北海道馬産地ファイターズ
第175回 『第90回日本ダービー観戦記』
コロナ禍以降では初めて、ロジャーバローズが優勝した第86回日本ダービーからだと4年ぶりに、東京競馬場でダービーを観戦した。
無観客開催となった第87回日本ダービーはもちろんのこと、指定席券を発売しての有観客開催となった88回以降も現地に行かなかった。
コロナ禍でダービーに対する熱が冷めたわけではない。入場券が抽選となり、確実に入れるかどうか分からない中で、飛行機の予約を取るのはどうかと思ったのが理由である。
ただ、今年は中央競馬ピーアール・センターを通して、取材パスを出してもらえる運びとなった。このパスをもらうのも4年ぶりだが、コロナ禍以降の取材制限は変わらず、業務エリア以外の立ち入りはできなくなっていた。
レース後に喜びに沸きかえる検量室の様子や、口取り式の後で勝馬の生産者から話を聞くためには、別のパスが必要となっており、パスがあれば入れた関係者用のパドックエリアも入場制限がされていた。
それでもダービー当日に、確実に競馬場へ入場できるようになったのはありがたかった。当日は内馬場にも足を運ぶなどして、久しぶりのダービーを目一杯楽しもうと思っていたところ、JRA北海道シリーズで、ビギナーズセミナーを運営している広告代理店の方から、「今年のダービーはこちらに来るのですか?」と電話がかかってきた。そういえばコロナ禍の前にも同じ話をされたなあと思いながら、今年は行けますよ、と話を返すと、「ちょうど良かった!セミナーの講師が少ないので手伝ってもらえますか?」と4年前にも聞いた言葉を返してきた。
その数日後にはラジオNIKKEIの中野雷太アナウンサーから、「村本さん、ダービーデーの日はまたラジオにご出演をお願いしたいのですが」との依頼が来た。実は自分がダービーの日に東京競馬場へ行けなくなったのを見計らったかのように、中央競馬実況中継の放送内でダービー馬に関する話や、生産界の話題をする仕事をもらっていた。
「今年のダービーは現地に行けることになりました」と中野アナウンサーに話すと、「なら、スタジオで話をお願いします!」と話がまとまった結果、4年ぶりのダービーはビギナーズセミナールームと、ラジオNIKKEIブースを行き来することが決定した。
スケジュールが埋まったといえども、やはりダービーは特別なレースであり、胸をときめかせるイベントでもある。新宿から京王線に乗車した際に、馬柱に目を凝らす競馬ファンを見た時に、「今日は一緒にダービーを楽しみましょう!」といった仲間意識も芽生えて来たし、競馬場の入口前で、写真を撮りまくる若いファンを見た時には、このまま競馬に興味を持ち続けてね、と優しい視線を向けていた。
1レースから聞こえてくる歓声とも喧噪ともいえる声も、どこか懐かしかった。これまではダービーに限らず、声援を送ることが憚られてきていたが、それでもテレビの画面越しにも抑えようのない声が、多数のファンから漏れた結果、歓声のように聞こえてくることがしばしばあった。
それを原稿にする際、「歓声」の二文字を書いていいのかどうかを悩んでいたが、今年のダービーからは「歓声が聞こえる」と書いていいのが嬉しかった。
ビギナーズセミナーとラジオ出演も終わったので、ダービーはラジオNIKKEIブースで見せてもらった。この日の東京競馬場には全席指定券の発売だったにもかかわらず、7万1,868人ものファンが詰めかけたという。
7階にあるブースからだと、内馬場まで一杯に人が入った光景が一望できた。これだけの人たちがダービーを見に来てくれたことに対して、マスコミの1人として感謝したくなっただけでなく、発走前の煽りVTRが大型ビジョンに流れてきた時には、感情が揺さぶられて目がウルッときた。
今年の日本ダービーはスタートからゴールまで、普段のレースでも滅多に無いようなことが立て続けに起こった。それがダービーという一般層にも広く認知されていたレースだけに、レース後には様々な記事が出たり、ネットでもどうすべきだったのかといった問題提起や、時には批判的な書き込みも目にした。
自分自身、今年のダービーをどう伝えるかを考えた時、具体的な言葉が思いつかなかった。それは検量室で関係者と会話を交わしたり、記者会見に参加できたとしても、文字にするのは難しかったのかもしれない。
帰りは府中本町から帰ろうとすると、駅までの通路は大渋滞となっていた。自分の横には家族連れがいたが、4、5歳ぐらいの子供はぐずることも無く、お父さんに対して、「また競馬を見に来ようね」と笑顔で話しかけていた。ダービーへようこそ。そして、これからもよろしく。