烏森発牧場行き
第302便 マーフィーの日
2020.02.12
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「こんなことやってるんですよ。メンバーのほとんどがジィさんバァさん。もし見てもらえたらうれしいなあ」
と去年の2月だったかウインズ横浜で、75歳の野田さんからハガキを渡された。野田さんは元銀行マンで、老後を馬券で楽しんでいる。
プロの画家を先生にして、趣味で絵を描くグループの作品発表展が、横浜のランドマークタワーのなかのギャラリーで開催する案内状のハガキだ。
「このギャラリーは、横浜美術館へ行った帰りに寄るので知ってます。楽しみに行きます」
と言って私は、次の週のウインズ横浜の帰りに、そのギャラリーへ行った。
野田さんの作品は横浜の外人墓地を描いた風景画だったが、ハガキを2枚つなげたぐらいのサイズの、クレパスで描いた絵の前から、しばらく動けなくなってしまった。作者名は今井順二。絵の題名は「小公園」で、9歳か10歳あたりの男の子が、ブランコに腰かけて、ぼんやりしている絵だ。
受付当番とかでそこにいた野田さんに、
「この絵、買いたいなあ」
と私は言った。10歳の自分がそこにいるように私は感じ、仕事部屋に置きたいなあと、その絵が欲しくてたまらなくなってしまったのだ。
「今井さんは大工さんでね、70歳になる今年で仕事は引退と言ってた。忙しいからグループと一緒にはなかなかならないけど、小さい時から絵は得意だったとか言って、一応、会員になってる人なのよ。
競馬が好きで、ときどきウインズに来る。わたしとはウインズで知りあって、それでわたしがグループに誘ったわけ。」
と野田さんが言い、次の週末のウインズ横浜の帰りに、私は野田さんと今井さんの3人で、川のほとりのバーで会った。
「どうしても、あの絵が欲しい」
「あげます」
「もらうわけにはいかない。たとえ1万円でも、買ったことにしたいわけ」
「おれも、金をもらうわけにはいかない」
そんなやりとりを今井さんとして、結局、2万円を今井さんに受け取ってもらって、私はどうしても欲しい絵を買ったという幸福感に浸った。
「なんでそんなに気に入ってもらったかなあ」
と今井さんに聞かれ、
「おれ、戦争の時代に疎開で、事情があって、小学校を4つも転校したガキで、そのころの自分がいるって、あの絵の前から動けなくなった」
そう私は答えた。
それから私は今井さんと何度か電話で話をしたり酒をのんだりしたが、2020年1月5日、私の家の近くまで来たのだが、ちょっと寄らせてもらっていいかとケイタイをかけてきた。
それで正月の酒を今井さんと飲み、
「なんだかなあ、トランプがイランの司令官を殺害したり、ゴーンさんがレバノンに逃亡したり、普通でない人は騒ぎを起こしてるけど、われわれ普通の人たちは相変わらず心細く暮らして、よせばいいのに馬券など買って、明るく生きてまいりやしょう」
と私が言い、
「普通の人たちってのがいいよなあ」
そう笑った今井さんが、明日、めったに行かない中山競馬場へ行くのだと言いだした。
私は今井さんを、人生で出会った大切な友だちと感じていて、その友だちと一緒に競馬場へ行ったという思い出を作りたいと考え、
「おれも一緒に行く」
とグラスを目の高さにまで持ち上げた。
1月6日の朝、横浜駅で今井さんが、約束した私のいる横須賀線に乗ってきた。今井さんはひとりでなくて、連れの息子を私に紹介する。
今井知久、28歳、独身。
「2年前に大学の仲間たちと起業して、五反田で会社をやってるんだ。説明しても分からんよって、おれは息子がどんな仕事をしてるか知らんの。ネットで何かしてるらしいけど、けっこう儲かってるらしいし、ま、勝手にやってくれってな」
