烏森発牧場行き
第196便 陽気ないい奴
2011.04.08
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土曜日には中山でアネモネS,日曜日には阪神でフィリーズレビューと,桜花賞トライアルをひかえ,チューリップ賞を圧勝したレーヴディソールにどの馬が挑むのか,と楽しみがふくらんでいた金曜日の午後2時46分,宮城県牡鹿半島の東南約130キロ,深さ24キロを震源とする,マグニチュード9.0の地震が発生した。記録が残る1923年以降,国内で最大の地震だという。
電気もガスも止まり,日暮れてローソクの灯をたよりに,私は連絡したい人の名をメモ用紙に書きつらねた。かみさんの父親が宮城県大崎市古川の出身で,今も古川に,仙台市に,亘理郡亘理町にと,親戚が点在してる。ほかに私の,東北地方にいる友だちの名もいくつか書いた。
しかしケイタイは誰にもつながらず,ラジオからの情報を聞いているしかない。懐中電灯を持って2階の仕事部屋へ行き,暗闇へ手を合わせ,「おねがいします」私ははっきりと声にし,友だちの無事を祈って頭を下げた。
玄関に人が来た。夜8時,停電は続いている。「達也です」その声に懐中電灯を当てると,達也くんがにっこり笑った。達也くん,35歳。居酒屋仲間で数年のつきあいがある競馬友だちだ。造園会社で働いていて,私の家から自転車で20分の市営アパートで,看護師の麻美さんと暮らしている。子供はいない。
「なんだか幸次が気になって仕方ないんですよ。あいつの実家,釜石。おれ,行ったことがあるんだけど,海の近くなんだ。ラジオで聞いていたら,かなり津波にやられたみたい。さっき,あいつのアパートに行ってみたけど,帰ってない。ケイタイもつながらないし,落ち着かなくて,こういう場合,トシヨリの顔を見たら落ち着けるかなと」それで達也くんは自転車で来たのだった。
「トシヨリの顔は余計だけど,ま,あがれや」「すみません」椅子に座った達也くんがローソクの灯を少し見つめた。
「自慢じゃないけど,ウツ病みたいなあいつを,競馬を教えて治したのはおれなんだ」達也くんの言うのが嘘でないのを私は知っている。すぐ近くに住んでいた幸次くんが,偶然にも麻美さんが勤務する医院の患者だった。それが達也くんと幸次くんが知りあうきっかけになり,達也くんが幸次くんを競馬場に誘った。
25歳の幸次くんが競馬に興味を持ったのである。それから3年が過ぎ,それまで長続きしなかった仕事も,今は塗装工として怠けずに続けているのだ。とりあえず明日まで待とうよ,ということになって達也くんが帰ったあと,9時に電気が点き,私は「自分の競馬ノート」をひらいた。
「2011年2月5日,土曜日,晴れのち曇。達也と幸次と,幸次の兄のサブちゃんと東京競馬場へ行く。サブちゃんは漁師である。
川崎にいる叔父が病気で倒れて入院,釜石から見舞いに来た幸次の兄が,幸次の部屋に泊まった。達也の誘いでスナックへ。私も参加。幸次の兄はカラオケで,北島三郎の歌があんまり上手なので,サブちゃんと命名。翌日に競馬場へ。サブちゃん,生まれて初めての競馬場に興奮。レースに興奮。馬券に興奮。こんなにおもしろいところがあるのかよ,と興奮しまくり。
東京11R金蹄Sが終わったとき,おれの当たってるんじゃねえかい,とサブちゃんが言う。1着⑥ハギノリベラと2着④ストロングバサラの馬連④-⑥が5点買いのうちにあり,1000円買っていた。ストロングバサラは1番人気だが,ハギノリベラは16頭立て12番人気で,馬連7760円。
どうしてハギノリベラを買えたのか。そんなことわかるわけねえよ。パドックであの馬,おれには強そうに見えた,と言うのだ。
その晩,サブちゃん,鎌倉のスナックでカラオケ歌いまくり。誰か釜石に競馬場を作ってくれねえかなあと笑った。「サブちゃん,陽気ないい奴」と書いてあるのを読んだ。
2011年3月12日,土曜日。午後,幸次と連絡がついた,と達也くんから電話がきた。
「幸次のところ,いっしょに行ってくれませんか」
「わかった」と私は返事をした。
夜7時,アパートの6畳間の壁に寄りかかって幸次くんは,疲れきった顔で缶ビールをのんでいた。テレビがついていない。
「テレビ,見ないのか?」達也くんが言い,
「見ない。見たくない」幸次くんが言った。
「おやじもおふくろもダメだ。兄貴も,子供たちも,義姉さんもダメだ」
「わからないじゃないか」私が言った。
「テレビで,釜石,見た。おれの家,海に近いし,全滅」と言う幸次くんを,
「決めるなよ」達也くんが叱った。
「上の姉がいる陸前高田も,下の姉のいる大船渡も全滅だ」ちっとも悲しんでなんかいないという顔をつくって幸次くんが小声で言い,「ひどい」つぶやいた。
