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第356便 とことん

2024.08.13

 NHKの番組、「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、「とことん」という言葉、何?という質問が出た。答えは日本舞踊の仕ぐさから生まれた言葉だった。意味は、最後まで、徹底して。
 おう、と私は声を出しそうになった。シンザンという名馬を手がけた武田文吾さんの顔と声が思い浮かんだのだった。「とことん」という言葉と武田文吾。私には思い出深いのである。
 1986(昭和61)年に文吾さんが79歳で亡くなったあと、栗東トレセンで取材仕事をしていた私は、武田文吾の弟子の渡辺栄調教師と食事をした。
 「ヨシカワサンいう人から教えてもらったんやが、とことんいう言葉は深い言葉やな。誰か、トコトンいう名前の馬を走らせてくれんかなあって、ヨシカワさん言うてた」
 と渡辺栄さんが言う。
 よく私は吉田善哉さんにくっついて栗東トレセンに行っていて、善哉さんが必ず渡辺厩舎でコーヒーを飲むので、私も栄さんと親しくなっていた。
 1983年だったか、私は雑誌「優駿」の仕事で、桜花賞馬ハギノトップレディの初出産を取材に、荻伏牧場の寮に泊めてもらっていた。
 出産が予定日より遅れて数日は牧場をうろついていたのだろう。荻伏牧場の居間に、もう引退されていた武田文吾が遊びに来ていて、荻伏牧場の創業者の斉藤卯助さん(当歳馬のシンザンを文吾師に紹介した)もいて、私も一緒に食事をした。
 「ヨシカワさんのお父さんは明治生まれやろ。どんなお人やった?」
 と文吾さんに聞かれた。会って間もないのに、父親のことを聞くなんてめずらしい人だなあと印象深かったので、その質問は忘れ難い。
 「ド貧乏の育ちで、口べらしみたいに、10歳ぐらいで薬店の小僧に売られてしまったので、ともかく、人間は働いて食うというのが、ちゃんと食うというのが、何よりも大切なこと。というわけで、がんばって小さな薬品問屋で独立したけど、あんまり口をきかない父親でしたが、人間はとことん働くのが値打ちのあること。とことん働けと、それだけ言って、大好きな酒を楽しみにして、とことん働く父親でした」
 と私が返事したのも、シンザンの調教師の武田文吾に聞かれたことというので、私も忘れられないひとときになった。
 斉藤卯助さんが亡くなって、その通夜の日も荻伏に文吾さんの姿があって、
 「やあ、とことんのヨシカワはん」
 と言われて握手した思い出もある。
 「よほど、とことんが気にいったんやろね。若い連中にも、とことん仕事せいやって、文吾先生、とことんを連発してた」
 と渡辺栄さんが笑った。
 ああ、その渡辺栄さんも空へ行ってしまったんだよなあと思いながら、2024年6月22日の朝、ウインズ横浜へ出かけた私は、桜木町駅に近いコーヒーショップで競馬予想紙を読んでいて、「おっ」と声が出そうになった。京都2R3歳未勝利、ダート1800の16頭立てのなかに、シンコーナホチャンという馬がいたからである。


 ナホチャンと印刷された馬券を買って贈ろうかと思ったのは、うちのかみさんの介護で毎週来てくれている看護師が河井奈穂さんだからだ。奈穂さんは競馬を知らないが、その馬券を喜んでくれるだろうと思った。
 予想紙を読みすすめて、京都5R新馬戦、芝1400の12頭立てにゴメンネジローを目にしたとき、私は笑ってしまった。かみさんのリハビリで週にいちど来るのが、奈穂さんの夫の次郎さん。
いやあ、次郎さんも競馬を知らないが、ジローという名のある馬券は面白がってくれるだろうと思ったのだ。
 おれ、人生で、とことん、最後の最後まで努力をしたというようなマジメさは、自分には無かったよなあと思いながら、奈穂さんにシンコーナホチャン、次郎さんにゴメンネジローの馬券を贈って、面白がって、よろこんでもらおうという気持ちだけは持ち続けてきたよなあと思い、たいした人生ではないにしても、ま、そんなところで生きてきました、と誰かに私は報告していた。
 ウインズに着き、先ずシンコーナホチャンとゴメンネジローの単勝馬券を買った。3歳未勝利戦に初出走のシンコーナホチャンはまったくの無印だから100円にしておこうかと思ったが、そこはちょいと見栄をはって300円にした。
 そうなるとゴメンネジローもあんまりシルシはなくても、同じ300円にしなければならないだろう。
 京都2Rのゲートがあいた。国分優作騎乗のシンコーナホチャンは出負け。行き脚もつかず、ずっと後方2番手をポツンと追走。
 ほとんど笑って見ていたが、4角を過ぎたころから、おいっ、ナホチャン、びっくりの脚。
 勝っちまった。急いで血統を読み直す。父パイロ、母モエレフルール、母の父ゴールドヘイロー。三石橋本牧場生産。馬主豊原正嗣。畑端省吾厩舎。
 単勝9,510円。うーん、競馬はこれがあるんでございますよ。この勢いでゴメンネジローも勝っちゃうんじゃないか、と私は思った。
 幸英明騎乗のゴメンネジローは先に血統を確認した。父タワーオブロンドン。母ルージュクール。母の父リダウツチョイス。萩澤俊雄生産。馬主岡浩二。谷潔厩舎。
 ゲートがあいた。先団でレースを進め、直線で首位争いを演じたが、伸び負けて4着。10番人気での4着。次、踏んばろう。
 数日して次郎さんと奈穂さんに馬券を渡すと、
 「えっえ、何、これ?」
 と二人ともびっくりしていた。
 ゴメンネジローの馬券はそのまま残し、シンコーナホチャンの馬券はコピーして残し、いただく配当で、どこかで食事をすることになった。
 大喜びのふたりを見送ってから私は、雨が降っている庭を眺めながら、どうしてか、また武田文吾さんを思いだし、どうして文吾さんが、とことんという言葉に、あんなに強く反応したのかと、そのことを思い、
 「いやあ、文吾先生、ボクのとことんは、次郎さんと奈穂ちゃん馬券を買うことぐらいです」
と報告をした。

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