と今井さんが笑うので、私も知久くんに仕事のことでは聞かないと決めた。
中山3Rから馬券を始めた。知久くんは1番人気のアメリカンフェイスの単勝を3千円買う。オイシン・マーフィーの騎乗だ。
アメリカンフェイスが勝ち、単勝2.0倍。知久くんは払い戻した6千円を、第4Rのマーフィー騎乗の2番人気トウカイエトワールに賭ける。
トウカイエトワールが勝ち、単勝2.8倍。6千円が1万6千8百円になった。
第5R、3歳未勝利、16頭立て。マーフィーのマスターワークは1番人気。
「全部、ころがせ!」
と私が煽り、
「いやいや、調子にのるが人間のミスのサンプル」
と知久くんはマスターワークに5千円。
マスターワーク、5着。
「マスターワークの敗因は、ぼくがコロガシをしなかったため。反省。人間は徹底が大事。今日はマーフィーで遊びます。マーフィーの日」
と知久くんは第6R、マーフィー騎乗の3番人気ヒラボククイーンの単勝に1万円を賭けた。
終始2番手にいたヒラボククイーンはゴール前で差し勝ち。単勝5.7倍だった。
「マーフィーの日、グッドラック」
そう知久くんに私は言い、何人かと新年の挨拶をしなければならぬので、最終レース後に会うことにして今井父子と離れた。
オイシン・マーフィーのレースが気になった。第7Rは3着。第8Rは1着で単勝2.1倍。第9Rは2着。第10RジュニアCはサクセッションで勝ち、単勝2.4倍。第11RカーバンクルSはマーフィーのライラックカラーが勝ち、単勝3.2倍。第12Rはマーフィーのヴァンランディ4着。
パドックの近くで今井父子と合流した。知久くんの3千円の出発が20万円近くになっていた。
「その後、どう買ったのか教えてほしい」
と、私が言い、地下道で船橋法典駅へと歩いた。
「おれとヨシカワさんに高級なものをオゴれよ」
と今井さんが言い、
「おれなんかオバケみたいな時代だ。よろしく」
と私は笑って知久くんの背中をノックした。
と去年の2月だったかウインズ横浜で、75歳の野田さんからハガキを渡された。野田さんは元銀行マンで、老後を馬券で楽しんでいる。
プロの画家を先生にして、趣味で絵を描くグループの作品発表展が、横浜のランドマークタワーのなかのギャラリーで開催する案内状のハガキだ。
「このギャラリーは、横浜美術館へ行った帰りに寄るので知ってます。楽しみに行きます」
と言って私は、次の週のウインズ横浜の帰りに、そのギャラリーへ行った。
野田さんの作品は横浜の外人墓地を描いた風景画だったが、ハガキを2枚つなげたぐらいのサイズの、クレパスで描いた絵の前から、しばらく動けなくなってしまった。作者名は今井順二。絵の題名は「小公園」で、9歳か10歳あたりの男の子が、ブランコに腰かけて、ぼんやりしている絵だ。
受付当番とかでそこにいた野田さんに、
「この絵、買いたいなあ」
と私は言った。10歳の自分がそこにいるように私は感じ、仕事部屋に置きたいなあと、その絵が欲しくてたまらなくなってしまったのだ。
「今井さんは大工さんでね、70歳になる今年で仕事は引退と言ってた。忙しいからグループと一緒にはなかなかならないけど、小さい時から絵は得意だったとか言って、一応、会員になってる人なのよ。
競馬が好きで、ときどきウインズに来る。わたしとはウインズで知りあって、それでわたしがグループに誘ったわけ。」
と野田さんが言い、次の週末のウインズ横浜の帰りに、私は野田さんと今井さんの3人で、川のほとりのバーで会った。
「どうしても、あの絵が欲しい」
「あげます」
「もらうわけにはいかない。たとえ1万円でも、買ったことにしたいわけ」
「おれも、金をもらうわけにはいかない」
