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第310便 ビビリ

2020.10.12
 ひとりで電車に乗っていたり、ひとりで海を見ていたり、ひとりで何処かのベンチに座っていたり、ひとりで酒場にいたりする時、私の脳裡に1頭の牡の鹿毛馬が出てきて、
 「おお、ビビリ」
 と声をかける。ビビリが出てきてくれるひとときは、私の人生の幸せなのだ。

 1989(平成元)年のこと、春から夏にかけての3か月ほど、苫小牧市美沢で開業するノーザンホースパークのことで手伝う仕事があって、社台ファーム空港牧場(現在はノーザンファーム)で暮らしていた。
 朝起きて窓をあけると、すぐ近くに1頭だけのパドックがあり、いつもダイナターキンの87がいた。ダイナターキン(父ノーザンテースト、母シャダイターキン、母の父ガーサント)が1987年に出産した鹿毛の牡馬である。
 いつも1頭だけのパドックにいるのは、どこかに故障があるのか、ワケありだ。
 「いったいさ、こんなんでさ、戦争に行けるのかさ。無理だべ」
 と若い牧夫がダイナターキンの87を見つめながら言う。戦争、つまり競馬場でのレースのことだ。
 ダイナターキンの87は、社台レースホースの会員が集まる牧場ツアーのときに放馬して困らせたり、異常なこわがり屋として、牧場では臆病な馬として話題になっていた。
 飛んできたカラスが牧柵に止まり、ひと声、カアーと鳴くやいなや、ダイナターキンの87は、まるで狂ったように暴れまわるのだ。
 カラスに驚き、風の音に驚き、人の影に脅えるダイナターキンの87に私は「ビビリ」と名づけ、ほとんどの朝、かなりの時間、私はビビリのところに出かけ、いろいろと言葉をかけた。
 「君のひい婆さんのブラックターキンはな、吉田善哉さんが始めた千葉の社台ファームで生まれた。ミスヤマトという名でレースに出たけど、1戦ゼロ勝で、賞金ゼロで引退。でもな、繁殖牝馬になってガーサントの仔を産み、そのシャダイターキンがオークス馬になった」。
 そんな話をしながら、
 「あのおっ母さんの仔だから、大変だ」
 というベテラン牧夫の声を私は思いだす。ビビリの母のダイナターキンの気性の悪さはハンパでなくて、手こずらされたエピソードは山ほどあるのだという。その気性がわざわいし、良血を活かせず、4歳から6歳時(旧年令表記)にかけて、20戦1勝で終わっている。
 朝の調教でビビリの担当になった者は、貧乏クジを引いたような顔になり、前のめりや横っとびやそっくり返りに備えねばならなかった。何人もがビビリの調教で、指を骨折したり、肩や腰を打撲していた。
 「しっかり聞いてや。君はな、社台ファームそのものの血統なんだよ。誇りを持って、なんとか、なんとか、弱い自分とたたかおう」
 と私はビビリの鼻づらに手を当てた。
 そのビビリが、1992年11月1日、レッツゴーターキンという名前になっていたビビリが、東京競馬場の直線でトウカイテイオーやダイタクヘリオスを抜き、天皇賞のゴール板を真っ先に駆け抜けた。競馬を見ていて涙ぐんだのは初めてで、レッツゴーターキンの34.2倍の単勝を5,000円、その1点勝負をしていた私は、めまいがするほどうれしかった。

 それから28年という年月が過ぎた2020年の夏、家の中で転倒して左手首を粉砕骨折。8月24日から9月2日まで入院をした。仕方ないので、「おれ、テントウ虫」とかおちゃらけ、「9泊10日の旅」とか思うことにした。
 痛いけれどヒマな旅。病院のあちこちの椅子で時間をつぶし、行き交う人を眺める。やっかいな病状での移動ベッドなど見ているうち、もうとっくに遠方へ行ってしまった父の入院中のことや、母の入院中のことがよみがえってきて、そうか、この9泊10日の旅は、おやじとおふくろといっしょの旅、というふうに思うと、気分が少しだけ明るくなった。
 ふと、その私の旅にも、レッツゴーターキンがやってきた。
 「幕別のサンライズステイブルに、会いにきてくれましたよね」
 とレッツゴーターキンが言う。
 「うん。あれはたしか2009年だった。ひょんなことから、幕別にレッツゴーターキンがいるぞって聞いて、それで会いに行ったんだ。その牧場はサラブレッドも少しいたけど、殆ど牛の牧場だった。レッツゴーターキン、いや、おれにとってはビビリが22歳になって、さびしそうに草を食ってたな」
 「いちど聞きたかったんだけど、おれのことをビビリというけど、ヨシカワリョウもかなりのビビリなんじゃないの?そうでなければ、こんなにおれのことを気にしてくれないよね」
 とレッツゴーターキンが言うのだ。
 「そのとおりだよ」
 と私は笑い、
 「ビビリだからビビリが気になったんだ」
 とひとりごとのように言った。
 おやじとおふくろと一緒の「9泊10日の旅」に、レッツゴーターキンも参加してくれた。
 「ビビリは栗東の橋口弘次郎厩舎へ行ったんだよな。おれは橋口さんとは仲が良かったので、ビビリのことを聞くとね、臆病だけどワルじゃないから、調教でなんとかなるって言ってた。
 ビビリを担当した厩務員は山本國男さん。23歳のときに自衛隊をやめて馬の仕事に変わり、38歳になってた。山本さんは、けっして馬を怒らない男。レッツゴーターキンも、けっして怒らない山本に、ついに心を許したなと、そうわたしは見ていたよ、と橋口さんは言ってた」
 そんなことをレッツゴーターキンに話しながら、私はどうしたって脳裡に、カラスに脅えて騒ぎまくる、1頭だけのパドックにいたダイナターキンの87が浮かんでしまう。あの牧場の青空、草の匂い、そしてビビリとおれだけの時間。あんな時間があったのは、人生の奇跡なのだ。
 それにどうしてそんな幸せな時間が生まれたのかと考えたが、ダイナターキンの87が言うように、私もビビリだったからだろう。
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