烏森発牧場行き
第277便 おれのことは
2018.01.04
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秋田県横手市出身のゲンちゃんとは、2001年ごろ、鎌倉市大船のスナックバーで知りあった。私は昔に薬品問屋勤務のとき、秋田県を担当して出張していた数年があり、ゲンちゃんが卒業した中学校や高校の光景も記憶していたので、話に花が咲いたのである。ゲンちゃんは24歳、私は64歳だった。
ゲンちゃんは高校を卒業して横浜に本社のある建設会社に就職をし、大船営業所に配属されていたのだ。幸か不幸か、私と知りあったのが縁で、2001年11月25日、ジャパンCの日の東京競馬場に足を踏み入れた。
競馬場に着くまでの電車で私が話をしたステイゴールド物語(重賞を勝つまでに38戦したとか、大レースで人気がないのに2着とか3着したとか、ドバイのシーマCで勝ってびっくりしたとか)に影響されたのか、ゲンちゃんはジャパンCで15頭立て4番人気のステイゴールドの単勝と複勝を2,000円ずつ買ったが、3着ナリタトップロードにクビ差の4着だった。
それからというもの、仕事熱心のゲンちゃんに、もうひとつ、競馬熱心がくっついて、酒場では「馬の助」という別名で呼ばれたりもした。
30歳のときにゲンちゃんは結婚したが、2年ほどで離婚している。子供はいなかった。離婚の原因は不明だが、奥さんが競馬を完全に無視していたので、ゲンちゃんの競馬熱心が原因だろうと周囲は噂をした。
40歳となったゲンちゃんが胃がんに襲われ、退社し、両親や兄や姉のいる秋田で療養すると、突然のように私が知らされたのは、2017年9月半ばのことである。
どうしてあいつ、連絡してこないのだと、少し腹を立ててケイタイをしてみようかと思った11月半ば、ゲンちゃんの姉さんから電話があり、ゲンちゃんは11月7日に息を引きとり、葬式も済ませたという報告で、
「弟が病院の枕もとにメモ帳みたいなのを置いていて、ようやく落ち着いて、いろいろ読んでみると、おれのことはよしかわさんに聞いてくれって、よしかわさんの電話番号が書いてあって」
と言うのだった。
そしてその数日後、12月3日にゲンちゃんの家族は、親戚の集まりがあって上京するのだが、前日の12月2日に、弟の、「おれのことは聞いてくれ」というのを、家族みんなが聞いてみたいと言うので、どこかで会えないかと、ゲンちゃんの姉さんが電話してきた。
それで12月2日の夕方に、ゲンちゃんが愛した大船の居酒屋で、私はゲンちゃんの家族と会うことになった。
「おれのことはよしかわさんに聞いてくれ」
私は何度も、その一行を心で言い、するとどうしたって、競馬のことを話しなかったら、話にならないような気がした。
ゲンちゃん、死んじゃったのか。嘘みたいだけれど、どうしたって嘘ではないのだから、受けとめるしかない。
馬房にいるステイゴールドを見ているゲンちゃんが浮かんでくる。2009年6月から9月まで、私はビッグレッドファームの明和に住んでいた。8月、その家にゲンちゃんが遊びに来て2泊した。
その家から種牡馬ステイゴールドのいるスタリオンまでは歩いてすぐ。ゲンちゃんは馬房にいるステイゴールド、放牧地にいるステイゴールドを見ているために、2日間を過ごしているようなものだった。
「ステイゴールドは、おれにとって、馬の神さまみたいなものだ」
と言うゲンちゃんに、
「どうして?どうしてそう思うの?」
そう私は聞くのだが、
「理屈抜きにステイゴールドは、おれの馬の神さまなんだ」
とひとりごとのように返ってくるだけだ。
ステイゴールドの子、ゴールドシップが、2011年12月24日、阪神でのラジオNIKKEI杯2歳Sを走ってから引退するまでの全レースを、ゲンちゃんは単勝を5,000円買っている。
2016年2月27日のこと、私はゲンちゃんとウインズ横浜にいた。
「ステイゴールドの息子のレインボーラインがアーリントンカップを走るのよ。レインボーラインだなんて、すばらしい名前だよね。その単勝を3,000円、お祝いということでいいかなぁ」
とゲンちゃんが言ったのは、3日前が私の誕生日だったからで、誕生日の祝いに、レインボーラインの単勝馬券をあげたいというのだ。
ミルコ・デムーロ騎乗のレインボーラインは、15頭立て4番人気、6.8倍だった。
勝ったのだ、レインボーラインが。川のほとりのバーで、ゲンちゃんと私は、ゲンちゃんが言うところの、「ステイゴールドまつり」をひらいた。
2017年5月14日のこと、ゲンちゃんはステイゴールドの娘アドマイヤリードの単勝を5,000円買っている。クリストフ・ルメールが乗って1着だった。そのときもゲンちゃんと私はウインズ横浜にいて、川のほとりの酒場へ行き、ステイゴールドまつりをしたのだが、
「次にさ、ゴールドシップまつりもしなくちゃね」
とゲンちゃんが言った。
レインボーラインやアドマイヤーリードの単勝馬券のことで、はっきりと言葉にはならないのだが、「ステイゴールドはおれの馬の神さま」とゲンちゃんの言う意味が、私にはわかったような気もしてくる。
しかし、どうしたって、ゲンちゃんに向き合おうとすると、ビックレッドファームのスタリオンでの、「ゲンちゃんとステイゴールド」のひとときが、彫刻作品のように形になってくる。
「どうすればいいのだろう」
と私は自分に質問をする。
