烏森発牧場行き
第324便 この景色、最高!
2021.12.13
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この15年で私が何度か手術をしている大きな病院の、ほとんど隣にある大きな製薬会社に水野クンは勤務している。その病院と製薬会社のあいだの敷地に仮設住宅のようなものが建っていて、そこがコロナウイルスの患者の治療室だった。
「コロナが治まったら、会社の後輩たちと4人、お邪魔させてください。みんな、めちゃくちゃ楽しみにしてるんです」
と水野クンから頼まれて1年が過ぎ、どうにかコロナが治まってきて、2021年11月6日、土曜日の夕方、水野クンたち4人が、わが家にやってきた。
水野クン、29歳。沢田クン、27歳。木原クン、26歳。森本クン、26歳。全員独身。同じ会社に勤務している馬券仲間だ。
水野クンだけが何年も競馬場やウインズに行っているが、他の3人はコロナ禍のなかで馬券を買い始めたので、競馬場もウインズも知らない。
「ぼくは東京競馬場へ行くと何年ものあいだ、4階だか5階だかの或る場所に1時間くらいいて、そこで馬券をやってるんです。
或る場所というのは、ガラス越しに道路をはさんで、装鞍所が見える所。そこで鞍をつけた出走馬が、木立のまわりを厩務員に引かれて、パドックへ行く前のひととき、ぐるぐる歩いてる。
その光景を見ているときが、キザな言い方になるかもしれないけど、競馬を愛している自分の、いちばん好きな、幸せな時間なんだなあ。
で、そこへ行くと、いつも同じ椅子を確保して、この装鞍所の見える場所、最高だよねえ、と言う人と知りあいになった。
その人が、国立市から、東京競馬開催は皆勤だった水野クンの祖父、ぼくと同い年の宏さんだった。で、ときどき、最終レースのあとでおちあって、府中の居酒屋へ行ったわけ。
宏さんは有名な大きな印刷会社の、自分では職人ですよと言っていたが、息子さんは大学の経済学の先生で、競馬を知ろうとはまったくしなかったと笑ってた。
その大学の先生の息子で、薬科大学に行ったのが水野クンで、どうやら孫は競馬が気になって仕方ないみたいだと、おじいちゃんは言ってた。
おじいちゃんと一緒に、大学生の水野クンが競馬場に来るようになって、それでぼくと知りあったわけ。
宏さんはコロナで競馬場へ行けなくなった2020年の春に、大腸がんに襲われて死んじゃった。ぼくはお通夜の席でスピーチを頼まれて、オウケンムーンの話をした。競馬の話をしたって分かる人はいないかもだけど、宏さんについて喋るのは競馬のことしかないしね。
寒い日に、東京競馬場で、共同通信杯を見てたんだ、4階だかで。レースが決着したら宏さん、ぼくに抱きついてきて離れようとしないんだ。
自分の名前が宏で、北村は宏に司がつくけどヒロシ。同じヒロシだと、北村宏司の単勝はずいぶん買ってた。それにその日は、母親の名がイヨで、イヨさんの命日で、北村の⑥のオウケンムーンから、イとヨの①と④をくっつけて、⑥-①-④の3連単を200円買ったんだって。
おぼえてますよ。①はムーアのサトノソルタス、④はミナリクのエイムアンドエイド。3連単⑥-①-④、56万6,290円。
抱きついてくるワケ。もう一生の思い出。抱きつかれたぼくも一生の思い出」
と先ずは私が話の口火を切り、
「で、家族で箱根の温泉に行って、ヨシカワさんにも来てもらった」
と水野クンが言って乾杯になった。
「水野先輩が楽しそうに競馬の話をするので、つられて馬券を買ったら面白くてしょうがないんだけど、自分と競馬はネットの馬券だけでつながってるわけで、いろいろな競馬の話を聞いてみたいなあって、今日はうれしくて仕方のない日になりました」
