烏森発牧場行き
第281便 マグニさん
2018.05.13
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友だちと酒をのみながら、にぎやかにさくらの花を見あげるのも人生の幸せだが、ひとりで静かにさくらの花の下にいるのも幸せである。
私が暮らす住宅地に小さな公園があり、5本のさくらが花を咲かすと、まさしくさくらの園になって明るい。よく晴れた日の午前、郵便ポストへ行った帰りに、誰もいない公園の藤棚の下のベンチに腰かけ、さくらの園をひとり占めした。
うーん、今年もさくらを見た、とじいさんは思い、今年のさくらはどちらも咲くのが早くて、あと数日の桜花賞の、阪神のさくらは散ってしまうのかな、と思ったりする。
藤棚を見あげた。まだ、花はない。ふと、藤の木を意識し、葉を見つめるうち、木藤という騎手、木藤隆行が乗って桜花賞を勝ったのはエルプス。そう頭がはたらき、ひょっこりと吉田牧場のおばあちゃんが浮かんだ。
吉田牧場のおばあちゃんの名はミツ。ミツさんは、テンポイントの墓のある吉田牧場を営んでいた吉田重雄さんの母である。
花ざかりのさくらから、
「マグニさんに勝ってほしい」
とミツさんのおだやかな声が聞こえてきて、
「おばあちゃん、しばらくでした」
と私はあいさつをした気分になった。
木藤隆行騎手、エルプス、桜花賞、ミツさんをつないだのは、ミツさんが言っていた「マグニさん」で、父ミルリーフ、母アルテッスロワイヤル、母の父セントクレスピンの種牡馬マグニテュードなのだ。
1984(昭和59)年のころ、よく私は吉田牧場の母家のテレビで、ミツさんと競馬中継を見ていた。ミツさんが身をのりだし、
「がんばれ、それっ!」
と声をあげる馬が、べつに吉田牧場の生産馬でもないので不思議。質問をして、ミツさんが応援しているのは、マグニテュード産駒だと知った。
マグニテュードは北海道白老の胆振軽種馬農協の種馬場にいて、吉田重雄さんはそこと深い関係がある。それでミツさんは、マグニテュードをマグニさんと呼び、その産駒の活躍を祈っていたのだった。
エルプスが桜花賞を勝った年の夏、「マグニさんの娘、やりました」とか言って、吉田牧場でミツさんと握手したのは忘れられない。
そんな昔のことを思いだしていると、エルプスを生産した北英牧場の場長、友井川秋徳さんも浮かんできた。
エルプスが桜花賞を勝った日、私は阪神競馬場にいて、友井川さんとは吉田重雄さんと三人で何度か食事をしている仲なので、表彰式を済ませて歩いてきた友井川さんに握手をし、抱きあうようにしたのである。
そのとき、友井川さんはふるえていたのか、歯をカチカチと鳴らしていて、桜花賞を勝つというのは、それほどのことなのだと、私までがふるえそうになったのだった。
その年の夏、私は北海道門別町の北英牧場を訪ね、歯の音のことを言ってみると、友井川さんは阪神競馬場で私と会ったことはないと言うのだった。
「会ってますよ。抱きあった」
そう私が言っても、友井川さんはおぼえていないと言うのである。
そのことがあってから、桜花賞が近づいてくると、私は友井川さんを思いだすのだ。
藤棚の下で私はさくらを眺めながら、吉田ミツさんと会い、友井川さんと会い、種馬場で見たことのあるマグニテュードと会ったりするうち、黄金牧場の大西綾夫さんを思いだした。
まだ雪があった季節、阪神3歳Sを勝ったコガネタイフウを生産した黄金牧場を、取材で私は訪ねたことがあったのだ。
「エルプスが勝ってくれたけど、もうひとつ、大物が出ない。そこそこ走る馬はいるんだけど、どうも花火があがらんから、わたしらのマグニテュードの、シンジケートの解散話も出てきた。
