
「マル外(のための)ダービー」だったNHKマイルカップが、様相を変え始めたのは2001年からだ。この年、日本ダービーが外国産馬に向けて開放された。
2001年は米国産のクロフネが優勝、2着にも米国産のグラスエイコウオーが入り、上位を占めたものの、出走した外国産馬は18頭中4頭に過ぎなかった。翌2002年から内国産馬の優勝が続く。テレグノシス、ウインクリューガー、キングカメハメハ、ラインクラフト、ロジック、ピンクカメオ、ディープスカイ、ジョーカプチーノ、ダノンシャンティ、グランプリボス、カレンブラックヒルと昨年まで11連覇を飾った。そして今年、12連覇を達成し、頂点に立ったのは究極の内国産馬マイネルホウオウだった。
なにが究極なのか。
マイネルホウオウの母系をさかのぼってみると、それが理解されると思う。母は2002年生まれのテンザンローズだ。その母はコウエイシャダイ(1994年)で、その先はポイントゲツター(1980年)と続き、トサハヤテ(1968年)、ミスフロント(1955年)、キミノハナ(1950年)、鶴池(1935年)、華時(1924年)、ヘロイン(1919年)、第四ヘレンサーフ(1911年)とつながり、ヘレンサーフ(1903年)にたどり着く。
英国生まれのヘレンサーフを輸入したのは岩手県にある小岩井農場である。小岩井農場と聞くと、チーズやバターなどの乳製品で知られているが、かつてはサラブレッドの生産で日本を牽引した。1941年に国内初の3冠馬になったセントライトは小岩井農場の生産馬だ。
そんな小岩井農場が1907年(明治40年)、英国から一度に20頭もの繁殖牝馬を輸入した。この中の1頭がヘレンサーフだった。日露戦争が終わって間もない頃に日本に持ち込まれた血統が100年以上たった現在も脈々と生き続け、GⅠレースという最前線でトップに立っていることのすごさは、ただただ驚くばかりだ。
ヘレンサーフの子孫から菊花賞馬アカネテンリュウや宝塚記念を制したオサイチジョージ、GⅠ3勝のヒシミラクルなどが誕生している。この栄光のメンバーにマイネルホウオウも加わった。
改めて調べてみると、小岩井農場が1907年に輸入した20頭の繁殖牝馬は粒ぞろいだった。現在まで、日本の競馬界に果たした貢献度は素晴らしい。
ビューチフルドリーマーからは後にシンザン、タケホープというダービー馬が出現。フロリースカップはスペシャルウィーク、ウオッカ、メイショウサムソンと3頭のダービー馬の祖先になった。アストニシメントはメジロデュレン、メジロマックイーンのGⅠ兄弟につながった。
マイネルホウオウほどではないが、昨年、皐月賞、菊花賞、有馬記念とGⅠレース3勝を挙げたゴールドシップの牝系も古い。そのルーツをたどっていくと、1931年(昭和6年)に千葉県にあった下総御料牧場が米国から輸入した繁殖牝馬・星旗に行き着く。
星旗(1924年生まれ)は月城(1932年)、梅城(1945年)、風玲(1959年)、アイアンルビー(1972年)、トクノエイテイー(1978年)、パストラリズム(1987年)と牝系を伸ばし、ゴールドシップの母ポイントフラッグ(1998年)へとつながったのだ。
古くからの牝系にスズカフェニックスが配合され、マイネルホウオウが誕生する。ステイゴールドが種付けされて、ゴールドシップが生まれる。この壮大な血統のドラマは競馬でしか味わえない醍醐味だろう。