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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第323便 チブル

 ウインズ横浜に近い川のほとりのバーで知りあった野原さんは、私より10歳若く、コンサルタント業ということだが、具体的には知らない。私が知っている野原さんは競馬にくわしく、馬券上手、お酒に強い。払戻しがあると全額そのまま、大きな壺に投げ入れ、それを貯めて資金にし、凱旋門賞を見に行くツアーに参加するのを楽しみにしている。

 2006年の失格になってしまったディープインパクト、2010年のナカヤマフェスタの2着とヴィクトワールピサの7着、2013年のオルフェーヴルの2度目の2着を現地で見てきたが、2016年のマカヒキの14着を見てきたあとに、「事件がありました。楽しい事件です。報告しなければ」
 とウインズ横浜で私を酒場に誘った。
 そのバーはいつもギター曲が流れている。
 「ロンシャン競馬場のベンチに座っていたら、日本人のじいさんが横にきて、ちょっと聞きたいことがあるといって、布のバッグから競馬週刊誌のギャロップを出したんです。
 これ、何日か前に、地下鉄の駅のベンチに捨ててあったのを拾ったんだけど、このなかで書いているヨシカワリョウという人は、若いころに一緒に働いていたヨシカワリョウと同じ人か知りたくて、と言うんですよ。
 びっくり。そのヨシカワリョウとわたしは仲よしですと言うと、じいさん、ずうっと昔、明治記念館という結婚式場で、ボーイのコンビだったのがヨシカワリョウで、よく競馬の話をしてたと。
 そういえば明治記念館で働いたことがあるって聞いてるとわたしが言うと、じいさん、ギャロップの1ページを破いてそこに、パリのアパートの住所を書いて、名前を書いて、ヨシカワリョウに渡してほしいって」
 そう言って野原さんは住所と名前を書いた雑誌の切れはしを私に渡した。そこに片仮名で「チブル」とも書いてある。
 「ヨシカワリョウはわたしのことを、チブルと呼んでたと言って、つけくわえた」
 「チブル」
 と私は言ってみて、しばらく茫然としてしまった。チブル、知ってる。彼が、ロンシャン競馬場のベンチで、野原さんに声をかける。すごいことが起きるものだ。奇跡だ。
 「画家をめざしてフランスに来たのだが、結局は看板屋ではたらいて年とって、もう今は競馬だけが楽しみ。そう言ってました、チブルさん」
 と言う野原さんの手を、なんだか私は胸がつまって握ってしまった。
 「ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の、灰とダイヤモンド、というすばらしい映画があったんですよ。主演がスピグニエフ・チブルスキー。
 彼、チブルスキーに似てたので、ぼくだけが彼のこと、チブルって呼んでた。
 結婚式場のボーイってけっこう重労働で、疲れてばかりじゃつらいからって、式の始めに、たとえばシャンパンを注いで歩く前に、足でトントンと音を立て、ナイスデーと声をあげ、それで歩きだそうとおれが言って、そんなことをしてた。
 思いだすなあ。田中角栄という大物が来賓で来てて、注ぎに行ったら、君らのアイデアいいぞ、そう言ってもらったのをおぼえてる。そのコンビの相手がチブルだった」
 「いやあ、わたしもうれしくなった。」
 と野原さんがグラスを私のグラスにぶつけた。
 すぐに私はチブルに手紙を書いた。「どうにかこうにか、なんとか生きてきて、いつのまにかじいさんになってしまったよ」と。
 「おれもおんなじ。まさかパリでじいさんになるとは思わなかったけどね」
 とチブルから返事がきた。

 それからは毎年、凱旋門賞が近づく9月の末になるとチブルの手紙が来る。2021年も9月30日に便りが届いた。
 「6月13日にユキエが天国へ行ってしまった。急に直腸ガンが見つかって入院したけれど、あっけなかった。おれとは22年いっしょで、73歳で死んでしまった。
 60すぎまで独身だったおれが、同じアパートに越してきた50すぎの、老人ホームではたらくユキエと気が合ったのは、ユキエも画家をめざしながら挫折して、仕方なくパリで埋もれていたからかもしれない。
 おれ、競馬しか楽しみがないと、ユキエを誘ったのが1999年5月のロンシャン競馬場。イスパーン賞に日本からエルコンドルパサーが来ていて、蛯名騎手で2着だった。なんだかユキエは、初めての競馬場がめちゃくちゃうれしかったみたい。
 7月のサンクルー競馬場のサンクルー大賞にもエルコンドルパサーが出ると言ったら、ウソ言って仕事を休んで一緒に行った。もうユキエは蛯名のエルコンドルに夢中で、勝ったからおれに抱きついてきた。
 9月のロンシャンのフォワ賞のころは、もうユキエはおれと暮らしていた。フォワ賞には名馬がたくさん出ていたが、蛯名のエルコンドルパサーはまた勝って、もうユキエはうれしくてたまらなくて泣きだした。
 10月になって、いよいよ凱旋門賞が近づいて、ユキエは部屋にエルコンドルパサーと蛯名の、雑誌から切り抜いた写真を貼って、朝に夕に祈りの言葉をつぶやいていた。
 レースは予想どおり、キネーン騎手のモンジューと蛯名のエルコンドルパサーの一騎討ちになったが、ゴール前でモンジューが半馬身だけ、エルコンドルパサーを抜いてしまった。
 そのときのユキエの、ずいぶん長いこと動かなかった姿、顔、無言は忘れられず、天国に行ってしまったあと、毎日のように、そのときのユキエをおれは思い出している。
 この手紙を書く前に調べたら、エルコンドルパサーが死んだのは2002年7月だった。それを知ったときのユキエの泣き顔も忘れられない。ユキエにとって、あの馬は何だったのか。
 今年もディープボンドとクロノジェネシスが走る凱旋門賞を見に行くが、どうしてユキエがいないのか、おれは悲しい」
 読んで私は野原さんに電話をし、チブルからの手紙と一緒に酒をのむ約束をした。