そんなとき、コガネタイフウがやってくれて、いやあ、うれしいのなんの。
マグニテュードを入れた中心人物は私だから、これでまた見直してもらえるべと」
と大西綾夫さん、うれしそうに言っていた。
「ミホノブルボン」
と私は声にせずに言い、マグニテュードを父にもつダービー馬が、夏の光がひろがる吉田牧場の放牧地にいたのを思いだし、
「マグニさん、大したもんです」
と言ったミツさんと、ミホノブルボンを見ていた日もよみがえった。
家に戻って仕事部屋で、今年の桜花賞は第78回だと意識をすると、さくらを見ながら思いだしていた馬たちの時代もしっかりと知りたくなり、紙に書いてみた。
エルプスの桜花賞は1985(昭和60)年、コガネタイフウの阪神3歳Sは1989(平成元)年、ミホノブルボンのダービーは1992(平成4)年である。
仕事部屋の隅に、捨てられずにいる雨傘に目がいった。河内洋騎乗で桜花賞を勝ったアラホウトクの記念に、アラキファームの荒木正博さんからいただいたもの。傘の柄に、昭和63年4月10日、第48回桜花賞と刻まれている。
書棚にある小さな枡に目がいった。一面に「松竹梅」という酒の名があるが、ほかの面に第43回桜花賞優勝記念・シャダイソフィアと文字が並び、ボールペンで「吉田善哉」、「猿橋重利」と、馬主と騎手のサインが入っている。
私は抽斗の奥にあったものを取りだした。手のひらに乗る大きさの電卓で、シャープという会社名と、「第40回桜花賞競走優勝記念、ハギノトップレディ号、昭和55年4月6日、萩伏牧場」と金色の文字が並んでいる。
ハギノトップレディの騎手は伊藤清章だったなあと思いだしていると、萩伏牧場の斉藤隆さんの笑顔が浮かび、シャダイソフィアの吉田善哉さんの笑顔も浮かび、荒木正博さんの声もよみがえってきた。
ああ、さくらの日、吉田ミツさんの、「マグニさんに勝ってほしい」というおだやかな声を思いだしたおかげで、人生の幸せな旅に私は出かけているような気分だった。
私が暮らす住宅地に小さな公園があり、5本のさくらが花を咲かすと、まさしくさくらの園になって明るい。よく晴れた日の午前、郵便ポストへ行った帰りに、誰もいない公園の藤棚の下のベンチに腰かけ、さくらの園をひとり占めした。
うーん、今年もさくらを見た、とじいさんは思い、今年のさくらはどちらも咲くのが早くて、あと数日の桜花賞の、阪神のさくらは散ってしまうのかな、と思ったりする。
藤棚を見あげた。まだ、花はない。ふと、藤の木を意識し、葉を見つめるうち、木藤という騎手、木藤隆行が乗って桜花賞を勝ったのはエルプス。そう頭がはたらき、ひょっこりと吉田牧場のおばあちゃんが浮かんだ。
吉田牧場のおばあちゃんの名はミツ。ミツさんは、テンポイントの墓のある吉田牧場を営んでいた吉田重雄さんの母である。
花ざかりのさくらから、
「マグニさんに勝ってほしい」
とミツさんのおだやかな声が聞こえてきて、
「おばあちゃん、しばらくでした」
と私はあいさつをした気分になった。
木藤隆行騎手、エルプス、桜花賞、ミツさんをつないだのは、ミツさんが言っていた「マグニさん」で、父ミルリーフ、母アルテッスロワイヤル、母の父セントクレスピンの種牡馬マグニテュードなのだ。
1984(昭和59)年のころ、よく私は吉田牧場の母家のテレビで、ミツさんと競馬中継を見ていた。ミツさんが身をのりだし、
「がんばれ、それっ!」
と声をあげる馬が、べつに吉田牧場の生産馬でもないので不思議。質問をして、ミツさんが応援しているのは、マグニテュード産駒だと知った。