と沢田クンが言い、
「早く競馬をライブで見たいです」
と木原クンが言い、
「馬名の入った馬券を持ってみたいなあ」
と森本クンが言った。
「競馬とのつきあい方は、10人いたら10人、それぞれのつきあい方があるわけで、どんなふうに競馬とつきあうかなんて、意味ない。
ぼくの場合は、若いころから、孤独とのたたかいで、競馬をね、いわば武器としてた。
競馬場へ行くことで、他人がいっぱいいる場所で、孤独な自分の孤独を見つめてたワケ。
それで競馬のことを文章にしたいと思ったので、競馬を好きな人たちを見つめたり、競走馬を生産する牧場の日常も知らなければと北海道や青森をうろつきまわったりしてた。
北海道って、年の半分は雪のなかで、牧場の日常って、ハンパには働けないなあって知ったり、競走馬がひとつ勝つのに、さまざまなドラマがあるなあとか、だんだんと感じるようになったね。
繁殖牝馬がいて、種牡馬がいて、言葉のない生きものと一日を過ごす牧場ではたらく人がいて、そういうことを書きたかったけど、人によっては、そんなこと、おれの競馬には何も関係ないよ、おれはただ、馬券でのたたかいが面白いだけさ、という人もいる。
その人にはその人の競馬がある。それでいいのさ。その人にはその人の人生があるんだから、そんなのは競馬好きとは言えないとか、そんなのは人生じゃないって、そんなこと言えない。
ただね、これはぼくのひとりごとだけど、チャンスがあったら、競走馬を生産している北海道の景色を見て歩く旅をして、そこにいる馬を見て、そうか、馬って、おれより孤独かもしれない、なあんて感じるのも、人生の面白さだなあ、とぼくは思って生きております」
と言いながら、うれしい時間だなあと、私は幸せだった。
4人と話をしながら私は、宏さんの、東京競馬場の4階か5階かのガラス越しの、装鞍所を眺めている姿を思いだしていた。
「この景色、最高だよねえ。どうしてこの景色が最高だと思えるのかなあ。馬たち、のんびり歩いたり、いらいらして歩いていたり」
という宏さんの声が聞こえてくるようだった。
「コロナが治まったら、会社の後輩たちと4人、お邪魔させてください。みんな、めちゃくちゃ楽しみにしてるんです」
と水野クンから頼まれて1年が過ぎ、どうにかコロナが治まってきて、2021年11月6日、土曜日の夕方、水野クンたち4人が、わが家にやってきた。
水野クン、29歳。沢田クン、27歳。木原クン、26歳。森本クン、26歳。全員独身。同じ会社に勤務している馬券仲間だ。
水野クンだけが何年も競馬場やウインズに行っているが、他の3人はコロナ禍のなかで馬券を買い始めたので、競馬場もウインズも知らない。
「ぼくは東京競馬場へ行くと何年ものあいだ、4階だか5階だかの或る場所に1時間くらいいて、そこで馬券をやってるんです。
或る場所というのは、ガラス越しに道路をはさんで、装鞍所が見える所。そこで鞍をつけた出走馬が、木立のまわりを厩務員に引かれて、パドックへ行く前のひととき、ぐるぐる歩いてる。
その光景を見ているときが、キザな言い方になるかもしれないけど、競馬を愛している自分の、いちばん好きな、幸せな時間なんだなあ。
で、そこへ行くと、いつも同じ椅子を確保して、この装鞍所の見える場所、最高だよねえ、と言う人と知りあいになった。
その人が、国立市から、東京競馬開催は皆勤だった水野クンの祖父、ぼくと同い年の宏さんだった。で、ときどき、最終レースのあとでおちあって、府中の居酒屋へ行ったわけ。
宏さんは有名な大きな印刷会社の、自分では職人ですよと言っていたが、息子さんは大学の経済学の先生で、競馬を知ろうとはまったくしなかったと笑ってた。
