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第317便 昭和モダン

2021.05.12
 「今年も中止にするしかないね」
 と4月3日、青梅市に住むササキくんが電話してきた。
 「去年もダメだったし、残念」
 と私も言うしかない。毎年のこと、皐月賞が近づいた日に、小金井市に住むサトウくんと3人、「ハイセイコー会」と称して、新宿の居酒屋に集まってきたのだが、新型コロナウイルスのために中止なのだった。
 若い人に言ったら、「ナニ、ソレ?」と言われそうだが、ハイセイコーが引退したあと、1980(昭和55)年ごろから、ササキくんとサトウくんと私で、「ハイセイコー会」を続けている。今年で40年も続いているのは、続けている私たちにも不思議な出来事だ。
 田中角栄内閣が成立し、山本リンダの「どうにもとまらない」がヒットした1972(昭和47)年、大井競馬場に、どうにもとまらない馬が出現した。新冠の武田牧場が生産した牡のハイセイコー(父チャイナロック、母ハイユウ、母の父カリム)である。
 大井で6連勝して、いずれも2着とは7馬身差以上の大差。500キロを超える黒い生きものは、誰からともなく「怪物」と呼ばれた。
 私は薬品問屋勤務。ほかの薬品問屋勤務で、仕事では敵になるのだが、おたがい競馬と酒好きのササキくんがいて、競馬場へは一緒に行く。
 ササキくんは私と同じ昭和12年生まれ。秋田県北秋田郡出身。中学卒業して集団就職の列車に乗って上野駅に着き、神田の薬品問屋の住み込み社員になったのだ。
 競馬には中央競馬と地方競馬がある。東京の下町生まれの私には、「どちらも競馬」という気分なのだが、東北生まれのササキくんには別の気分があって、ハイセイコーが中央の鈴木勝太郎厩舎に移ったあと、
 「地方出身のハイセイコーで、中央の、いわばエリート馬を負かすのが、おれの夢」
 とか言いだしたのだ。
 1973(昭和48)年3月4日、ハイセイコーが増沢末夫騎乗で弥生賞に出走。中山競馬場へと、朝、秋葉原駅でという約束に、
 「おれと一緒に集団就職の列車に乗ってきて、神田の金物問屋にいる中学のときの友だち」
 とササキくんがサトウくんを連れてきて、12万3千人の客であふれる中山競馬場で、ハイセイコーの快勝を3人で見たのだった。
 続くスプリングSも勝ち、重馬場になった皐月賞も勝ち、NHK杯も勝って、いよいよ怪物。
 しかし、ダービーではタケホープにもイチフジイサミにも負けて3着。そのすべてを競馬場で、3人で見ていたのである。
 1979(昭和54)年にハイセイコーの子のカツラノハイセイコがダービーを勝ち、それでササキくんが、「ハイセイコー会というのをやろうよ。年1回でいいから、3人で集まって酒のもう」と言いだしたのだった。

 2021年4月3日、
 「それにしても、3人、84歳になって生きてるのは凄いよね。明日の大阪杯で、コントレイルとグランアレグリアの戦いも見れるし」
 とササキくんが言うのである。
 ササキくんとの電話のあと、私はサトウくんの声が聞きたくなった。 
 「ま、いろいろ、いろいろ、病院と仲よしだけど、生きてます」
 とサトウくんの声が返ってくる。
 「今日、中山のメインはダービー卿だったでしょう。3月19日に、長いつきあいだったビッグレッドファームの岡田繫幸さんが71歳の誕生日に死んでしまって、ダービー卿で、まだ馬主名が岡田繫幸のスマイルカナがゲートに入った。
スマイルカナは15頭立ての1番人気で、ここはしっかり、岡田さんのために勝ってくれと思っていたのに、どうしてかなあ、何でかなあ、14着だった。競馬って、こういうことが起きるんだよなあって、おれ、しばらく、ぼんやりしちまったよ」
 と私がそんな話をしていると、
 「ダービー卿が発走する前、テレビの前で、わたし、1頭の馬の名を口にしてた。分かる?」
 とサトウくんが言うのだった。
 「分からないわけがないでしょ。ハイセイコー会としては、会のシンボル的な名馬。このところ、おれも病院と仲よしになってるけど、ときどき、診察室の前で長いこと待たされるときなど、その馬の名を思いだしていることあるよ」
 そう私は言った。
 その馬の名はショウワモダン。父エアジハード、母ユメシバイ、母の父トニービンの牡馬だ。
 2010年4月4日、中山でダービー卿CTの日、ササキくんとサトウくんと私は、久しぶりに競馬場で一緒にいたのだった。
 パドックの裏の林にあるベンチで休んだとき、
 「ダービー卿に出るショウワモダンの母って、ユメシバイっていうんだよな。おれたち、ハイセイコー会なんてやってる。それこそ、おれたち昭和の夢芝居をやってるようなもんだよ。
 それに、ハイセイコーそのものが、おれたちにとっては昭和の夢芝居だ。
 ショウワモダン。なんだか買いたいよね。みんなで、1,000円ずつ、3,000円。ショウワモダンの単勝を買ってみない?」
 とササキくんが言ったのだ。
 後藤浩輝が乗って、ショウワモダンが勝ったのである。16頭立て7番人気、単勝1,660円。
 「ダービー卿のあと、安田記念でも後藤のショウワモダン、勝ったよね。そのときも3人で、単勝を1万円買った」
 そう私が言い、
 「後藤浩輝、どうして死んじゃったんだろう」
 とサトウくんが言った。

 2021年4月4日、第65回大阪杯。阪神競馬場は雨、重馬場。ゲートがあいて、川田将雅騎乗のレイパパレがハナに立ち、前半1000メートルの通過は59秒8。あれよあれよ。レイパパレはあざやかに逃げ切り。2着がモズベッロ。3着がコントレイル。4着がグランアレグリア。5着がサリオス。テレビの前で私は
 「恋はいつでも夢芝居という歌があるけれど、競馬も、いつでも夢芝居だなあ」
 と誰かに言いたくなっていた。
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