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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第287便 競馬学者

 「この一年、こんなに自分が親父のことを考えるなんて思わなかったなあ。なんだか親父の悲しさとか寂しさみたいなものが、死んでから見えてきたような気がするんですよ。

 明日、会食のとき、ひとこと、親父のことを話してもらえませんか。お願いします」
 と9月28日、金曜日の晩、川崎に住む昌平さんが電話してきた。明日、鶴見の寺で、イダさんの一年忌がある。昌平さんはイダさんのひとり息子で50歳。横浜の倉庫会社勤務だ。
 イダさんと私は、ウインズ横浜に近い居酒屋での仲間。そんなに深いつきあいではなかったが、三十年ぐらいは馬券売り場で会話していた。
 2017年4月29日、青葉賞の日の東京競馬場のパドックの近くで、私はイダさんを見かけて声をかけた。一緒にいたのが昌平さんで、数日後にイダさんの入院が決まっていて、どうしても競馬場へ行きたいという父親につきそいで来たということだったが、息子もけっこう競馬好きのようだった。そのとき、半年ぶりに会ったイダさんが、ずいぶん痩せていたのに私はおどろいた。
 その何日かあと、昌平さんが私のケイタイにメールしてきて、悪いけど、自分はメールというのをやらないと私がケイタイをかけ、それから昌平さんは、月に一度くらい、私にハガキをおくってきた。
 2017年10月3日、イダさんは78歳で人生を閉じた。「おい、大事なのは馬券じゃなくて貯金だぞ」というのが、「半年におよぶ入院中での父親の冗談ベストワンだと、通夜で昌平さんが私にだけ言った。
 2018年9月29日、イダさんの遺影の前に15人ほどが集まった。
 「わたしの兄は大学で教える物理学者で、弟も大学で教える数学者で、頭の悪い自分は左官職人。劣等感から抜けきれない一生だなあ。で、何十年も休みの日には、馬券売り場に逃げ込んでいたの、と居酒屋でイダさんが言いました。
 何言ってるんだ、イダさんは、シンザン記念で27.4倍のキョウヘイの単勝を当てた競馬学者じゃないかと私が言うと、うれしそうに笑い、人気のないキョウヘイの単勝を買ったのは、息子の名前に似てたからと、テレていました」
 というのが私の献杯の辞だった。

 9月30日の夕方、ケイタイに昌平さんの声がした。スプリンターズSのファインニードルとラブカンプーの馬単⑧-⑨、52.6倍を1,000円取ったといい、父親の命日の10月3日、私にごちそうしたいというのである。
 「ぼくは1頭の馬に特別な思いを、というタイプではないんだけど、たまたまラブカンプーの誕生日が自分と同じ4月11日と知ってから、ずうっと馬券を買い続けてるんですよ。
 ファインニードルには勝てないだろうけど、2着ならあるかもって、馬単を買ったんです」
 「すばらしい」
 と私は返事し、
 「昌平さんも競馬学者だなあ」
 とつけくわえた。
 10月3日の夜、武蔵小杉駅に近い昌平さんの行きつけのバーに行った。イダさんが常連だったウインズ横浜に近い居酒屋でと昌平さんが言ったのだが、イダさんの命日、そこで酒をのむのは、ちょいとダイレクトすぎると私は感じて、武蔵小杉のほうに私が変えてもらった。
 「ラブカンプーに乾杯!」
 と私はグラスを持ちあげ、
 「ラブカンプーは17頭立て11番人気で2着。すばらしい。中山のスタンドで、しばらく動きたくないほど、感動してました。で、親父に、報告して、やっぱり貯金より馬券だ、と伝えました」
 そう言って昌平さんは笑った。
 「明日ね、中央競馬ピーアールセンターの創立40周年記念式典というのがあるの。
 ピーアールセンターの仕事のひとつに、雑誌「優駿」の編集があって、おれ、いつ自分が初めて優駿から声がかかったのか調べたら、1980年、昭和55年の2月号に、第24回有馬記念観戦記というのを書かせてもらってる。
 大崎昭一のグリーングラスが勝って、2着が横山富雄のメジロファントム、3着が加賀武見のカネミノブなんだ。
 それを調べながら、イダさんが競馬にはまったのは、テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの時代だって言ってたよなあと思いだしたの」
 「ぼくが小学生のころ、友だちの父親は子供の野球につきあったりしてるのに、うちの父親、休みの日に競馬のところに行ってると思って、それを、母親が、ひとに言っちゃいけないよと言うから、ぼくは黙ってた」
 「誰にも言えないよな」
 と私が笑った。
 少し酔ってきた頭に南部縦貫鉄道が走った。一輌だけの小さな電車である。盛田牧場前という駅があった。昔、優駿の取材仕事で乗ったのだ。
 茅葺屋根の曲り家の厩舎がある盛田牧場にイサベリーンの墓があった。
 イサベリーンの子は2頭が当歳で死亡。しかものちに子宮内膜炎をおこして母の能力をなくし、ターフを駆けたのはヒカルメイジとコマツヒカリだけ。そのどちらの馬もダービーを勝つという凄い話だ。
 「七戸のとなりの、天間林の諏訪牧場がグリーングラスのふるさと。牧場主の間悌三さんに会いに行くと、トウショウサミットのタネつけに立ち会っていたなあ」
 私の頭はすっかり昔の旅に出ている。
 「八甲田山を眺めながら、七戸中学校を過ぎると浜中牧場。そこに沼があって、さくらの花びらが一面を染めてた。
 その沼のきわに二本の墓標が立っていて、フェアーウインとメイズイのものだった。どちらもダービー馬。フェアーウインは浜中牧場の生産馬だが、メイズイは晩年に事情があって浜中牧場に引きとられて息を引きとった」
 と私は昔へ旅をしてうつつを抜かしながら、イダさんの命日に、自分も競馬学者になったような気分になり、競馬場にもウインズにも、さまざまな競馬学者がいるのだよなあと思った。