その大学の先生の息子で、薬科大学に行ったのが水野クンで、どうやら孫は競馬が気になって仕方ないみたいだと、おじいちゃんは言ってた。
おじいちゃんと一緒に、大学生の水野クンが競馬場に来るようになって、それでぼくと知りあったわけ。
宏さんはコロナで競馬場へ行けなくなった2020年の春に、大腸がんに襲われて死んじゃった。ぼくはお通夜の席でスピーチを頼まれて、オウケンムーンの話をした。競馬の話をしたって分かる人はいないかもだけど、宏さんについて喋るのは競馬のことしかないしね。
寒い日に、東京競馬場で、共同通信杯を見てたんだ、4階だかで。レースが決着したら宏さん、ぼくに抱きついてきて離れようとしないんだ。
自分の名前が宏で、北村は宏に司がつくけどヒロシ。同じヒロシだと、北村宏司の単勝はずいぶん買ってた。それにその日は、母親の名がイヨで、イヨさんの命日で、北村の⑥のオウケンムーンから、イとヨの①と④をくっつけて、⑥-①-④の3連単を200円買ったんだって。
おぼえてますよ。①はムーアのサトノソルタス、④はミナリクのエイムアンドエイド。3連単⑥-①-④、56万6,290円。
抱きついてくるワケ。もう一生の思い出。抱きつかれたぼくも一生の思い出」
と先ずは私が話の口火を切り、
「で、家族で箱根の温泉に行って、ヨシカワさんにも来てもらった」
と水野クンが言って乾杯になった。
「水野先輩が楽しそうに競馬の話をするので、つられて馬券を買ったら面白くてしょうがないんだけど、自分と競馬はネットの馬券だけでつながってるわけで、いろいろな競馬の話を聞いてみたいなあって、今日はうれしくて仕方のない日になりました」
と沢田クンが言い、
「早く競馬をライブで見たいです」
と木原クンが言い、
「馬名の入った馬券を持ってみたいなあ」
と森本クンが言った。
「競馬とのつきあい方は、10人いたら10人、それぞれのつきあい方があるわけで、どんなふうに競馬とつきあうかなんて、意味ない。
ぼくの場合は、若いころから、孤独とのたたかいで、競馬をね、いわば武器としてた。
競馬場へ行くことで、他人がいっぱいいる場所で、孤独な自分の孤独を見つめてたワケ。
それで競馬のことを文章にしたいと思ったので、競馬を好きな人たちを見つめたり、競走馬を生産する牧場の日常も知らなければと北海道や青森をうろつきまわったりしてた。
北海道って、年の半分は雪のなかで、牧場の日常って、ハンパには働けないなあって知ったり、競走馬がひとつ勝つのに、さまざまなドラマがあるなあとか、だんだんと感じるようになったね。
繁殖牝馬がいて、種牡馬がいて、言葉のない生きものと一日を過ごす牧場ではたらく人がいて、そういうことを書きたかったけど、人によっては、そんなこと、おれの競馬には何も関係ないよ、おれはただ、馬券でのたたかいが面白いだけさ、という人もいる。
その人にはその人の競馬がある。それでいいのさ。その人にはその人の人生があるんだから、そんなのは競馬好きとは言えないとか、そんなのは人生じゃないって、そんなこと言えない。
ただね、これはぼくのひとりごとだけど、チャンスがあったら、競走馬を生産している北海道の景色を見て歩く旅をして、そこにいる馬を見て、そうか、馬って、おれより孤独かもしれない、なあんて感じるのも、人生の面白さだなあ、とぼくは思って生きております」
と言いながら、うれしい時間だなあと、私は幸せだった。
4人と話をしながら私は、宏さんの、東京競馬場の4階か5階かのガラス越しの、装鞍所を眺めている姿を思いだしていた。
「この景色、最高だよねえ。どうしてこの景色が最高だと思えるのかなあ。馬たち、のんびり歩いたり、いらいらして歩いていたり」
という宏さんの声が聞こえてくるようだった。