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第254便 おれの野毛

2016.02.16
 2016年1月9日、土曜日、横須賀線を横浜で京浜東北線に乗りかえた私は、ひとつめの桜木町駅で下車して改札口へと階段をおりながら、「おれの駅」を歩いているという感覚になっている。
 改札口を出て左へ行くと海やランドマークタワーだが、右へ行って下りのエスカレーターに乗る。地上の広い交差点へ行かずに、地下の通路を抜ける。「おれの駅」という感覚に続いて、「おれの地下通路」という気分だ。
 かなり長いエスカレーターで地上へとのぼる。もうすぐ昼の12時だ。下りのエスカレーターの、スポーツ紙を手にした何人かの男とすれちがう。彼らはウインズ横浜で馬券を買った帰りで、家のテレビでレースを見るのだろう。
 地上に出る。空が青い。今日も快晴で、例年よりも気温の高い日が続いている。平和だなあ、ありがたいなあと感じたのは、家を出る前に見たテレビの、ギリシャの島へ着こうとする難民たちのシーンが頭にちらついたからだ。
 地上に出てすぐのコーヒーショップに入る。席に着いて、カフェオレをのみながら、「おれのコーヒーショップ」と思っている。競馬場へ行かずにウインズ横浜で馬券をやるときは、ここでひと息入れるのが決まりごとのようなのだ。
 「あけまして、どうも。今年も、よろしく」
 と声にはせずにコーヒーショップに挨拶をする。
 年末から年始へ、京都にいる小学生の孫娘もいたりして、親戚の連中も来たり、親戚へ行ったりして、にぎやかな毎日だったが、過ぎてみるとあっけなくて、静かな日になった。さびしいような、さびしくないような、どっちつかずの気分でぼんやりしている。
ウインズ横浜に来だしたのは昭和51年、1976年に鎌倉へ引っ越してからで、もう40年になるのだなあと計算をした。その前は後楽園や錦糸町や浅草の時代もあったし、銀座ばかりの時代もあったし、いったい、おれにとって、場外馬券売り場って、おれの人生というやつにとって何なのだと思った。
 「桜木町」
 心のどこかで誰かが言っている。いや、誰かではなく、自分の声だ。

 ふりかえっている、昔を。朝早く、連日のように桜木町へ来た昔を。
 25歳ぐらいのころ、昭和37年、1962年のころだ。私は桜木町駅にいた日雇い手配師から仕事をもらい、港へ行って小麦粉の俵をかついだり、貨物船の掃除をしたりして食っていたのだ。そのころは日暮里のアパートにいたので、馬券は浅草で買っていた。
 そうだよなあ、あのころ、馬券を買いに桜木町駅へ来るなんて思っていなかった。
 コーヒーショップからガラス越しに大通りが見える。その先は野毛の街だ。酒場がいっぱいあって、5軒ぐらいのバーへ行っていたが、どこのママも死んでしまったなあ。
 コーヒーショップを出て大通りでなく、せまい動物園通りを歩く。途中で右に曲って坂道をのぼって行くと野毛山動物園で、右へ曲らなければウインズ横浜にぶつかる。
 何人かのガードマンが、「歩行者、渡りまーす」とか声をはりあげ、その信号を渡りながら、「おれの正月」といった気分になった。
 ウインズ横浜の4階へ行く。
 「こんなの、マニンゲンに取れるわけない」
 と寄ってきたのは、トラック運転手の40歳のコウちゃんだ。中山7Rダート1800㍍、馬連が5万3,350円。
 「よろしく、今年も」
 私が言い、
 「どうも、よろしく」
 コウちゃんも言った。
 今日の道づれはコウちゃんになった。
 「有馬もダメ。東京大賞典もダメ。金杯もダメ。
 クソッ、コノヤローなんだけど、おれ、馬券がハズれるから、それでくやしくて元気なのかなあ」
 とコウちゃんが笑う。
 中山8R中山新春ジャンプSは9頭立て。1番人気ニホンピロバロンが1着、2着は4番人気リヴゴーシュで馬単1,650円。コウちゃんも私も当てていた。
 「馬券がアタるとさびしくなくなる」
 そうコウちゃんが小声で言い、
 「マニンゲンのつぶやき」
 と私が笑った。
 最終レースまで馬券をやり、野毛の居酒屋へコウちゃんと行った。ビールで乾杯。
 「おれ、正月の2日も3日もトラック乗ってた。おれは馬券やりたいために働いてるんで、もし競馬を知らなかったら、こんなに働いてないぞと思いながらハンドルを握ってた。
 ときどき自分に、マジかよ?って聞いてるんだ。怠け者だったおれが、結婚して、子供育てて、馬券をやってる。けっこうマニンゲンな自分に、マジかよ?って」
 「マジかよ?っていえば、東京大賞典を勝ったサウンドトゥルーの馬主の山田弘さんと知りあいで、あのあと、電話で喋ってたとき、サウンドトゥルーという馬名は、マジかよ?という意味があって、ゴールしたとき、びっくり、マジかよ?って思ったって、山田さんが言ってた」
 「どうしてそんなに馬券が好きなのかって、嫁に聞かれたことがあった。あれも、マジなの?って思って聞いたんだろうな」
 「どう答えた?」
 「マニンゲンは、さびしいから生きてるんだ。そう答えたけど、嫁には通じなかったみたい。さびしいから競馬が好きなんだって言ったって、競馬はどうでもいい嫁からすれば、それこそ、マジなの?ってことになるもんね」
 「そうか。ニンゲンは、さびしいから生きてるんだ。たしかに。で、おれが今日、ウィンズへ来てるのも、さびしいから生きていて、泣いたり笑ったり怒ったりしたくて来てるんだ」
 と言って私は、今、コウちゃんと野毛の居酒屋でビールをのんでいるのだと意識をし、
 「おれ、40年もウィンズ横浜に来てるなと、昼に考えた。ウィンズ横浜はおれの教会だ。おれの教会のある野毛はおれの街だ。おれの野毛だ」
 と言わずに思って、少し黙った。
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