そんなやりとりを今井さんとして、結局、2万円を今井さんに受け取ってもらって、私はどうしても欲しい絵を買ったという幸福感に浸った。
「なんでそんなに気に入ってもらったかなあ」
と今井さんに聞かれ、
「おれ、戦争の時代に疎開で、事情があって、小学校を4つも転校したガキで、そのころの自分がいるって、あの絵の前から動けなくなった」
そう私は答えた。
それから私は今井さんと何度か電話で話をしたり酒をのんだりしたが、2020年1月5日、私の家の近くまで来たのだが、ちょっと寄らせてもらっていいかとケイタイをかけてきた。
それで正月の酒を今井さんと飲み、
「なんだかなあ、トランプがイランの司令官を殺害したり、ゴーンさんがレバノンに逃亡したり、普通でない人は騒ぎを起こしてるけど、われわれ普通の人たちは相変わらず心細く暮らして、よせばいいのに馬券など買って、明るく生きてまいりやしょう」
と私が言い、
「普通の人たちってのがいいよなあ」
そう笑った今井さんが、明日、めったに行かない中山競馬場へ行くのだと言いだした。
私は今井さんを、人生で出会った大切な友だちと感じていて、その友だちと一緒に競馬場へ行ったという思い出を作りたいと考え、
「おれも一緒に行く」
とグラスを目の高さにまで持ち上げた。
1月6日の朝、横浜駅で今井さんが、約束した私のいる横須賀線に乗ってきた。今井さんはひとりでなくて、連れの息子を私に紹介する。
今井知久、28歳、独身。
「2年前に大学の仲間たちと起業して、五反田で会社をやってるんだ。説明しても分からんよって、おれは息子がどんな仕事をしてるか知らんの。ネットで何かしてるらしいけど、けっこう儲かってるらしいし、ま、勝手にやってくれってな」
と今井さんが笑うので、私も知久くんに仕事のことでは聞かないと決めた。
中山3Rから馬券を始めた。知久くんは1番人気のアメリカンフェイスの単勝を3千円買う。オイシン・マーフィーの騎乗だ。
アメリカンフェイスが勝ち、単勝2.0倍。知久くんは払い戻した6千円を、第4Rのマーフィー騎乗の2番人気トウカイエトワールに賭ける。
トウカイエトワールが勝ち、単勝2.8倍。6千円が1万6千8百円になった。
第5R、3歳未勝利、16頭立て。マーフィーのマスターワークは1番人気。
「全部、ころがせ!」
と私が煽り、
「いやいや、調子にのるが人間のミスのサンプル」
と知久くんはマスターワークに5千円。
マスターワーク、5着。
「マスターワークの敗因は、ぼくがコロガシをしなかったため。反省。人間は徹底が大事。今日はマーフィーで遊びます。マーフィーの日」
と知久くんは第6R、マーフィー騎乗の3番人気ヒラボククイーンの単勝に1万円を賭けた。
終始2番手にいたヒラボククイーンはゴール前で差し勝ち。単勝5.7倍だった。
「マーフィーの日、グッドラック」
そう知久くんに私は言い、何人かと新年の挨拶をしなければならぬので、最終レース後に会うことにして今井父子と離れた。
オイシン・マーフィーのレースが気になった。第7Rは3着。第8Rは1着で単勝2.1倍。第9Rは2着。第10RジュニアCはサクセッションで勝ち、単勝2.4倍。第11RカーバンクルSはマーフィーのライラックカラーが勝ち、単勝3.2倍。第12Rはマーフィーのヴァンランディ4着。
パドックの近くで今井父子と合流した。知久くんの3千円の出発が20万円近くになっていた。
「その後、どう買ったのか教えてほしい」
と、私が言い、地下道で船橋法典駅へと歩いた。
「おれとヨシカワさんに高級なものをオゴれよ」
と今井さんが言い、
「おれなんかオバケみたいな時代だ。よろしく」
と私は笑って知久くんの背中をノックした。