マグニテュードは北海道白老の胆振軽種馬農協の種馬場にいて、吉田重雄さんはそこと深い関係がある。それでミツさんは、マグニテュードをマグニさんと呼び、その産駒の活躍を祈っていたのだった。
エルプスが桜花賞を勝った年の夏、「マグニさんの娘、やりました」とか言って、吉田牧場でミツさんと握手したのは忘れられない。
そんな昔のことを思いだしていると、エルプスを生産した北英牧場の場長、友井川秋徳さんも浮かんできた。
エルプスが桜花賞を勝った日、私は阪神競馬場にいて、友井川さんとは吉田重雄さんと三人で何度か食事をしている仲なので、表彰式を済ませて歩いてきた友井川さんに握手をし、抱きあうようにしたのである。
そのとき、友井川さんはふるえていたのか、歯をカチカチと鳴らしていて、桜花賞を勝つというのは、それほどのことなのだと、私までがふるえそうになったのだった。
その年の夏、私は北海道門別町の北英牧場を訪ね、歯の音のことを言ってみると、友井川さんは阪神競馬場で私と会ったことはないと言うのだった。
「会ってますよ。抱きあった」
そう私が言っても、友井川さんはおぼえていないと言うのである。
そのことがあってから、桜花賞が近づいてくると、私は友井川さんを思いだすのだ。
藤棚の下で私はさくらを眺めながら、吉田ミツさんと会い、友井川さんと会い、種馬場で見たことのあるマグニテュードと会ったりするうち、黄金牧場の大西綾夫さんを思いだした。
まだ雪があった季節、阪神3歳Sを勝ったコガネタイフウを生産した黄金牧場を、取材で私は訪ねたことがあったのだ。
「エルプスが勝ってくれたけど、もうひとつ、大物が出ない。そこそこ走る馬はいるんだけど、どうも花火があがらんから、わたしらのマグニテュードの、シンジケートの解散話も出てきた。
そんなとき、コガネタイフウがやってくれて、いやあ、うれしいのなんの。
マグニテュードを入れた中心人物は私だから、これでまた見直してもらえるべと」
と大西綾夫さん、うれしそうに言っていた。
「ミホノブルボン」
と私は声にせずに言い、マグニテュードを父にもつダービー馬が、夏の光がひろがる吉田牧場の放牧地にいたのを思いだし、
「マグニさん、大したもんです」
と言ったミツさんと、ミホノブルボンを見ていた日もよみがえった。
家に戻って仕事部屋で、今年の桜花賞は第78回だと意識をすると、さくらを見ながら思いだしていた馬たちの時代もしっかりと知りたくなり、紙に書いてみた。
エルプスの桜花賞は1985(昭和60)年、コガネタイフウの阪神3歳Sは1989(平成元)年、ミホノブルボンのダービーは1992(平成4)年である。
仕事部屋の隅に、捨てられずにいる雨傘に目がいった。河内洋騎乗で桜花賞を勝ったアラホウトクの記念に、アラキファームの荒木正博さんからいただいたもの。傘の柄に、昭和63年4月10日、第48回桜花賞と刻まれている。
書棚にある小さな枡に目がいった。一面に「松竹梅」という酒の名があるが、ほかの面に第43回桜花賞優勝記念・シャダイソフィアと文字が並び、ボールペンで「吉田善哉」、「猿橋重利」と、馬主と騎手のサインが入っている。
私は抽斗の奥にあったものを取りだした。手のひらに乗る大きさの電卓で、シャープという会社名と、「第40回桜花賞競走優勝記念、ハギノトップレディ号、昭和55年4月6日、萩伏牧場」と金色の文字が並んでいる。
ハギノトップレディの騎手は伊藤清章だったなあと思いだしていると、萩伏牧場の斉藤隆さんの笑顔が浮かび、シャダイソフィアの吉田善哉さんの笑顔も浮かび、荒木正博さんの声もよみがえってきた。
ああ、さくらの日、吉田ミツさんの、「マグニさんに勝ってほしい」というおだやかな声を思いだしたおかげで、人生の幸せな旅に私は出かけているような気分だった。