私も達也くんも壁を見つけて寄りかかり,黙った。だんだんに部屋が凍っていくようだった。ノックの音がし,仕事の帰りに寄った麻美さんで,空気で察したか,何も言わぬまま,畳に座った。
「競馬を見たよなあ,サブちゃん」と言おうとして私は黙った。
幸次くんは畳を見つめたままだった。達也くんも麻美さんも畳を見つめている。
「ひどい」
幸次くんから声がもれた。
電気もガスも止まり,日暮れてローソクの灯をたよりに,私は連絡したい人の名をメモ用紙に書きつらねた。かみさんの父親が宮城県大崎市古川の出身で,今も古川に,仙台市に,亘理郡亘理町にと,親戚が点在してる。ほかに私の,東北地方にいる友だちの名もいくつか書いた。
しかしケイタイは誰にもつながらず,ラジオからの情報を聞いているしかない。懐中電灯を持って2階の仕事部屋へ行き,暗闇へ手を合わせ,「おねがいします」私ははっきりと声にし,友だちの無事を祈って頭を下げた。
玄関に人が来た。夜8時,停電は続いている。「達也です」その声に懐中電灯を当てると,達也くんがにっこり笑った。達也くん,35歳。居酒屋仲間で数年のつきあいがある競馬友だちだ。造園会社で働いていて,私の家から自転車で20分の市営アパートで,看護師の麻美さんと暮らしている。子供はいない。
「なんだか幸次が気になって仕方ないんですよ。あいつの実家,釜石。おれ,行ったことがあるんだけど,海の近くなんだ。ラジオで聞いていたら,かなり津波にやられたみたい。さっき,あいつのアパートに行ってみたけど,帰ってない。ケイタイもつながらないし,落ち着かなくて,こういう場合,トシヨリの顔を見たら落ち着けるかなと」それで達也くんは自転車で来たのだった。
「トシヨリの顔は余計だけど,ま,あがれや」「すみません」椅子に座った達也くんがローソクの灯を少し見つめた。
「自慢じゃないけど,ウツ病みたいなあいつを,競馬を教えて治したのはおれなんだ」達也くんの言うのが嘘でないのを私は知っている。すぐ近くに住んでいた幸次くんが,偶然にも麻美さんが勤務する医院の患者だった。それが達也くんと幸次くんが知りあうきっかけになり,達也くんが幸次くんを競馬場に誘った。
25歳の幸次くんが競馬に興味を持ったのである。それから3年が過ぎ,それまで長続きしなかった仕事も,今は塗装工として怠けずに続けているのだ。とりあえず明日まで待とうよ,ということになって達也くんが帰ったあと,9時に電気が点き,私は「自分の競馬ノート」をひらいた。
「2011年2月5日,土曜日,晴れのち曇。達也と幸次と,幸次の兄のサブちゃんと東京競馬場へ行く。サブちゃんは漁師である。
川崎にいる叔父が病気で倒れて入院,釜石から見舞いに来た幸次の兄が,幸次の部屋に泊まった。達也の誘いでスナックへ。私も参加。幸次の兄はカラオケで,北島三郎の歌があんまり上手なので,サブちゃんと命名。翌日に競馬場へ。サブちゃん,生まれて初めての競馬場に興奮。レースに興奮。馬券に興奮。こんなにおもしろいところがあるのかよ,と興奮しまくり。
東京11R金蹄Sが終わったとき,おれの当たってるんじゃねえかい,とサブちゃんが言う。1着⑥ハギノリベラと2着④ストロングバサラの馬連④-⑥が5点買いのうちにあり,1000円買っていた。ストロングバサラは1番人気だが,ハギノリベラは16頭立て12番人気で,馬連7760円。
どうしてハギノリベラを買えたのか。そんなことわかるわけねえよ。パドックであの馬,おれには強そうに見えた,と言うのだ。
その晩,サブちゃん,鎌倉のスナックでカラオケ歌いまくり。誰か釜石に競馬場を作ってくれねえかなあと笑った。「サブちゃん,陽気ないい奴」と書いてあるのを読んだ。
2011年3月12日,土曜日。午後,幸次と連絡がついた,と達也くんから電話がきた。
「幸次のところ,いっしょに行ってくれませんか」
「わかった」と私は返事をした。
夜7時,アパートの6畳間の壁に寄りかかって幸次くんは,疲れきった顔で缶ビールをのんでいた。テレビがついていない。
「テレビ,見ないのか?」達也くんが言い,
「見ない。見たくない」幸次くんが言った。
「おやじもおふくろもダメだ。兄貴も,子供たちも,義姉さんもダメだ」
「わからないじゃないか」私が言った。
「テレビで,釜石,見た。おれの家,海に近いし,全滅」と言う幸次くんを,
「決めるなよ」達也くんが叱った。
「上の姉がいる陸前高田も,下の姉のいる大船渡も全滅だ」ちっとも悲しんでなんかいないという顔をつくって幸次くんが小声で言い,「ひどい」つぶやいた。
私も達也くんも壁を見つけて寄りかかり,黙った。だんだんに部屋が凍っていくようだった。ノックの音がし,仕事の帰りに寄った麻美さんで,空気で察したか,何も言わぬまま,畳に座った。
「競馬を見たよなあ,サブちゃん」と言おうとして私は黙った。
幸次くんは畳を見つめたままだった。達也くんも麻美さんも畳を見つめている。
「ひどい」
幸次くんから声がもれた。