たぶん競馬のことは何も知らないだろうゲンちゃんの家族に、会社の夏休みに北海道へ行き、レンタカーでステイゴールドに会いに行くこと。ゴールドシップの単勝馬券のこと。レインボーラインの単勝馬券を私に誕生日の祝いとして贈ってくれたこと。そしてアドマイヤリードの単勝馬券のことを話しても、仕方がないよなあと思った。
ゲンちゃんは高校を卒業して横浜に本社のある建設会社に就職をし、大船営業所に配属されていたのだ。幸か不幸か、私と知りあったのが縁で、2001年11月25日、ジャパンCの日の東京競馬場に足を踏み入れた。
競馬場に着くまでの電車で私が話をしたステイゴールド物語(重賞を勝つまでに38戦したとか、大レースで人気がないのに2着とか3着したとか、ドバイのシーマCで勝ってびっくりしたとか)に影響されたのか、ゲンちゃんはジャパンCで15頭立て4番人気のステイゴールドの単勝と複勝を2,000円ずつ買ったが、3着ナリタトップロードにクビ差の4着だった。
それからというもの、仕事熱心のゲンちゃんに、もうひとつ、競馬熱心がくっついて、酒場では「馬の助」という別名で呼ばれたりもした。
30歳のときにゲンちゃんは結婚したが、2年ほどで離婚している。子供はいなかった。離婚の原因は不明だが、奥さんが競馬を完全に無視していたので、ゲンちゃんの競馬熱心が原因だろうと周囲は噂をした。
40歳となったゲンちゃんが胃がんに襲われ、退社し、両親や兄や姉のいる秋田で療養すると、突然のように私が知らされたのは、2017年9月半ばのことである。
どうしてあいつ、連絡してこないのだと、少し腹を立ててケイタイをしてみようかと思った11月半ば、ゲンちゃんの姉さんから電話があり、ゲンちゃんは11月7日に息を引きとり、葬式も済ませたという報告で、
「弟が病院の枕もとにメモ帳みたいなのを置いていて、ようやく落ち着いて、いろいろ読んでみると、おれのことはよしかわさんに聞いてくれって、よしかわさんの電話番号が書いてあって」
と言うのだった。
そしてその数日後、12月3日にゲンちゃんの家族は、親戚の集まりがあって上京するのだが、前日の12月2日に、弟の、「おれのことは聞いてくれ」というのを、家族みんなが聞いてみたいと言うので、どこかで会えないかと、ゲンちゃんの姉さんが電話してきた。
それで12月2日の夕方に、ゲンちゃんが愛した大船の居酒屋で、私はゲンちゃんの家族と会うことになった。
「おれのことはよしかわさんに聞いてくれ」
私は何度も、その一行を心で言い、するとどうしたって、競馬のことを話しなかったら、話にならないような気がした。
ゲンちゃん、死んじゃったのか。嘘みたいだけれど、どうしたって嘘ではないのだから、受けとめるしかない。
馬房にいるステイゴールドを見ているゲンちゃんが浮かんでくる。2009年6月から9月まで、私はビッグレッドファームの明和に住んでいた。8月、その家にゲンちゃんが遊びに来て2泊した。
その家から種牡馬ステイゴールドのいるスタリオンまでは歩いてすぐ。ゲンちゃんは馬房にいるステイゴールド、放牧地にいるステイゴールドを見ているために、2日間を過ごしているようなものだった。
「ステイゴールドは、おれにとって、馬の神さまみたいなものだ」
と言うゲンちゃんに、
「どうして?どうしてそう思うの?」
そう私は聞くのだが、
「理屈抜きにステイゴールドは、おれの馬の神さまなんだ」
とひとりごとのように返ってくるだけだ。
ステイゴールドの子、ゴールドシップが、2011年12月24日、阪神でのラジオNIKKEI杯2歳Sを走ってから引退するまでの全レースを、ゲンちゃんは単勝を5,000円買っている。
2016年2月27日のこと、私はゲンちゃんとウインズ横浜にいた。
「ステイゴールドの息子のレインボーラインがアーリントンカップを走るのよ。レインボーラインだなんて、すばらしい名前だよね。その単勝を3,000円、お祝いということでいいかなぁ」
とゲンちゃんが言ったのは、3日前が私の誕生日だったからで、誕生日の祝いに、レインボーラインの単勝馬券をあげたいというのだ。
ミルコ・デムーロ騎乗のレインボーラインは、15頭立て4番人気、6.8倍だった。
勝ったのだ、レインボーラインが。川のほとりのバーで、ゲンちゃんと私は、ゲンちゃんが言うところの、「ステイゴールドまつり」をひらいた。
2017年5月14日のこと、ゲンちゃんはステイゴールドの娘アドマイヤリードの単勝を5,000円買っている。クリストフ・ルメールが乗って1着だった。そのときもゲンちゃんと私はウインズ横浜にいて、川のほとりの酒場へ行き、ステイゴールドまつりをしたのだが、
「次にさ、ゴールドシップまつりもしなくちゃね」
とゲンちゃんが言った。
レインボーラインやアドマイヤーリードの単勝馬券のことで、はっきりと言葉にはならないのだが、「ステイゴールドはおれの馬の神さま」とゲンちゃんの言う意味が、私にはわかったような気もしてくる。
しかし、どうしたって、ゲンちゃんに向き合おうとすると、ビックレッドファームのスタリオンでの、「ゲンちゃんとステイゴールド」のひとときが、彫刻作品のように形になってくる。
「どうすればいいのだろう」
と私は自分に質問をする。
たぶん競馬のことは何も知らないだろうゲンちゃんの家族に、会社の夏休みに北海道へ行き、レンタカーでステイゴールドに会いに行くこと。ゴールドシップの単勝馬券のこと。レインボーラインの単勝馬券を私に誕生日の祝いとして贈ってくれたこと。そしてアドマイヤリードの単勝馬券のことを話しても、仕方がないよなあと思った。