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第334回 ああ、手紙

2022.10.12
 新聞の見出しに大きな活字で、「ユーチューブも、ドラマも、勉強も、食事も、お風呂も、寝る時も一緒に」とあり、もっと大きな活字で、「つながり続ける若者」とあり、「急成長の音声SNSパラレル」という見出しもついている。
 『鳥取県の高校3年生の「ちゃんさん」(18)の夜は、スマホとともに過ぎていく。「推しの動画を友達と見ながら話します。」ツイッターやインスタも使うが、最近はもっぱら「パラレル」のアプリにどっぷり。何時間もつなぎっぱなしにして、話しながらゲームをしたりユーチューブ動画をみたり。最近、そんな若者が増えている』
 と記事を読みはじめる。 
 うーん、まいった、と溜息をつくしかない。ツイッターをやったことがないし、インスタって何のことかわからないし、パラレルのアプリもチンプンカンプンだし、ゲームもユーチューブも知らない、そんな若者が増えていると言われても、おれ、困っちゃうなあと、また私は溜息をついた。
 実際のアプリ使用例も載っている。
 『学校の親友と使っています。買い物に行く予定を立てる時は、それぞれ行きたいお店をピックアップ。画面共有を使いながら、どこを回るかの予定を立てます』
 という15歳中学生と、
 『宿題で分からないところがあった時、「じゃあ一緒にやろっか」っていう流れに。通話しながら宿題をやることが多いです。それぞれに得意科目が違うので、分からないところはお互いにカバー。BGMがかけられるのもいいですね。友達がいつも集中できる音楽をかけてくれます』
 と16歳高校生の使用例。パラレルホームページから抜粋となっているけれど、私はただ呆然となるだけ。
 私にも高校生の孫がいるから、今度会ったときには、この新聞記事について質問してみようと思いながら、記事を読み続けると、「寝落ち通話」とか「オンライン同棲」とか出てくる。
 スマホは持っているけれど、通話とニュースを見るだけ。メールもラインもやらない私の生活で他者とのつながりは手紙が頼りだ。「なんじゃ、それ」って言われそうだが、ジイさん、手紙のやりとりがうれしく、元気になる。
 「お盆に東京にいる息子が札幌へ帰省しました。上とは6歳離れているので、長女が札幌を出て京都に出るまで家族のなかでいちばんのチビ助が、今ではいちばん背が高くなった息子。食卓でウイスキーを飲むようになった息子。
 テーブルの上にある競馬カレンダーをめくりながら、書いてある馬名に目をやりながら、なにやらジッと見ている。

 川崎市多摩区登戸に住んでいる息子。聞けばどうやら競馬を楽しんでいるらしい。スマホで自分が撮ってきたというレース画像を見せられたが、それは昨年のジャパンC。
 好きな馬はコントレイルと言って、当日の内容を語るそれが本当に好きだと伝わってくる。同じレースに出走していたユーバーレーベンを1口持っている事実を伝えると、ちょっとビックリした面持ちで、それでもコントレイル派。
 本当は金曜日に帰ってくる予定が発熱で月曜日に延期。コロナでなかったのはよかったが、予定どおりの帰郷なら土日の札幌開催に行きたかったらしい。
 話を進めていくと少し悩みがあるらしく、つきあってる彼女のお父さん(私と同年齢)が山形の銀行の支店長で、もう4度ほど会っているのだが、競馬はもちろん、ギャンブルにはとても厳格で、5年で500万円貯めなきゃ嫁にはやらんとか言われて。まだ80万円しか貯まってないとコボして酒を進める。聞いて私は就職して1年半で80万円貯めりゃ上出来と思ったが、それは言わずに、酒を口にしながら、もしその父親に自分が会い、1口馬主やってますと言ったらどうなるかと思った。
 なんだか息子の小さいころを思い出しながら、今さらながら、自分が親になったのに気づいたのか、不思議な気分の酒になりました」
 ラフィアンターフマンクラブの牧場ツアーで知りあい、10年をこえるつきあいの、札幌に住む成田静志さんからの便りだ。読んで、うれしくなって、元気が出る手紙である。
 雑誌「うまレター」社から、東京の文京区小石川に住む小林富士子さんの手紙が回送されてきた。「うまレター」に私が、ウインズという場所は、そこへ行く人の、土曜教会、日曜教会なのだと書いた文章に共感したという手紙である。
 「今は亡き息子が馬に魅せられて静内の牧場で働くようになり、彼と一緒に牧場めぐりをして、私も馬の美しさに魅了されてしまいました。
 彼が亡くなってからずうっと牧場に近づけませんでしたが、5年目にやっと退職を機に静内へ行ってみようと決心しました。
 2018年と2019年は夏のあいだ、千歳市に滞在し、静内を何度も歩きました。馬産地を歩く人との出会いもあり、一緒に札幌競馬場で札幌記念を見て、ブラストワンピースに拍手しました。
 しかし、この2年半、コロナ禍で北海道に行くことも出来ず、静内を訪れて馬たちと触れあうことが息子への供養となり、自分の心の癒しとなると感じていたので残念でなりません。
 そうした日々のなかで、ただひとつの救いは、ウインズへ行って馬券を買うことでした。
 文章に書いておられたとおり、ウインズへ行くまでのワクワク感。いつも決まっているウインズ後楽園の決まった椅子で過ごす時間は、間違いなく、私の呼吸、私の生活です。
 ウインズに行っていると、そこに息子がいるような気もします。それで彼に、話しかけていることもあります。
 ありがたいことにウインズ後楽園は自転車で10分もかからず、雨の日も行けます。毎週欠かさないで、そこで息子と、静内の話をします。話はつきません」
 読み、どうして息子さんは若くして亡くなってしまったのだろうと思いながら、おたがい、なるべく元気に、競馬のレースを、牧場を見ていきたいですね、と返事を書いた。
 ああ、手紙。自分には手紙しか、人生の頼りがないのかもしれないと思える。「便り」が「頼り」。ごめん、そういうの、今は、ウザイんだよね。
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