烏森発牧場行き
第200便 100円の単
2011.08.10
Tweet
42歳から私は文章を書くことで生活をしている。自分の才能について自信などなくて,おれみたいな頼りない奴が,困った奴が,ちゃんと生きていけるかなあという不安は,34年も文筆生活を続けている今も消えることがない。
ただひとつ,私に信念のようなものがあるとすれば,「自殺をしない」という自分との約束だ。高校生時代に私は,いちばんの仲良しに自殺されてしまった。そのことが私に,自分との約束をさせたのだろう。
文芸誌によく作品を発表していたころ,「死ぬしか仕方がない」といった絶望を書きつらねた手紙を,未知の人から何度かもらった。文芸誌の編集部宛に来た手紙が,私に回送されてくるのだ。
そうなのか,世の中の人は,文章を書く人を,強い人,問題に解答を出せる人,と思っているのだな。ほんとうは逆で,弱い人,問題に解答を出せない人なのに,と苦しさや空しさを訴える手紙を読んで私は思った。
死にたければ死ねよ,と手紙を無視する度胸のない私は,おっちょこちょいなのだろう,その手紙の主と会うことにした。
会い方は決まっていた。かならず,中山競馬場か東京競馬場,夏ならば大井か川崎か船橋か浦和の,何月何日の何時に,そこのドコソコで,と返事を書いた。「どうしても死ぬというのを,やめろという力はおれにはないけれど,いちど会おうよ」。そう返事に書いて,競馬場で会った人は,はっきり思い出せる人で,3人いる。
「おれもね,生きていて,そんなに楽しくはないなって,そう思ってる暗い人間なんだ。それでね,ひとりでいても暗く見えない競馬場へ来て,1頭の馬の単勝というのを買ってるんだ。競走馬って,勝ったからって威張らないし,負けたからって卑屈にならないし,暗い人間にとってはすばらしい存在だよ」
そんなことを言って,単勝の説明をし,100円,好きな番号からでも,好きな名前からでも,1頭を選んでもらって,単勝を買わせた。
そんなふうにして会った人と私は,今でも手紙のやりとりをしたり,たまに競馬場で会ったりしている。言っておくけど,その人を救ったとか,そんな自慢をしているわけではなく,100円の単勝馬券の持っている力のことを言いたいのだ。
2011年6月,私に事件が起きた。
「おお,ここにいたのか。コンビニにいなくなっちゃったし,どこへ行ったのかなあって思ってたよ。ウン,今の方がオトコっぽいぞ」
とガソリンスタンドで働いていたKくんに私が言ったのは4月だったか。
Kくんは16歳。中学校2年から登校拒否をし,高校へも入らず,進学していれば高校2年生なのを,私は中学のときに同級だった孫娘から聞いていた。
「オトコっぽいぞ」
と私に言われてKくんは,言葉はなかったが,にっこり笑った。この笑顔があれば,こいつ大丈夫,と私は思った。
Kくんの父親は東京ドームの都市対抗野球にも出たことのある人で,少年野球のチームの指導もしている。Kくんも少年野球チームに入っていたが,練習や規律に耐えられなかったのだろうというのが孫娘の見方で,そのことで父親と揉め,登校拒否という状況に追いこまれてしまったのではないか,というのが私の見方だ。お母さんはどういう人なのかなあ,とも私は思った。
コンビニで働いていたKくんにも,レジで私はいろいろと冗談を言った。そのたびにKくんがうれしそうに笑うので,競馬新聞を買いに行くのだが,近くにもコンビニがあるのに,ちょっと遠いKくんのいるコンビニまで足をのばしたりしていた。
「ありがとうございました」
というKくんの声が小さいので,
「ちゃんと声に出して言わないと,ありがたいんだか,ありがたくないのかわからないから,声を出そうよ。あっ,声を出せなんて,野球みたいだけどな」
周囲に誰もいないときを選んで,Kくんに私が言ったことがあった。それからKくんは,けっこうしっかりした声で,「ありがとうございます」を言っていて,私はうれしかった。
散歩していて私が,小さな公園のベンチにKくんがひとりでいるのを見て,「おーい」と声をかけて手を振り,Kくんも手を振りかえしたので,
「行っていいかい?」
聞いて私もベンチに座ったのは,5月の半ばだった。
「おれさ,いちどな,おれの大好きな競馬場へ,Kくんを連れて行きたいなあって思ってるんだ。100円で馬券を買って,おれが選んだ馬とKくんが選んだ馬の,どっちが勝つか賭けたい。ぜったい,おもしろいぞ」
そう私が言うのを,Kくんは真剣な顔をして聞いていた。
もし,誰にも言えないことがあったら,おじさんに言えよ,とケイタイの番号を教えておこうかと思ったとき,自転車でKくんの友だちが現れたので,それを言わずに私は腰をあげた。
6月の半ばだった。北海道の勇払郡にいた私のケイタイが鳴り,娘からで,Kくんの死を知らされた。娘もKくんのことを気にかけ,バレンタインデーの日に,スーパーマーケットの前の空地にKくんがいたので,
「チョコをくれる人,いないんでしょ」
と笑いかけ,Kくんも笑いかえしたので
「おばさんでガマンしなさい」
と冗談にチョコレートをあげたりしたことがあったのだ。
心臓の病気で,と孫娘はKくんの友だちから聞かされたとか,自殺かどうかわからないのだが,Kくんが死んだというのがくやしくて私は,牧場の放牧地の隅っこへと歩き,青い空を眺めた。
