烏森発牧場行き
第203便 友だちの元気な声
2011.11.11
Tweet
テレビのコマーシャルを作ったりミュージカルの製作をしたりしていたキタムラさんが,20年も育ててきた会社を72歳で若い人にゆずって3年が過ぎる。今は電話で馬券を買うか,ときどきはウインズ銀座に出かけるか,それとクラブの40分の1馬主(何頭か持つなかにサンカルロがいる)を楽しんいる。
キタムラさんと私が銀座のビヤホールで酔っているときだった。すぐうしろのテーブルに若い人が3人いて,その人たちは私を知らないが,私はその人たちを競馬場の地下などで見ていて,スポーツ紙の競馬記者なのを知っていた。
それをキタムラさんに言うと,
「ひどいね」
と笑ったのは,
「もう競馬も,パソコンを触わらないようなジィさんを相手にしてる場合じゃないよな」
「馬券を現金でしか買えない人たちも,もうすぐ消えちゃいそうだしね」
といった会話が,そっくり,キタムラさんと私に聞こえていたからだ。
「恐ろしい。馬主たちに聞こえたら,どういうことになるか」
と私も笑った。
しかしキタムラさんも私も,寄る年波を思えば,若い人に腹を立てるヒマはないのだ。
9月19日,明日が私の心臓の手術という日,
「それにしても大兄のハートのクダが細いなんて,顔見ただけじゃわかんないよね。ビックリ!あとはひたすら銀座で乾杯する日を待っておりやす。その日が来たら,乞連絡。これからはヨンカルロのキタ,と呼んで下され。取急ぎ,草々」
とキタムラさんからハガキがきた。ヨンカルロと言っているのは,9月11日のセントウルSでサンカルロが4着だったからだ。
大兄と称ばれて恐縮だが,悪い気はしない。それこそキタムラさんは,丈夫が洋服を着ているような人で,これはエンギのよろしいハガキだと,私は病院のベッドの枕の下に忍ばせて手術室に向かった。
そうして数日後に私が退院すると,
「前略。大兄入院の翌日,当方緊急の入院!これが生まれて初めての入院なり。胃カメラも初めてなら,脇腹からストローを突込まれて,肝の腫瘍を取るも初めて!明日からまだまだ続くとか。怖いよう......。次のサンカルロまで帰れそうにない!これで大兄と五分だな。詳細はいづれ,草々」
というキタムラさんからのハガキが待っていた。次のサンカルロというのは,10月2日のスプリンターズSのことだ。
どこでどうして書いたハガキなのだろう。消印の下に「虎ノ門にて」と書いてある。すぐにケイタイをかけてみたがつながらなかった。
10月2日,私はサンカルロの単勝と,サンカルロからの馬単を何点か買ったが紙クズになった。
あくる朝,「ああ,散カルロ。ああ,惨カルロ」なんて思っているところにケイタイが鳴り,キタムラさんからだった。
「なんだかね,ミゾオチが痛かったんだよ。でね,大正漢方胃腸薬ての飲んでゴマカシてたんだが,大泉学園でのんでるとき,途中で酒がイヤになっちゃったのよ。そんなこと初めて。ダメだ。痛い。ガマンできない。入院だよ。心臓も,肺も,胃も,大腸もセーフでね,あとは肝臓と膵臓の調査だね。あと何日か出られそうもないなあ。サンカルロの奴,ちょいとだらしなかったからね,おれがしっかりしなくちゃな,アハハ。
ところで,主治医の名前,ゴトーっていうの。ヨシダ,ヨシダユタカだったら,もっと面白かったのに。ま,待ってておくんなさい」
キタムラさんの,相かわらずの元気な声を聞き,よく晴れた空の青を眺めていると,キタムラさんと酔っていたビヤホールでの景色が浮かび,
「馬券を現金でしか買えない人たち」
とか言ってた若い競馬記者たちの声が聞こえてくるようだった。
「そんなつまらないことをどうして思いだすのだ。どうでもいいじゃないか,ひどいことを言う連中なんか」
と私が自分に言っているとき,電話が鳴った。昔,草野球チームの仲間だった水道工事職人の娘,千恵さんからだった。
「昨日,お昼すぎ,今日は夜勤よって家を出たの。ホームへ行く前に寄ってくれと言われて,馬券を買って」
千恵さんは50歳。大きな病院で老人介護の仕事をしている。横浜市南区の家から中区の病院へ行く途中にウインズ横浜があるのだ。父の幸作さんは76歳。もう仕事はしていなくて,土曜と日曜で3000円と決めた馬券だけが楽しみだ。
40歳のときに離婚をして娘と息子を育ててきた千恵さんは,幸作さんのやさしい援助に頭が上がらない。早くに妻を失くした幸作さんは,ひそかに千恵さんの離婚が,自分のためには幸運だったと思っているのだ。
「それでね,昨日,たまには自分もってさ,父さんと母さんと,わたしと子供たち5人の誕生日の数字で,100円ずつ3連単を買ったの。
さっきよ。ほんの20分ぐらい前のこと,病室に捨ててあった新聞を見たら,凄いのがアタってるみたいなの」
「レースは?」
「スプリンターなんとか。⑩ー③ー⑭。父さん,昭和10年3月14日生まれ」
「ちょっと待て。おい,それ,21万なんぼだぞ」
「そうなのよ」
「幸作さんに言った?」
「まだ。言ったら騒ぎになるもの,まずヨシカワのおじさんに相談しようと思って。どうしよう」
「どうしようって,スゲエ,スゲエ,タマゲタ」
「どうしましょう」
