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第358便 ネヴァさん

2024.10.11

 1983年3月のこと、桜花賞馬ハギノトップレディの初出産をルポする取材仕事で荻伏牧場にいた。場長の斉藤隆さんの厚意で、従業員寮の空いていた一室で寝泊まりした。昔の話でごめん。
 出産予定日を過ぎても、なかなか産まない。荻伏牧場の創業者の斉藤卯助さんが杖をついて歩き、私をネヴァービートのいる馬房へ案内してくれた。ネヴァービートは皐月賞馬マーチス、オークス馬ルピナス、春の天皇賞馬リキエイカン、中山大障害4連覇のグランドマーチス、桜花賞とエリザベス女王杯を制したインターグロリアの父。
 「おお、元気か」
 と卯助さんが声をかけたネヴァービートは23歳。すでに種牡馬を引退していて余生である。卯助さんもおじいさん。馬房から顔を出してくれたネヴァービートもおじいさんみたいだと私は思った。 
 その馬房の前に、ひとり、背の高い男が立っていた。どうしてもネヴァービートに会いたくて、東京から来たのだという。やっと念願を果たせて、今、夢のようです。と男は笑顔になった。
 「どうしてもネヴァービートに会いたい」と言うような人を知らなかった私は、その男に興味を抱き、「もし、よかったら、時間があったら、話を聞かせてくれませんか」
 と声をかけ、私が借りてる部屋へ誘い、インスタントコーヒーを出した。彼は30歳だった。
 「自分は岩見沢競馬場の近くで生まれ育って、子供のころから競馬場で遊んでいたりして、自然と競馬が好きになった。父親も競馬好きで、あちこちの牧場めぐりをするので、よくついて行った。
 東京の大学へ行って、大手の印刷会社に就職できて、そのまま東京暮らし。馬券と休みを使った牧場めぐりが楽しみの人生。
 30歳になった記念に荻伏レーシングの会員になって、10回払いで、ひと月に3万円の共同馬主になって楽しんでいる。無理しないで、自分が出来る範囲でね。結婚したし、妻は競馬を知らないから説明しても無理だし、3万円の10回払いが精一杯ですよ。でも、その馬が走っても走らなくても、夢があって、仕事にもハリが出るし。
 今回は、たまたま、札幌へ出張する仕事で、ラッキー。時間作って、荻伏牧場へレンタカーで。
 以前から、荻伏牧場にいるネヴァービートに、どうしても会っておきたいと思っていたので」
 と彼は言った。
 どうしてもその馬に会いたいというのは理屈ではないのだろうな。そういう人が、競馬好きのなかに、たくさんいるにちがいない。これから先、自分は、さまざまな競馬好きを書いていきたいと、私は強く思った。
 東京で一杯やろうよと、住所と電話番号を教えあった彼から、浦河から鎌倉の家に帰ってすぐに手紙が来た。 
 その手紙の差出人が、「音葉亜B人」となっていたので笑った。音葉亜B人。ネヴァービートである。
 「ネヴァービートの前で、まさかの縁。うれしくて、帰りの飛行機でも、うれしいことが起きるものだなあと思っていました」
 という手紙が私もうれしかったが、それより何より、「音葉亜B人」という彼のユーモアに感動して、それから私は彼のことを、「ネヴァさん」と呼ぶことにした。
 ネヴァさんとは長いつきあいになった。50歳になった自分を見つめ、息子と娘もそろそろ学業を終えるし、自分にとっては冒険だけれども、社台の会員になった。年に1頭、40分の1で50万円とか決めればなんとかなると。そうネヴァさんは手紙に書いてきた。


 それから20年、ネヴァさんの持ち馬は、まだ重賞未勝利だけれど、2勝か3勝した馬にも出会って、 「ま、夢を見て、ドキドキするのがプラスですね」と笑っていたが、「もうすぐ70歳かと思って、公園のベンチに腰かけて足もとの石ころを見ていたら、ネヴァービートの前で良さんと会ったときのこととか頭に浮かんできたりしてるうち、50歳でクラブ会員になった時の度胸とかもよみがえり、大冒険、1口125万円のグルヴェイグの息子を持ってしまいました。父モーリス。グルヴェイグはディープインパクトとエアグルーヴの娘。音葉亜B人の大冒険です」と言ってきた。
 2024年8月23日、71歳になったネヴァさんから電話がきた。
 「明日の札幌の10R、ワールドオールスタージョッキーズでクファシルが走るんですよ。ティータン騎手が乗るんだけど、このレースは抽せんで乗る馬を決めるんでしょ。いやあ、クファシルとティータン騎手の出会い、これも運命ですよね。ティータンのこと、新聞記事で、モーリシャス出身というので、スマホでモーリシャスを調べました。モーリシャスってアフリカ南部のマダガスカル島の近くの小さなモーリシャス島。どんな所なのか、想像もつかない。
 マイケル・ロバーツとかダグラス・ホワイトと同じ、サウスアフリカンジョッキーアカデミーという騎手養成の学校を出て南アフリカの騎手免許をとったあと、見習騎手チャンピオンになって、それから香港に渡って大活躍とまでは分かったけど、少年時代はどんな環境で育って騎手をめざしたのか、それをぼくなんかは知りたいんだけど、それは分からない。でも、クファシルとカリス・ティータンがレースでどんなシーンを見せてくれるのか、それが楽しみで、今夜はビールのんでも酔えないですよ」
 電話を切ったあと、カリス・ティータン騎手が、どんな少年時代だったのかを知りたいとネヴァさんが言っていたのを思いだし、そこのところがネヴァさんとのつきあいの最高にうれしいことだよなあと思った。
 私もテレビの前で、クファシルとティータンのレースに緊張した。クファシルは14頭立て2番人気。モレイラ騎乗の1番人気馬を徹底マークしてクファシルは、直線で外へと追い出され、芝1200を1分8秒9、先に抜けだした1番人気馬をハナ差とらえて9戦目3勝とした。
 「泣けたね、クファシルとカリス・ティータン」
 とレース後すぐに私はネヴァさんに電話した。
 「まさか、大粒の涙がこぼれてこようとは思わなかった。カリス・ティータンがどんな少年だったのかなあとか思ったのが1着につながったのかも。 
 くやしいのは、自分が札幌にいなかったこと」
 とネヴァさんの声は涙ぐんでいるようだった。

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