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第29回 種牡馬メーカー

2013.08.15
 6月23日に阪神競馬場で行われた第54回宝塚記念で、前代未聞の記録が達成された。どんな記録だったのかという種明かしは後回しにして、まずは出走馬と着順を、枠順に従って見てもらいたい。
 ①ヒットザターゲット(父キングカメハメハ)11着
 ②タニノエポレット(父ダンスインザダーク)9着
 ③フェノーメノ(父ステイゴールド)4着
 ④ダノンバラード(父ディープインパクト)2着
 ⑤シルポート(父ホワイトマズル(GB))10着
 ⑥トーセンラー(父ディープインパクト)5着
 ⑦スマートギア(父マーベラスサンデー)8着
 ⑧ナカヤマナイト(父ステイゴールド)6着
 ⑨ローゼンケーニッヒ(父シンボリクリスエス(USA))7着
 ⑩ゴールドシップ(父ステイゴールド)1着
 ⑪ジェンティルドンナ(父ディープインパクト)3着

 これだけを見て、答えがわかった方はかなりの競馬通だ。前代未聞の記録というのは、『出走全馬の父馬の現役時代に、武豊騎手が一度は手綱を取ったことがある』...だ。武豊騎手が公式ホームページで明らかにしていたので僕も気がついた。

 2004年12月のデビュー以来、2006年12月の有馬記念まで14戦すべてにコンビを組んだディープインパクト、同じく全8レースで騎乗したダンスインザダーク、また全15戦を共に戦ったマーベラスサンデー、2001年12月の引退レース、香港ヴァーズで悲願のGⅠ制覇を果たしたステイゴールドなどと武豊騎手の組み合わせは印象に残っているが、キングカメハメハやシンボリクリスエスに騎乗した姿は記憶になかった。

 改めて調べてみた。
 キングカメハメハの手綱を取ったのは2003年12月13日の1度きり。阪神競馬場であったエリカ賞。デビュー戦を白星で飾ったキングカメハメハは本来、初戦に続き、安藤勝己騎手が乗る予定だったが、エリカ賞の時は騎乗停止になっていた。武豊騎手はキングカメハメハを勝利に導き、ダービー制覇へとつなげた。

 シンボリクリスエスに騎乗したのも1度だけだ。2002年4月27日。ダービートライアルの青葉賞で鞍上に座り、見事に重賞初勝利を飾っている。

 英国生まれの英国調教馬ホワイトマズルにはイギリスとフランスで騎乗している。1994年の英アスコット競馬場ではキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに出走して2着になり、同年の仏ロンシャン競馬場では凱旋門賞に出て、6着になっている。

 種牡馬になれる確率とは、いったいどれぐらいのものだろうか。日本では毎年、7,000頭近いサラブレッドが誕生する。このうち半分が牡馬だとする。このうちダービーや天皇賞で優勝するような一流馬は一握りだ。種牡馬になる確率はおそらく1000分の1ほどのものだろう。そうした小さな確率をくぐり抜ける馬の背中にいることの確率はさらに低い。

 だから自分が騎乗した馬が種牡馬になり、あるGⅠレースの出走馬全部が、その2世で占められるなどということは、ほとんど天文学的な確率でしか起こらない。一流馬の手綱を任されてきた武豊騎手のすごさを改めて知ることになった。

 そして武豊騎手は、その記念すべきレースに自らも参加した。騎乗したのはディープインパクト産駒の4番人気トーセンラー。ゴールドシップ、ダノンバラード、ジェンティルドンナ、フェノーメノに続く5着でゴールした。

 優勝したのはステイゴールド産駒のゴールドシップだった。ステイゴールド産駒は宝塚記念に強く、2009年ドリームジャーニー、2010年ナカヤマフェスタ、2012年オルフェーヴルに続き、最近5年で4勝目という驚異の記録を残し、ヒンドスタンと並んで宝塚記念最多勝種牡馬になった。

 それもこれも武豊騎手がステイゴールドを国際GⅠホースに仕立てたことが原因だ。
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