そう言う千恵さんとの電話を切ったあと,やがて幸作さんが電話してくるなあと思い,友だちの元気な声というのはうれしいものだよなあと考えていると,早くキタムラさんの元気な声を聞きたいなあと私は願っていた。
キタムラさんと私が銀座のビヤホールで酔っているときだった。すぐうしろのテーブルに若い人が3人いて,その人たちは私を知らないが,私はその人たちを競馬場の地下などで見ていて,スポーツ紙の競馬記者なのを知っていた。
それをキタムラさんに言うと,
「ひどいね」
と笑ったのは,
「もう競馬も,パソコンを触わらないようなジィさんを相手にしてる場合じゃないよな」
「馬券を現金でしか買えない人たちも,もうすぐ消えちゃいそうだしね」
といった会話が,そっくり,キタムラさんと私に聞こえていたからだ。
「恐ろしい。馬主たちに聞こえたら,どういうことになるか」
と私も笑った。
しかしキタムラさんも私も,寄る年波を思えば,若い人に腹を立てるヒマはないのだ。
9月19日,明日が私の心臓の手術という日,
「それにしても大兄のハートのクダが細いなんて,顔見ただけじゃわかんないよね。ビックリ!あとはひたすら銀座で乾杯する日を待っておりやす。その日が来たら,乞連絡。これからはヨンカルロのキタ,と呼んで下され。取急ぎ,草々」
とキタムラさんからハガキがきた。ヨンカルロと言っているのは,9月11日のセントウルSでサンカルロが4着だったからだ。
大兄と称ばれて恐縮だが,悪い気はしない。それこそキタムラさんは,丈夫が洋服を着ているような人で,これはエンギのよろしいハガキだと,私は病院のベッドの枕の下に忍ばせて手術室に向かった。
そうして数日後に私が退院すると,
「前略。大兄入院の翌日,当方緊急の入院!これが生まれて初めての入院なり。胃カメラも初めてなら,脇腹からストローを突込まれて,肝の腫瘍を取るも初めて!明日からまだまだ続くとか。怖いよう......。次のサンカルロまで帰れそうにない!これで大兄と五分だな。詳細はいづれ,草々」
というキタムラさんからのハガキが待っていた。次のサンカルロというのは,10月2日のスプリンターズSのことだ。
どこでどうして書いたハガキなのだろう。消印の下に「虎ノ門にて」と書いてある。すぐにケイタイをかけてみたがつながらなかった。
10月2日,私はサンカルロの単勝と,サンカルロからの馬単を何点か買ったが紙クズになった。
あくる朝,「ああ,散カルロ。ああ,惨カルロ」なんて思っているところにケイタイが鳴り,キタムラさんからだった。
「なんだかね,ミゾオチが痛かったんだよ。でね,大正漢方胃腸薬ての飲んでゴマカシてたんだが,大泉学園でのんでるとき,途中で酒がイヤになっちゃったのよ。そんなこと初めて。ダメだ。痛い。ガマンできない。入院だよ。心臓も,肺も,胃も,大腸もセーフでね,あとは肝臓と膵臓の調査だね。あと何日か出られそうもないなあ。サンカルロの奴,ちょいとだらしなかったからね,おれがしっかりしなくちゃな,アハハ。
ところで,主治医の名前,ゴトーっていうの。ヨシダ,ヨシダユタカだったら,もっと面白かったのに。ま,待ってておくんなさい」
キタムラさんの,相かわらずの元気な声を聞き,よく晴れた空の青を眺めていると,キタムラさんと酔っていたビヤホールでの景色が浮かび,
「馬券を現金でしか買えない人たち」
とか言ってた若い競馬記者たちの声が聞こえてくるようだった。
「そんなつまらないことをどうして思いだすのだ。どうでもいいじゃないか,ひどいことを言う連中なんか」
と私が自分に言っているとき,電話が鳴った。昔,草野球チームの仲間だった水道工事職人の娘,千恵さんからだった。
「昨日,お昼すぎ,今日は夜勤よって家を出たの。ホームへ行く前に寄ってくれと言われて,馬券を買って」
千恵さんは50歳。大きな病院で老人介護の仕事をしている。横浜市南区の家から中区の病院へ行く途中にウインズ横浜があるのだ。父の幸作さんは76歳。もう仕事はしていなくて,土曜と日曜で3000円と決めた馬券だけが楽しみだ。
40歳のときに離婚をして娘と息子を育ててきた千恵さんは,幸作さんのやさしい援助に頭が上がらない。早くに妻を失くした幸作さんは,ひそかに千恵さんの離婚が,自分のためには幸運だったと思っているのだ。
「それでね,昨日,たまには自分もってさ,父さんと母さんと,わたしと子供たち5人の誕生日の数字で,100円ずつ3連単を買ったの。
さっきよ。ほんの20分ぐらい前のこと,病室に捨ててあった新聞を見たら,凄いのがアタってるみたいなの」
「レースは?」
「スプリンターなんとか。⑩ー③ー⑭。父さん,昭和10年3月14日生まれ」
「ちょっと待て。おい,それ,21万なんぼだぞ」
「そうなのよ」
「幸作さんに言った?」
「まだ。言ったら騒ぎになるもの,まずヨシカワのおじさんに相談しようと思って。どうしよう」
「どうしようって,スゲエ,スゲエ,タマゲタ」
「どうしましょう」
そう言う千恵さんとの電話を切ったあと,やがて幸作さんが電話してくるなあと思い,友だちの元気な声というのはうれしいものだよなあと考えていると,早くキタムラさんの元気な声を聞きたいなあと私は願っていた。