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第169便 ハマノバンチョウ

2009.01.02
 「たまにはお顔を見せてください」と絵ハガキがくる。東京駅八重洲口に近い小さなバーのママからだ。
 絵ハガキは京都の嵯峨野の紅葉の景色だ。ひとり旅で,うろうろしてきたとも書いてある。あのバーには30年も前から行ってたなあ。あのママもカンレキかあ。おたがい,トシとったもんだ。

 思うように酒がのめなくなったので,行ってもオジヤマ虫になるからと遠慮をし,ときどき近くに行ったときは寄ってみようか迷うのだが,寄らずに帰ってきてしまう。もう2年くらい,ご無沙汰してるかな。

 「おお,そうそう,函館記念」と絵ハガキをもらったうれしさが私に言わせそうになった。ママの夫は大きな印刷会社勤務で,5年ほど前に亡くなったが,会えば思い出の函館記念の話をしたものだ。「カズシゲ,カズシゲ」と心で言いながら,私は「おれの競馬ノート」を取りに立つ。

 1982年8月のノートで「カズシゲ」を見つけた。次のように書いてある。『8月29日,八重洲ノンベエ会で函館旅行。湯の川の宿から競馬場へ行く。台風13号が心配されたが,奇跡のように晴れて,まさかの良馬場。函館記念でカズシゲが勝った瞬間,人目もはばからず,ママとダンナがぎゅっと抱きあった。ダンナの名がシゲル,ママがカズコで,それで伊藤稔騎乗のカズシゲの単勝を5000円も買っていたのだ。配当は1760円。

 おまけに2着のサニーシプレーとの連複②-⑥も3000円,ダンナは持っていた。ダンナの父親の名が二郎で,それで②-⑥を買ったという。配当は4770円。大漁だ。ダンナとママのおごりで,その晩,5人の宴会に10人の芸者を呼んだ』あの5人のうち,おれとママしか生きていない,とノートを読みながら思い,そう思うと,どうしたって八重洲口へ行きたくなって,その日に出かけた。

 ドアをあけるとママが,目をまんまるにしてむかえてくれた。7人も座ると満員のカウンターに,3人づれの背広の客がいる。
 「あとでゆっくり」と目で言ってママは,3人づれのお相手。今は女のコを使っていないらしい。
 「がっかりだよなあ」
 「あいつ,古いのかね」
 「なんたって,あのヘヤースタイルだからな」3人づれは50代と40代と30代がひとりずつみたい。みんなの背広が紺色である。
話題はフリーエージェント宣言をした三浦大輔投手が,誘われた阪神タイガースへ行かずに,横浜ベイスターズに残留を決めたことだった。

 今日はどこでも,この話題が多いのかなと思ったのは,東京駅へ来る横須賀線の私がいた4人掛の席でも,前に座っていた若い男がふたり,三浦のことを言っていたからである。その若い男たちは,どうやら熱狂的な阪神タイガースのファンのようで,「三浦が阪神で10勝したら,巨人と中日に勝てるのになあ。三浦ってバカじゃないの。関西の出身だし,甲子園で投げたら,モチベーションが最高じゃないですか。わかってない」

 「阪神は杉山の背番号18をゆずるとまで言ったんでしょう。契約金だって3年で13億とか言ってたのに,それを振るなんて,プロじゃない」と泡をとばして三浦をコキおろしていた。べつにベイスターズのファンでもないが,三浦の横浜残留は私にとってはグッドニュースなので,「ちょっと待て」と話に入りたいくらいだった。

 ガキのときから超の字のつく野球大好き人間だった私は,金田が,張本が,落合が,清原が巨人軍に移るのを見てきた。プロの世界ってのはそういうもんだ,と見せつけられてきたのである。阪神の金本といったって,広島の金本じゃないか。阪神の新井といったって,広島の新井じゃないか。おい,阪神ファンよ,金本が打ったからって,新井が打って勝ったからって,うれしい?そんなことを言ったからってハジマラナイくらいのことはわかってる。

 ヤクルトのグライシンガーが投げて,ヤクルトのラミレスが打って,日本ハムの小笠原が打って,それで巨人が勝ったからって,巨人ファンていうのはうれしいの?そんなことを言ったら,「あんたガキみてえなこと言ってるんじゃねえよ」と笑われることぐらいわかっている。

 それが世の中だから,「三浦,ありがとう」と私は感じ,今朝のスポーツ紙の記事を熱心に読んだのだった。
 ●残留の理由は。
 「判断基準はいっぱいあった。最終的には高校時代もそうだったけど,強いところを倒して優勝したい。そこが一番。横浜にも愛着があった」
 ●残留を望むファンの声が多かった。
 「いい時も悪い時も熱心に応援してくれたし,すごい心に響いた。ファンあっての三浦大輔。幸せだなと思う」
 ●阪神からの誘いには。
 「すごい評価をしてもらった。地元も関西だし,すごい悩んだ」
 ●FA宣言からの2週間を振り返って。
 「結果だけ見れば宣言残留だが,他球団の話も聞けたのは大きかった。客観的に横浜や他球団も見ることができた」

 こうした記事を思いだしながら,水割りをちびちびやっている私に,「先輩は三浦をどう思いますかね」と3人づれの40代らしい男から声がかかった。「三浦が抜けたら,ベイスターズはピッチャーの柱がなくなっちゃうじゃないですか。三浦,エライですよ。ハマの番長に拍手,乾杯ですよ。言わせてもらえれば,三浦大輔が阪神へ入るのが当然といった考え方の流れが,世界的な金融不安を招いたんじゃないんですか。違いますかね。アハハ,いやはや,ナマイキ言ってすみません」と私は頭をぴょこんと下げた。

 なんだか居心地が悪くなってしまったなあと思っていると,白髪の紳士が入ってきて,3人づれが帰って行った。白髪の紳士は大事な客のようで,また私はしばらくのフリータイムだ。私の脳裏に北海道の日高地方の,馬がいる放牧地の景色がひろがったのは,日高地方に数日いて,帰ってきたばかりだったからだろう。

 グラスの酒を揺らしながら私は,競走馬の生産を営む人,そこで働く人たちに,「横浜ベイスターズの三浦投手が,阪神へ行かずに残留しました。どう思いますか」とひとりひとりに聞いて歩きたいと思った。「そんな大した問題か?」と聞きかえしてくる人もいるだろう。「大した問題なんです」と私は言うだろう。

 社会にたいする,社会の流れにたいする,思い方の問題なのである。そう言えば,「思い方で馬が走るんなら苦労はいらんべ」と言いかえされそうだが,人間のやっていることの半分は,思い方が問題なのだと私は思うのだ。「なんだかさ,GⅠレースが終ってみると,またあそこの馬が勝ったぞって,疲れを感じるんだよなあ。この流れ,どうもならん」

 何日か前に日高で,小さな牧場を営む人が言っていたセリフである。その人,たぶん,プロ野球ファンだったとしても,三浦投手の横浜残留の意味を考えないような気がするのだ。

 三浦大輔のニックネームは,ハマの番長である。誰か,ハマノバンチョウという馬を走らせてくれないかなあ。と私は思った。
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