あの小公園のベンチで,ケイタイ番号を教えればよかった。競馬場でKくんと,100円の単で遊びたかった。そんな私の思いが,青い空に浮かんでいた。
ただひとつ,私に信念のようなものがあるとすれば,「自殺をしない」という自分との約束だ。高校生時代に私は,いちばんの仲良しに自殺されてしまった。そのことが私に,自分との約束をさせたのだろう。
文芸誌によく作品を発表していたころ,「死ぬしか仕方がない」といった絶望を書きつらねた手紙を,未知の人から何度かもらった。文芸誌の編集部宛に来た手紙が,私に回送されてくるのだ。
そうなのか,世の中の人は,文章を書く人を,強い人,問題に解答を出せる人,と思っているのだな。ほんとうは逆で,弱い人,問題に解答を出せない人なのに,と苦しさや空しさを訴える手紙を読んで私は思った。
死にたければ死ねよ,と手紙を無視する度胸のない私は,おっちょこちょいなのだろう,その手紙の主と会うことにした。
会い方は決まっていた。かならず,中山競馬場か東京競馬場,夏ならば大井か川崎か船橋か浦和の,何月何日の何時に,そこのドコソコで,と返事を書いた。「どうしても死ぬというのを,やめろという力はおれにはないけれど,いちど会おうよ」。そう返事に書いて,競馬場で会った人は,はっきり思い出せる人で,3人いる。
「おれもね,生きていて,そんなに楽しくはないなって,そう思ってる暗い人間なんだ。それでね,ひとりでいても暗く見えない競馬場へ来て,1頭の馬の単勝というのを買ってるんだ。競走馬って,勝ったからって威張らないし,負けたからって卑屈にならないし,暗い人間にとってはすばらしい存在だよ」
そんなことを言って,単勝の説明をし,100円,好きな番号からでも,好きな名前からでも,1頭を選んでもらって,単勝を買わせた。
そんなふうにして会った人と私は,今でも手紙のやりとりをしたり,たまに競馬場で会ったりしている。言っておくけど,その人を救ったとか,そんな自慢をしているわけではなく,100円の単勝馬券の持っている力のことを言いたいのだ。
2011年6月,私に事件が起きた。
「おお,ここにいたのか。コンビニにいなくなっちゃったし,どこへ行ったのかなあって思ってたよ。ウン,今の方がオトコっぽいぞ」
とガソリンスタンドで働いていたKくんに私が言ったのは4月だったか。
Kくんは16歳。中学校2年から登校拒否をし,高校へも入らず,進学していれば高校2年生なのを,私は中学のときに同級だった孫娘から聞いていた。
「オトコっぽいぞ」
と私に言われてKくんは,言葉はなかったが,にっこり笑った。この笑顔があれば,こいつ大丈夫,と私は思った。
Kくんの父親は東京ドームの都市対抗野球にも出たことのある人で,少年野球のチームの指導もしている。Kくんも少年野球チームに入っていたが,練習や規律に耐えられなかったのだろうというのが孫娘の見方で,そのことで父親と揉め,登校拒否という状況に追いこまれてしまったのではないか,というのが私の見方だ。お母さんはどういう人なのかなあ,とも私は思った。
コンビニで働いていたKくんにも,レジで私はいろいろと冗談を言った。そのたびにKくんがうれしそうに笑うので,競馬新聞を買いに行くのだが,近くにもコンビニがあるのに,ちょっと遠いKくんのいるコンビニまで足をのばしたりしていた。
「ありがとうございました」
というKくんの声が小さいので,
「ちゃんと声に出して言わないと,ありがたいんだか,ありがたくないのかわからないから,声を出そうよ。あっ,声を出せなんて,野球みたいだけどな」
周囲に誰もいないときを選んで,Kくんに私が言ったことがあった。それからKくんは,けっこうしっかりした声で,「ありがとうございます」を言っていて,私はうれしかった。
散歩していて私が,小さな公園のベンチにKくんがひとりでいるのを見て,「おーい」と声をかけて手を振り,Kくんも手を振りかえしたので,
「行っていいかい?」
聞いて私もベンチに座ったのは,5月の半ばだった。
「おれさ,いちどな,おれの大好きな競馬場へ,Kくんを連れて行きたいなあって思ってるんだ。100円で馬券を買って,おれが選んだ馬とKくんが選んだ馬の,どっちが勝つか賭けたい。ぜったい,おもしろいぞ」
そう私が言うのを,Kくんは真剣な顔をして聞いていた。
もし,誰にも言えないことがあったら,おじさんに言えよ,とケイタイの番号を教えておこうかと思ったとき,自転車でKくんの友だちが現れたので,それを言わずに私は腰をあげた。
6月の半ばだった。北海道の勇払郡にいた私のケイタイが鳴り,娘からで,Kくんの死を知らされた。娘もKくんのことを気にかけ,バレンタインデーの日に,スーパーマーケットの前の空地にKくんがいたので,
「チョコをくれる人,いないんでしょ」
と笑いかけ,Kくんも笑いかえしたので
「おばさんでガマンしなさい」
と冗談にチョコレートをあげたりしたことがあったのだ。
心臓の病気で,と孫娘はKくんの友だちから聞かされたとか,自殺かどうかわからないのだが,Kくんが死んだというのがくやしくて私は,牧場の放牧地の隅っこへと歩き,青い空を眺めた。
あの小公園のベンチで,ケイタイ番号を教えればよかった。競馬場でKくんと,100円の単で遊びたかった。そんな私の思いが,青い空に浮かんでいた。