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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第243便 英才教育

 「息子の結婚が決まってね、披露宴の話になったとき、頼むからおやじさんの競馬の友だちは呼ばないでくれって、そう息子が言うんだよね。わかったって返事したけど、なんだかさびしかった」
 と馬主のAさんが言って笑った。

 競馬を愛して、競馬に愛されてしまった人たちが集まると、ところかまわず話することがあって、それでにぎやかになってしまうことがあるよなあと私は思い、事実、自分が出席した披露宴での馬好きが集まったテーブルで、その日の新郎新婦に関係のないことで、少しうるさくなっていたことがあったのを思いだした。
 なんだかさびしかった、とAさんが言ってから半月もしないうちに、やはり馬主のBさんが、結婚が決まった息子のことで、Aさんと同じような話を口にした。
 私には息子はいないが、競馬における父親と息子の関係に興味を持った。おやじが好きだったもので、自分もいつのまにか競馬が好きになっていましたね、という人もいれば、ぼくのおやじは休日も家族そっちのけで競馬ばかりで、競馬なんかやるものかって、それで無視していましたね、という人もいる。
 そんなことを考えていると、人間というのはトシをとると、息子も娘も、心のなかで父親という存在と向きあっている時があるよなあと思ったりするからだろう、私は朝日新聞が週に一度で連載している「おやじのせなか」という続きものがとても好きだ。

 好きな読みものはしっかりと読むから体のどこかに残る。認知証の母との日日を描く漫画家の岡野雄一さんは、弱い癖に酒が大好きで失敗が多かった造船所勤務の父親を語り、
 「人付き合いが下手で、長と名のつく役職には就くこともなく定年まで勤め上げました。気持ちのきれいな人だった。昔は嫌だった父の繊細さなどすべてが、今は、好き、に変わりました。弟と、父ちゃん、よかったよね、と語り合っています」
 と読むと、私までもが、よかったなあと幸せな気持ちになるのだ。

 30歳近くになってグラビアデビューして、男たちの視線を集める壇蜜さんの語りも忘れられない。
 「父は驚いたと思います。そういう仕事を冷たい目で見る社会はまだ残っていると言われました。やめてくれってことです。
 テレビや雑誌などの仕事が増えてきた最近では、父に、薄着の仕事なんだから風邪ひくなよ、と言われます。
 そんな言い方で応援してくれるようになったんです。しょうがない、おれの子だもんなって、許してくれたんでしょうね」
 と語る壇蜜さんと会って話をしてみたくなってしまうよね。
 「薄着の仕事なんだから風邪ひくなよ」
 と私は声にして言ってみて、このセリフ、ジョッキーの父親が息子に言ってもいいよね、と思ってしまった。

 将棋の世界で遅咲きの五段、瀬川晶司さんの語りも忘れられない。化学メーカーの研究者だった父が定年後、電気メーカー関連の会社でパートをしていた父に晶司さんの兄が、安い給料で無理に働かなくてもいいのにと言ったとき、仕事に貴賤はないと、めずらしく声を荒らげたという。
 その父は晶司さんが28歳のときに交通事故で亡くなった。
 「おおらかな性格を受けついだのか、ゆったりとかまえる将棋が私の棋風になりました。父が好きだった日本酒を飲むと物静かだった父のたたずまいを思いだします」
 と読んだ私は、うっとりと、自分のおやじが酒をのんでいる姿を思いだし、小津安二郎の映画の、カメラの長まわしのシーンのように、昔の日を映していた。
 私もおやじのことを語りたくなってしまったなあ。私が競馬に愛されたのは、おやじと関係があるのかないのか?
 私が中学生のころ(1949~1951)、50代になったばかりのおやじは、日曜日になると近かった神田駅の売店にスポーツ新聞を買いに行き、廊下で腹這いになって家族に背中を向け、数字を書きこんだメモ用紙を、
 「頼む」
 現金とともに私に渡すのだった。はたらき者の父は、日曜日もほとんど休まずに、そのまま1階(自室兼薬品問屋)へ行って仕事をする。
 メモ用紙には、10点の馬券の数字が書いてあった。私は現金とメモ用紙をポケットに入れ、水道橋の後楽園場外馬券売り場へ自転車を漕ぐ。
 当時の馬券売り場の窓口は、2枠の窓、3枠の窓と別々で、そうなると、そのレースの人気馬券の窓口は長い行列、不人気馬券の窓口には人がいなかった。
 おやじの馬券は、かならず、人気馬券が5点、大穴馬券が5点なのだ、と息子の私にわかってしまう。その息子は、はずかしながら、悪知恵がはたらく奴で、めったに人が行かない窓口の馬券は、買わなくてもいいのではないか。その金をネコババして、浅草あたりで使ったらタノシイゼと決めてしまった。
 でも買わなかった大穴馬券が当たってしまったらどうしよう。心配で心配で私は、1台のラジオ放送を囲む男たちといっしょにいて、そのレースの結果を待った。
 ハラハラドキドキだが、結果はニコッ。私はカネを持ってるガキ。じゃんじゃん友だちにおごるから、子分がいっぱいできる。得意の日日だね。
 だが、或る日、おやじは私の顔も見ないで、ごく普通のおだやかな口調で、
 「あのな、マコト。競馬のな、馬券。ハズれたのもな、みんな渡してくれ」
 と言った。怒ると、手をつけられないほどに声を荒げるおやじの、おだやかな声に圧迫されて私は、2階の上にある物干し場に逃げ、どうしよう、どうしよう、どうしよう。冬の日、暗くなるまで座りこんでいた。
 2015年、おやじが死んで46年が過ぎる。後楽園場外馬券売り場へ中学生に自転車を漕がせたのは、あれは英才教育だったのだ。そう私は思い、
 「ありがとうございました」
 と東京競馬場の青空へ一礼した。